第195話 治癒師 《ヒーラー》
緑の館の緑の苔のベッドの上で。
体をピクリとも動かせないオレは。
治癒師ティオレの指揮下、くるくるとよく動く緑の蔓や、植物たちを。
ぼんやりと見つめていた。
忙しく動く植物たち。植物って、こんなにわしゃわしゃと動くんだ。治癒。確かに……効いている。どういう原理かわからないが、オレの出血は止まった。痛みも治まった。
任せよう。
オレは、白い包帯みたいなので、ぐるぐる巻きにされた。いや、怪我したら、普通、白い包帯巻かれるけど。
「この包帯は特別です」
ティオレが、昂然という。自信たっぷり。
「白黴が幾重にも重なり層をなしてできているのです」
白黴?
なんだか……不安だけど。とにかくプロの治癒師の言うことなんだ。従わなきゃ。逆らう力も、オレには残っていないけど。
そして、ペタペタと、膏薬のようなものを貼られる。
「これは、特に治癒力の高い苔で作ったものです」
ティオレ、うっとりとした口調で。治癒師の自信作なんだ。しかし、苔が好きだね。
なんだかんだで。
治癒は、終わった。
オレは、包帯ぐるぐる巻き膏薬ペタペタ貼りだけど、体はしゃきっとする。痛みもない。普通に動ける。
緑の苔のベッドの上に、起き上がる。
死ぬところだったのが、全然平気で動ける。
いやはや、すごいね。幽世の治癒技術って。
こっちの世界で、病院とかやれば、きっと大繁盛するだろう。
フィセルメの羽撃霰剣、撃った時やつは瀕死の状態だった。だから威力は弱かった。それもあって助かった。本気の直撃を食っていたら、オレは即死してただろう。
とにかく治った。
「ありがとうございます」
オレは言った。
「いいえ」
ティオレは、にっこりとしている。自分の治癒の術の成果に、満足しているようだ。
「普通なら助かりません。勇者様の強い意志、そして、生命力、そのおかげなのです」
そうなんだ。まず助からないとは、オレも思ったけど。
◇
「お世話になりました」
オレは言った。
ここに呼ばれたのは、フィセルメを倒すためだ。奴は倒した。傷は治癒してもらった。長居することもないだろう。そろそろ、おさらばしよう。
「これって、どうすればいいんですか?」
オレはまだ、包帯ぐるぐる巻きの、膏薬ペタペタ貼りで。
「じきに、完全治癒したら、消滅します」
ティオレがいう。
うむ。便利なものだ。あれだけの大怪我。入院とかしないであっさり治るんだ。幽世の方が、文明は上なのかも。
「勇者様、本当にありがとうございました。これで私たちも、またずっと安心して暮らせます」
ティオレの微笑み。ヒロインの笑顔。これ以上、何も言うことは無い。
よし。
行くとしよう。
あ、そういえば。訊いておかなきゃ。
「あの、苔ドリンク、あれって回復薬なんですよね? 精気回復とかできると便利なんで、作り方とか、教えてもらうことはできませんか?」
「え?」
ティオレ、キョトンとなる。
ん? 苔ドリンクの秘密、明かしたくないのかな。
「あの……勇者様」
ティオレ、オレをまじまじと見つめていった。
「あれには、回復の効能はありません」
「は?」
「あくまでも、頭と体をスッキリシャッキリさせるためのものです」
うぐ、
なんだ。力が回復したと思ったけど、ただハッスルしただけなんだ。それじゃ、余計疲れるじゃないか。それで最後、オレはグダグダになったのか。
カンフル剤はあっても、回復薬と言うのはなかなかないものらしい。力や精気、いつでも補給できたら、すごく便利なんだけど。
「あの」
ティオレが言った。
「なんです?」
「お尋ねしたいのですが、最近、わが眷属のものが、そちらの世界の方に、ご迷惑をかける事はなかったでしょうか?」
「え?」
「お話しした通り、最近、幽世から、傷ついて、こちらの世界へ逃げ込んできた者がいるのです。私が治癒したのですが、その者は、こちらの事情がよくわからないので、ふらふらと、この結界の外へ出てしまったのです。私も、追跡してくる侵入者討手に気をとられて、結界を見張ってることができませんでした。結界の外に出た者は、すぐに連れ戻したのですが、ひょっとして、ご迷惑をおかけしてないかと」
「えーと」
確か、何かあったな。オレは記憶を手繰る。
その時。
館の中の中央の大黒柱ーー太い木の後ろから、誰か出てきた。
サボテンだ。
人の形のサボテン。オレと同じ位の背丈の。サボテンで作った人形に見えるけど、普通に動いている。手足の部分のサボテンを動かして。目鼻らしきものもある。
「この子が、最近こちらに逃げてきた者です。もうすっかり治癒は終わったのですが」
サボテン君、ペコリと頭を下げる。
これも木の眷属の一種? 幽世の魔物、いろいろいるんだ。
「あ、そうだ」
オレは、思い出した。
