第19話 嵐を呼ぶ英語のペアワーク
午前中の授業。
また英語だ。
春の、穏やかな、午前中の光が、教室一杯に差し込む中、
やれやれ。
英語の授業。週に何限もある。全く困ったもんだ。いくらやっても、わからんものは、わからんのにな。
英語教師は、柿口。
先週、柿口の顔はカマキリとか言っちゃったから、オレはにらまれている。これ以上目をつけられないように気をつけよう。
オレじゃなくて、蘭鳳院が全部悪いんだけど。
お澄まし顔め。
オレは、隣の席の蘭鳳院をチラッと見る。まったく、何考えてやがるんだ。
柿口の声が教室に。
「では、今日は、ペアワークを行います。隣の席同士での、ペアワークです」
隣同士でペアワーク? オレの相手は、蘭鳳院か。
「今日のテーマは自己紹介です。
みなさんは、高校入学して、まだ3週間です。まだまだお互い知らないこともいっぱいだと思います。
そこで、中学の時習った英語を思い出しながら、隣の席同士、お互いに英語で自己紹介し、抱負を述べてください。
そして、お互いの抱負について、ディスカッションしてください。それが、今日の課題です。
難しく考える事は、ありません。これまで勉強した英語を思い出しながら、気軽に、話してください。
もう、お互いの自己紹介は、とっくに済んでいると思いますが、英語で行うことによって、また、新たな発見があるかもしれません。
そういうことも考えながら、ペアワークを行ってください」
教室はガヤガヤ。
「新年度にふさわしい授業ね」
「単なる自己紹介、それに抱負を英語で語る? これ、中学生の授業じゃね?」
「また、そんなこと。英語だって、みんなできるとは限らないんだから、このくらいから始めたほうが、いいのよ」
「まさか。この学校なら、みんな英語できるだろ」
ざわつく中、ペアワークが始まる。
あちこちで、みんな英語を話し出している。なんだか、みんな、綺麗に英語を話してるみたいだ。
オレは、隣の席の子と向き合う。
蘭鳳院麗奈
蘭鳳院と、英語のペアワークをしなければならない。
やれやれ。
すっごく憂鬱だ。いきなり英語を話せとは。中学の時の英語を思い出せ? なにか習ったっけ?
「よろしくお願いします」
蘭鳳院は、言った。授業中の課題となると、ちゃんとやるし、礼儀正しいのだ。この子は。いつものお澄まし顔で、オレを見つめている。
何考えてるのかまでは、わからない。
「じゃあ、私から始めるね」
蘭鳳院が英語を話す。
自己紹介。
オレは、最初のマイネーム イズ、しか聞き取れなかった。
後は、何をいってるんだか。
でも、すごく綺麗で流暢な英語。オレは、英語はわからないけど、きっと上手いんだろう。
さすが優等生お嬢様だ。これまでの英語の授業でも、蘭鳳院の英語は先生によく褒められている。このエリート校でも目立つレベルの上手さなんだろう。
蘭鳳院の英語スピーチが終わった。
しばしの沈黙。
「勇希の番よ」
うぐぐ……
どうしよう。英語で自己紹介しろ? ホウフを述べよ。なんだっけ、ホウフって。
オレは、必死に考えた。こんなところで、蘭鳳院に後れをとることは、できない。この子にバカにされるのは、嫌だ。
なに、難しく考える事はないんだ。気軽に話せと、先生も言っているし。まだ入学したばかりだ。上手くやろうなんて、考える必要は無い。できることをやればいいんだ。たかが、自己紹介じゃないか。
オレは、中学の時の英語を思い出す。全力でだ。いろんな単語が出てくる。いい調子だ。
この調子で、絞れ出せば、何とかなる。絞り出せ。
ええと、ええと、
「勇希、大丈夫?」
蘭鳳院がオレの顔覗き込むように。
うるさいな!
蘭鳳院の方が背が高いから、見下ろされてる感じになる。
今、必死に考えてるんだぞ。邪魔するんじゃねえ。人が苦しんでるのに、何を涼しい顔しやがってるんだ。
せっかく考えていたのに、蘭鳳院が余計なことを言うから、また訳がわからなくなってきちゃった。
チクショウ……なんてこった……
目の前の蘭鳳院、オレに向けるまなざし。冷ややかな視線に見える。
バカにしてんのか!
オレだって、英語くらい……なんでもないぞ!
やってやる!
