第198話 天魔 VS 紫頭巾
一文字勇希は、身構えた。
ざわっと植え込みが揺れたかと思うと、現れた人影。
飛び出してきたというべきか。
池の周りを駆けて、勇希へ向かってくる。
来たか。
勇希は逃げずに、しっかり相手を見定める。
もう慣れているのだ。いきなりの遭遇・出現・戦闘。
お手のものだぜ。
駆けてきた相手、5メートルほど先。立ち止まる。
「やっぱり魔物だ。ここは幽世ってことか」
相手ーー紫頭巾。紫の覆面頭巾に、全身すっぽりと覆う装束。剣を構えている。普通の世界で、こんなのはいきなり出てこない。間違いなくここは異世界だ。出現した魔物。
剣ーー石塔の灯でおぼろげに見えるだけだが、木刀のようだ。
なんだか時代劇に出てくる剣士のように見える。
もともと幽世って、和風世界観も結構入っていたからな。こういう魔物もいるんだろう。
勇希は一人合点する。
「幽世にも、いろんな奴がいる事はわかったけど、どうやらこいつは、話の通じない奴のようだな。いきなり襲ってくるつもりだ」
紫頭巾魔物、すごい殺気を放っている。勇希を狙い、攻撃する間合いを計っている。紫頭巾が握る木刀、ユラユラと上下に揺れる。
「お互い剣での勝負か。いいだろう。こういうのも、一度やってみたかったんだ。オレの剣とお前の剣、どちらが上か勝負してやろう」
勇希は、右手を暗い夜空に掲げる。
「天破活剣!」
ん?
何も起きない。勇希は、しげしげと、右の手のひらを見つめる。なんで魔剣が出てこないんだろう。
もう一度。
「天破活剣!」
夜風が、さらっと吹く。
なんだ? なんで何も出ない? 魔剣だけじゃなくて、長ランもでない。オレの装備。いつもは、幽世の戦闘で自動で出現装備されるんだけど。
そういえば、世告げの鏡も出てこない。おかしいな。ここは幽世じゃないのか? いや、そんな事は無い。このシチュエーション。どう見ても現実世界じゃない。間違いなく幽世。そして、目の前に現れたのは魔物。
なんだか。これってやばいの?
戦闘を前に、装備が出てこないって。
どうやって戦えばいいの? ヒーローがレベルアップすると、装備なしで戦うステージがあるってこと? まさか!
勇希、想定外すぎる事態に、すっかり混乱する。
「あ、ひょっとして」
勇希は、自分の姿を見る。包帯ぐるぐる巻きの膏薬ペタペタ貼りで。
「まだ治癒中だから、戦闘モードになれないのかな?」
包帯の下で、勇希は青ざめる。
どうすればいいんだ? もう体は、完全に治ってると思うけど。勇希は、包帯を外そうとするが、ぴったり張り付いて外れない。ティオレは、治癒が終了したら自然に消滅すると言っていた。自分でこれ、外せないんだ。戦闘モードにならなきゃいけないのに。
うろたえる。やばい。
勇希ーー包帯男の動揺。
不意打ちを食らって、見るからに焦りまくっている。
紫頭巾剣華はしっかりと見てとった。
びっくり仰天してるんだな。当然だ。そりゃ、急にこんな格好の人が現れたらね。これまで女子を散々脅かしてきた憎き変質者。今度はコスプレ仮装で驚かされる番なんだ。
よし。
準備完了。
木刀を構え狙い定めた剣華は、猛然と踏み込む。
木刀を大きく振りかぶり、
「女子の敵! この天魔め!」
と叫び、打ちかかる。
天魔ーー咄嗟に剣華がそう叫んだのは、先日の鎌倉郊外実習で、仏教について少し勉強したからだった。仏教で大悪魔のことを、天魔というのである。
剣華としては、「この変態め!」「この変質者!」と言うのは、少し気恥ずかしかったし、「この不審者め!」では、なんだか迫力が出ない。
それで天魔。覚えたての言葉を使ったのである。
◇
「この天魔め!」
紫頭巾剣士の、華麗な一撃。正義の鉄槌。包帯男の脳天めがけて。
「うわあああっ!」
勇希は、かろうじて躱す。
なんだかおかしい。調子が出ない。幽世では、さっきの結界の中での戦闘でも、現実世界の身体能力を大幅にアップした動きができたのに。今は、全然体が動かない。普通の現実世界での身体能力レベルでしか、動けない。
どうしたんだろう?