「最近、学園で、怪しい奴が現れて、ちょっと騒動がありました。いや、別に被害はなかったです。ただ、いきなりこっちの世界の人間が魔物ーーその、幽世の住民を見たら、びっくりするんで。心配するようなトラブルではなかったと思います」
「そうですか。よかったです」
ティオレ、ほっとした様子。サボテン君も、もう一度、ペコリと頭を下げる。なるほど。コスプレ仮装したやつが、女子生徒を脅かしたっていうけど、このサボテン君だったんだ。まぁ、コスプレ仮装にしか見えないよね。
では。そろそろお別れしよう。
そうだ、最後に1つ。
「ティオレさんの種族名って、あるんですか?よかったら、教えてください」
ティオレは、にっこりとして、
「私は苔の主です」
「え? 苔?」
「はい。この館にある光る苔と同じです。私たちの種族は、たくさん集まって姿をいろいろ変えることができるのです。この世界のみなさんと共存するために、皆様に親しみやすい姿をしてみました。いかがでしょうか?」
うーむ。
オレは、館の中を改めて見回す。光る苔、ユラユラ、ポワポワ、光っている。これがティオレで、この館、この結界の主。
なるほど。
目の前の精霊美少女。苔が集まって擬態してたんだ。やけに苔を推していると思ったら。
しかしすごいね。幽世の苔って。
美少女ーー確かに、親しみやすいとは言えるな。とりあえず友好的な感じにはなるだろう。人間世界のこと、なかなかよくリサーチしてるんだ。ちょっと超現実的すぎて、そのまま渋谷とかには行かない方がいいと思うけど。いや、渋谷だったら、みんな、よくできたコスプレメイクだと思うのかな。
そういえばティオレ、オレに自分の種族の一員である光る苔のドリンクを飲ませたけど、そういうのっていいのかな。植物生命体の感覚って、やっぱりオレたちと違うみたい。
◇
オレは館を出た。
ティオレとサボテン君、入り口のところで、ずっと手を振って、オレを見送っていた。サボテン君も、ここでずっと安心して暮らしていけるだろう。オレは美少女ヒロインの願いを聞き入れてーー苔だけどーーとにかく結界村を守った。
ヒーロー。男の坂道。順調だ。戦闘経験も積んで、いろいろわかってきたぞ。もっと強い敵が出てきても、きっと大丈夫だ。死にかけたけど、オレはもっと強くなった。
幽世の眷属にも、オレたちと十分友好的にやっていける人たちーーというのか、がいることもわかった。ティオレは、オレの長ランの背中の刺繍文字について何も余計なことは言わなかった。うむ。ヒロインとはそうあるべきだ。うちのクラスの女子より、よっぽどまともだ。苔だけど……
緑の館から離れ、オレは結界村の鬱蒼とした森の中へ。
オレは、まだ包帯ぐるぐる巻きの、膏薬ペタペタ貼り。
でも、体はだいぶしっかりしている。もう少しすれば、完全に治癒して、包帯も膏薬も、自然消滅するそうだ。ちょっと、結界の中をぶらついていよう。しばらく歩いていれば、そのまま結界を抜けて、普通の現実世界へ戻られると、ティオレは言っていた。
結界村の森。見慣れた植物に混じって、異様な形をしたのもある。ティオレたちが、幽世から持ってきたのかな。
じめっとした森の中。歩いていると。
ん?
急に空気が変わった。
森を出た。
あれ。建物がある。
結界村を出たのかな?
オレは、空を見上げる。
暗い。もう夜だ。いつの間にか夜に。
わずかな灯りが。
目の前に建物。夜の闇に黒々と。伝統的な日本式家屋に見える。かなり立派な作りだ。そして、オレが出たのは、日本式庭園ーーに見える。池があって、石塔があって。
結界村から、現世の人間世界へ。
戻ってきた。
いや。
なんだか様子がおかしい。
夜なのに、電気がどこにもない。
背の高い木立に囲まれた、家屋と庭園。石塔に、ぼんやりと灯が揺れている。
何か違うな。怪談か、昔話の世界みたい。オレの知っている現実世界ではない。
怪しすぎる。まだ、結界村を出ていないのか?
でも、ティオレの結界村に、こんな家屋はない筈ーー
オレは、ゾクッとなった。
ひょっとしてーー
結界村から、本物の幽世に飛ばされちゃった? そういえば、結界村と幽世は、僅かに繋がっているって言ってたよね。
ここからまた、いつもの戦闘が始まるの?
さすがに、今日はもうーーそれに、オレはまだ、包帯ぐるぐる巻きの膏薬ペタペタ貼りで。
オレは日本庭園の、池の前まで来て、あたりをキョロキョロと見まわす。
しばらく立ちすくんでいても、何も起きない。
おかしいな、ここはどこだろう。一体何が起きてるんだろう。
すると。
人影。
来た。なんだ?
オレはゾワッとなった。
魔物か? それとも?
戦闘終わって、またすぐ戦闘?
オレは身構えた。
ヒーローなのだ。戦い続けなければならない。
それが宿命。