オレは決然と言った。
「ディス イズ ア ペン!」
ふう。
やった。
言ってやった。これでよかったんだっけ?
知ってる英語を言えばそれでいいんだ。そういう課題だよね。これは。
蘭鳳院はオレを見つめている。顔色1つ変えない。
どうだ、オレの英語は。オレだって、このくらい、できるんだぞ。思い知ったか。
「先生」
蘭鳳院が、教壇の方を向いて手を上げた。
「どうした、蘭鳳院」
柿口が言う。
「私たちのペアワークですが、今日の課題、日本語でやらせていただくことは、できないでしょうか」
「日本語で? なに言ってるんだ。英語の授業だぞ」
「はい。その通りです。ですが、一文字君の英語力では、今日の課題には、全くついていけません。せっかく授業に参加してるんです。なにもできないで終わるよりは、一つでも何かできた方が、一文字君のためになると思うんです」
「今日の課題についていけない?……一文字、どうなんだ? 自己紹介だぞ。英語でやるのは、無理か」
柿口が、オレを見る。ざわざわが収まりクラスのみんなも、オレを見ている。
みんな何かを期待してるような。
蘭鳳院、キサマ。
オレの頭に血が上った。
生意気だぞ。ちょっと頭がいいからって……
なんだ。そのオレを見下した態度は。
オレのためになるだと?
オレのことを考えてくれなんて、おまえに頼んでないぞ。オレとおまえは、関わり合いなんて、ないんだ。
かまうんじゃねえっ!
だいたい、ただ、英語で自己紹介しろ、だろ。そんなの、何でもないぞ。さっき、ちょっと間違えたかもしれないけれど、それは蘭鳳院、おまえが余計なことを言って、オレをトチらせたからだ。
落ち着いていけば、大丈夫だ。柿口にも、クラスの連中にも、見せてやる。
蘭鳳院、クラスの連中、よく見てろよ。オレはもう、ヤラカシたりしないからな。
オレは、立ち上がった。ヒーローはいつも堂々と。そして、大きな声で言った。
「アイム ア ジャパニーズ」
クラス中が、時が止まった。
◇
一文字勇希が、まだ、よくわかっていないことであるが、このクラスの生徒、優秀なエリート校の、嬢ちゃん坊ちゃんたちは、互いへの配慮が、とてもできる者たちであった。
エリート校生徒にありがちな、驕り、他者への見下し、蔑みはとても小さかったのである。
もちろん、正義を追求するクラス委員長、剣華優希の薫陶もあった。
勇希の英語。
このあまりにも凄惨な光景に出くわしたとき、これは笑ってはいけない。
みながそう感じたのである。これは笑えるレベルではない。
なにもなかったことにしよう、そうするべきだ。
お互い何も言わずとも、クラスメイトを守る優しさがたちどころに共有されたのである。
実に優しいクラスであった。
ただ1人、ラグビー部の坂井。
大爆笑寸前になった。
坂井は、決してできないものを見下すような人間ではなかった。
むしろ、その逆。できないものに、積極的に手を差し伸べるタイプであった。
ただ、一文字勇希の破滅的な英語の襲撃は、想像を超え、不意打ちだった。
爆笑しそうになった坂井。
それを止めたのが、坂井の隣の席の奥菜結理であった。
奥菜は、勉強が苦手で、トンチンカンなことをやらかす勇希のことをなにかと気にかけていたのである。
隣の坂井が爆笑寸前なのに気づくと、素早く奥菜は坂井の口を手で塞いで止めたのである。
このように、一文字勇希は、知らずして、多くの者の優しさに、助けられ、支えられているのである。
これがヒーローの道、ではないだろうか。
◇
「わかった」
柿口が言った。
「一文字、今日の課題、日本語でやりなさい。英語の勉強も、しっかりするんだぞ」
オレは、席に座り、また蘭鳳院と向き合う。
今の、なにか、まずかったか?
周りのクラスの連中。なごやかに、和気あいあいと、英語のペアワークを続けている。
変な空気にはなっていない。
そんなに、おかしなことをしたわけじゃ、ないようだ。
でも、やっぱりちょっと間違えたのかな。英語って難しいな。
まあ、いいや。もともと英語は得意じゃないんだ。ちょっとできるところを見せてやったんだし、これで上々。
まずまずの出来だった。いいだろう。ここは、おとなしく日本語で課題をこなしてやろうじゃないか。
蘭鳳院は、お澄まし顔で、オレを見つめている。




