第156話 天使の迷宮
麗紗は、キッチンで、ジュースのコップの片付けをしていた。
勇華はソファで、グターっとなっている。
麗紗は、少し心が軽くなっていた。
そうだ。麗奈のこと、私が1番信じなきゃいけないんだ。麗奈は、変な間違いをしたりはしない。勇華も、すごくいい子だ。なんだか、大きな秘密を抱えているように見えるけど。
でも。
親同士、家と家との門閥政略の兼ね合いで、麗奈が、不出来な御曹司を押し付けられる。その考えは、まだ捨てられなかった。家まで来てわかったけど、どう見ても一文字勇希は大門閥名家の御曹司ではない。普通の家の子だ。ちょっと変わった双子の妹がいる普通の高校生。
それがどうして姉と。謎は謎のまま。
窓の外で、こっそり聞いてしまった麗奈と勇希の温泉の話も。間違いはしていない。麗紗はそう信じる。じゃあ、何が起きているんだろう。あれは何だったんだろう。さっぱりわからない。
いずれ、ちゃんとわかるはずだ。でも、このままにはしてられない。やっぱり、まだ調べてみよう。麗奈が1人で危険や困難に立ち向かおうとしているなら、それを助けなきゃならない。
依然として、麗紗は高貴な姫である姉の麗奈を守る騎士なのである。
片付けを終えた麗紗、勇華を振り返る。
勇華は悪い子じゃない。わかる。何も知らないんだ。この子を傷つけちゃいけない。
でもーー
麗紗は感じていた。やっぱりこの子に、もうちょっとついていってみよう。利用しようって言うわけじゃない。
なんだかーー
勇華に惹かれる自分がいた。なぜだろう。それはよくわからないのだけど。勇華は手放せない。勇華の手を離したら、もう、これっきりで、今日の1日で、二度と勇華には会えないんじゃないか。そんな予感がした。なんでそんなふうに思うんだろう。わからなかった。でも、確かにそう感じた。それが、姉のためなのか、それとも自分のためなのか。
麗紗には、わからなかったけれど。
◇
キッチンから、麗紗が戻ってきた。すっかり片付けをしてくれたんだ。何でもかんでも。やることが丁寧だ。姉の麗奈と同じ。またあの、仔猫のエプロンをしている。
オレは、ソファから動けない。体が。軽いようにも重いようにも。
あのキス。
天使のキス。
いや。そんなに深く考えることじゃない。女の子同士での、軽いキス。オレは、あんまり女の子同士でのキスってのもしたことなかったけど。まぁ、キスするのが普通の女の子だっているんだろう。
でも。
あの一撃はーー
オレにトドメを刺した。
あの子は、あの天使は、いったいオレをどうしたいんだ?
天使の気まぐれ。ただそういうことなのか?
ヒーローをふらつかせるキス。天使の一撃。
この現世ってやつも、黄泉の国幽世以上に、わからんことだらけだ。だんだん、この現実世界のこともわからなくなっていくような。蘭鳳院の姉妹が連れて行く未知の世界。
「さ、どうしよっか、勇華」
“ 小さな蘭鳳院 ”が言う。エプロンを外しながら。
どうする? 昼飯は済んだ。風呂に入って、ジュースを。で。
その次は?
オレとしては。
今日の半日で、相当いろいろあった。だから、もう後は、ひたすらグターとしていたいな。
2階のオレのベッドへ行ってーー
うん。
まてよ。
オレにニコニコと笑顔を向ける麗紗。
オレがもう寝るとか言ったら。
一緒に寝る!
とか言い出すのかな。
またまた、ゾワッとなる。
オレたちは女子同士で。一緒に風呂入ったりしたから。一緒に寝ても……いや、それはさすがに。そもそもこの子、姉が道を踏み外すのを心配してるんだ。変な事は考えてないんだろうけど。そうなのか?
ちょっと様子を見よう。
「麗紗ちゃんは、何がしたいの?今日は麗紗ちゃんにいろいろしてもらったから、今度は、麗紗ちゃんの言うこと、聞くよ」
オレは言った。おや? 言い方がおかしいか?相手の出方を見ようとしたんだけど。オレがあれこれ考えると、大体よくないことがーー
「ホント!」
麗紗は、瞳を輝かせる。
「じゃぁ、2人で外に遊びに行こう。麗紗、行きたいところがあるの」
「え?」
まだ続くの? 天使ロードが。
「あれ?」
麗紗が、オレの顔を覗き込む。
「ひょっとして、勇華、疲れてるの? もう横になって休みたいとか? 麗紗が添い寝してあげようか?」
「行くよ」
オレは、ガバと、ソファから身を起こす。
「いいね。いい天気だし。すごく爽やかで。こんな日、家にじっとしてるのはもったいないよね」
うむ。せっかくの連休。風呂に入って、また出かけるっていうのも……でも、オレンジジュース飲んでスッキリしたし。
「嬉しい! 勇華のこと大好き!」
麗紗、愛くるしい笑顔。
なんだか。
オレはーー
天使の迷宮に。入り込んじゃったの?
いや。
冷静に考えるんだ。今日はたまたま、女子全開モードで外出して、麗紗に見つかって、それでおかしなことになって。
勇華。勇希の双子の妹。とっさについた嘘。今日限りだ。今日の1日。これっきりで、勇華は消える。二度と女子モードで外出なんかしないぞ。そうだ。今日の1日を切り抜ければそれで終わりなんだ。
何でもない。
天使の迷宮。
抜けてやるさ。