勇希はひとまず逃げた。鋭い打ち込みだった。ものすごい殺気。確実に勇希を殺そうとしている。
勇希は走る。お願いだ、ヒーローパワーよ、復活してくれ。
「待てー、天魔めーっ!」
後ろから声。
おや? なんだかこの声、聞き覚えがあるような。この声に追い回されたこと、前もあったような。
バカな。勇希は逃げながら首を振った。きっとオレの聴覚までおかしくなってるんだろう。いろいろとこっちの身体の感覚を狂わせる能力の敵なのかもしれない。これは厄介だぞ。
逃げる勇希。
そういえば。オレのこと天魔とか言ってるな。どういうことだろう。天魔? なんだそりゃ。魔物の一種か?
はっと気づいた。そうだティオレとフィセルメの戦いみたいに、幽世の眷属同士でも、争い戦いがあるんだ。きっと、幽世の天魔族と紫頭巾族の戦争に、オレは間違って飛び込んじゃったんだ。天魔ってのは、今のオレみたいに包帯ぐるぐる巻きの種族なのか? よくわからんけど。異世界魔物戦争に、出っくわしちゃったのは、間違いなさそうだ。
うーむ。オレは、天魔じゃなくて、幽世で魔物と戦う宿命のヒーローだと説明してみる? ダメだ。それってかえって話をおかしくしそう。
コイツはオレを天魔だとか誤解している。誤解でも何でも、相手はオレを殺そうとしている。ならば、戦わなければならない。戦ってコイツを斃さねばならない。
勇希は、追いかけてくる紫頭巾を、チラッと振り返る。幸い、こいつの身体能力戦闘能力は、それほどでもないようだ。すごい殺気だけど。今の弱体化したオレの身体能力に、追いついてこれない。落ち着いて戦えば、今のままでも充分勝機はあるはずだ。
よし。
やっと冷静になれた。反撃だ。いつもそうなんだけど、こっちのターンになれば、オレはやれるんだ。
勇希は素早く地面の石を拾う。そして、ちょっと、足を緩める。追ってくる紫頭巾、ここぞと勇希に迫る。
今だ。勇希は、振り向きざま紫頭巾に石をビュッ、と投げつける。
どうだ。元野球部のスーパーショット!
カーン!
オレの投げた石。紫頭巾の握る木刀に命中。紫頭巾、反撃は想定外らしく、ビクっとなって動きが止まる。驚いたようだ。
やったぞ。やっぱりこいつは戦闘タイプでなく、こっちの感覚狂わせ系の能力者なんだな。直接戦闘は苦手と見た。
フッ、
戦闘経験なら、こっちはかなり積んでるんだぜ。さんざん生死を懸けた修羅場をくぐってきたんだ。
「今度はこっちの番だ。いかせてもらうぜ!」
勇希は叫ぶが、口周りも膏薬ペタペタなので、くぐもった声になる。
勇希は素早く紫頭巾に飛びかかり、木刀を掴むと、えい、と引き寄せ、奪い取る。
よし。武器は貰った。見よ、ヒーローの力。
包帯ぐるぐる巻き膏薬ペタペタ貼りの勇希。夜の学園の茶室の日本庭園で。ここが幽世だと勘違いしたまま、木刀を高々と掲げる。
しまった!
剣華は、歯を食いしばる。
そもそも剣華は、力づくの喧嘩だ格闘だをした事はなかったのである。ただ、正義の怒りに任せて包帯男に飛び掛かったが、頼みの木刀を奪われて、一転窮地に。
どうしよう。
こんな天魔変質者に不覚を取るなんて。
でも。
絶対負けられない。学園の平和は、友人の笑顔は、絶対に絶対に、私が守る。
卑劣な女子の敵、必ず必ずやっつける!
クラス委員長にして生徒会役員の剣華優希の闘志。
ますます熾んに燃え上がるのである。




