第203話 蠢く物怪《モノノケ》
「それは、一文字勇希です」
美の鏡の玲瓏たる、確固とした答え。
ーー この世で、1番美しいのは ーー
おかしい。鷹十条凛子、体を震わせる。
それは、鷹十条家の当主でなければならない。それが儀式なのだ。そう伝い習ってきた。
「嘘」
後ずさりしながら、思わず声が出る。
これはやってはいけないことであった。家宝具の間では、古くから定められた儀式に乗っ則る以外、余計な声を出しては決していけないのである。
凛子は、かつてなく取り乱していた。
どうしたらいいんだろう。
これは。
間違い。
そうだ。間違い。そうに決まっている。太古より伝わってきた儀式を違えるなんて。
ある筈がない。
あってはならない間違い。誤り。儀式を破る禁を犯したのはーー
鷹十条凛子は、しっかりと正面の美の鏡を見据える。
この鏡だ。この鏡が儀式を違えた。
許されないこと。
ならば。
当主として。この鷹十条の家屋敷を守り、家名と家宝と伝統と儀式を受けつぎ、ここのすべての支配者である当主の為すべきことはーー
凛子は、拳を握り締めた。蒼白な顔。
拳を振り上げてーー
え?
凛子は、我に返り、内心叫んだ。
私、何をしてるの? 何をするの? やめて。こんな事は。絶対に、何かーー
だが、体が勝手に動く。自分の意思でコントロールできない。何かに導かれるように、凛子は、右の拳を、美の鏡に叩きつけた。
ガッシャーン!
大きな音。
美の鏡は、割れて、粉々に砕けちった。
◇
凛子は。
じっと、割れて砕けた鏡を見つめる。
茫然自失。蒼白なまま、立ちすくむ。自分が何をしたのか、なぜしたのか、全くわからない。
戸口から光が差し込む薄暗い家宝具の間。絢爛たる王朝風装束で。
やがて。
鏡の台座、そして、砕け散った鏡の破片から、ゆらゆらと金色の靄が立ち上がる。あちこちの破片から立ちのぼった金色の靄。それは宙をくるくると渦巻き、やがて1つになる。
なんだろうこれは。
凛子は、身動きできぬまま、金色の靄に、ただただ見入る。
ーー 美の鏡の精気 ? ーー
金色の靄は、ぼんやりと広がったり、また1つにまとまったりしながら、凛子をくるくると取り巻いて。
ーー 笑っているみたい ーー
自分を取り巻く金色の靄。
さざめく声が、聞こえる。なんだ? 低く、くぐもった地の底から響くような声。こんな声、初めてだ。聞いたことがない。
鷹十条凛子は、ぶるっと震える。冷や汗が額を額を伝う。
ーー 我、長年の封印より解かれし ーー
凛子の耳に、さざめく声。金色の靄が、語り掛けている?
ーー 我の憑し物、砕かれた。我は憑代を失なった ーー
嘲うような声。
ーー お前が砕いたのだ ーー
嘘!
凛子は内心叫んだ。もう声を出すこともできない。
確かに、鏡に拳をぶつけたのは凛子。でも、それは誰かに操られていたみたいに。自分の意思でなく。そうだ、美の鏡の解があった時から、心が乱れ、何かに動かされていたんだ。
違う!
これは、何かーー
おかしい。自分を突き動かすものに、凛子は、必死に抗おうとする。
でも、
笑いさざめきながら、凛子をくるくると取り巻き回っていた金色の靄は、やがて、凛子の耳から、口から、体中の毛穴から、凛子の中へと、入っていく。
「嫌っ!」
目をいっぱいに見開き、必死に抵抗しようとするが、身動きできず、どう抗えばよいのかもわからない。
凛子の頭、真っ白になっていく。だんだんと遠のく意識。金色の靄に、体が充たされて。必死の抵抗ーーもう無理。
金色の靄の、勝ち誇ったような笑いが聞こえる。
そうだ。
最後の意識で思い出した。
代々伝わる古文書にあった。昔日、鷹十条家の当主たちは、悪霊や魔物を退治し、その精気を、物に封じ込めた。
そうだったんだ。
家宝具とは。
魔物の精気を封じたーー
物に憑いた魔物の精気
それは。
物怪。




