第155話 天使のキス
“ 小さな蘭鳳院 ”
顔も、声も麗奈そっくりの、1歳年下の妹。
麗紗がーー
オレの髪をブラシで梳かしてくれている。ショートの髪、だいぶ伸びたな。切るか、それとも、おさげにでもしてみようか。もう、オレのこと、みんな男だと、認めてるんだし。でもまあ……髪型自由の学園だけど、さすがに男でおさげはあんまり見ないな。あまり冒険するのは、止めておこうか。
「綺麗。勇華、綺麗になったよ」
麗紗がいう。さっきの怪しい調子。ほんの一瞬だった。また、無邪気な愛くるしい天使に戻っている。
「ありがとう」
なんだかいろいろ、いっぱいしてもらっちゃってるな。友達。友達だから? 友達ってこういうものなんだっけ?女の子に一方的にあれこれされるのって、初めてのような。いろいろしたりされたり、ふざけたり、キャッキャしながら、そういうのが、オレの女子同士での付き合いだった。
ドライヤーやブラシを片付けた麗紗。
オレの前のソファにちょこんと座り、自分のオレンジジュースを飲む。
うう。
やっと距離をとれた。オレは一息つく。風呂からずっと、いや、もっとその前から、天使の圧が。今まで感じたことのない、ものすごい熱線を浴びた。そんな気持ち。
麗紗、考え込んでいる。子首を傾けるところが可愛い。
「麗奈が誰かを好きになる。それはもちろんいいんだけど。まるっきり麗紗に秘密。これ、おかしいんじゃないかな」
「ううん。高校生になったんだし」
オレはやっと言った。
「その……恋愛とか……そういう秘密あっても、おかしくないんじゃないかな」
そういえば鎌倉で。麗奈は、恋愛成就のお守りを買った。自分で持っていると言った。恋愛を成就したい相手、もういるのかな。
秘密といえば、麗奈の存在自体、オレにとっては、秘密そのものだ。
麗紗は、じっとオレを見つめる。
「秘密を持っていてもおかしくない……でも、麗紗の知っている麗奈じゃ、ないような気がするの」
「そうなんだ」
「うん。麗奈のこと気になって、学園の高等部の人から、いろいろ聞いたんだけど。麗奈、美術の授業で、男子と2人で、美術館の横の木立の中に隠れちゃったりしてたって言うんだよ」
グホッ
麗紗が、勇希の名前を出さなかったのは、勇希から何も聞いてないと言う勇華にショックを与えるのはまずいと思ったからだった。
勇希はクラクラする。
ありゃりゃ。美術のデッサンのペアワークの時。確かに、美術館にはクラスメイトが何人かいた。2人で木立の中に入るの、バッチリ見られちゃってたんだ。別に、怪しい事したわけじゃないから……あ、でも。ひょっとして、結構、噂になってたの?
「何も怪しい事したわけじゃない!」
麗紗、顔を紅潮させ、叫ぶ。
「麗奈はそんなことしない!麗紗、信じている」
この天使。麗奈のことになると、力が入るな。うん。もちろん。怪しいことなんて何にもしてないよ。オレたちは健全な高校生。
「でも」
麗紗のまなざし。強い。麗奈と一緒に木立の中に隠れたという男子のことを睨んでいるような。
「ひょっとして、もしかして、相手の男子が……麗奈に……麗奈に……いきなり、抱きついたりとか……男子ってそういうものだよね……もし、そんなことしてたらと思うと」
グホッ
グホホホッ
あの、その。抱きついた……確かにそういうことを……したともいえる。あの時、オレは初めて、麗奈胸のボリュームを、確かにしっかり感じた……でも、それはその、全然怪しい事考えてたわけじゃなくて……なんていうか。そう。ヒーローとして。ヒーロー、男として立ち上がった。ただ、それだけ……それがなんだか。ちょっとおかしな具合になっちゃった。そう。ハハハ。お嬢さん。小さなかわいい天使。君がそんなに悩まないでおくれ。本当になんでもなかったんだから。オレたちはすごく健全な関係を。だって、そもそも、ただ席が隣ってだけの関係なんだし。
「それだけじゃないの!」
麗紗の瞳、またまた爛々と。神聖パワーを発揮した天使みたいだ。
「麗奈は……麗奈は……男子と2人で、秘密で温泉にいったって、そんな話も聞いちゃったの」
「ええっ!!」
オレは思わず叫んだ。
秘密の温泉? 鎌倉の隠れ寺での秘湯。もちろんそれが思い浮かんだ。確かに麗奈は、男子と2人、オレと一緒に秘密の温泉に。でも。それを知ってるのは、学園には絶対にいないはずだ。知っているのは仁覧和尚だけ。
仁覧和尚から、麗紗が温泉の件を聞いた? さすがにそれはありえない。いくら麗紗の情報網がものすごくても、そんなバカな事はない。
そうすると。麗奈は、オレ以外の誰かその男子と、温泉に秘密に行ったってこと? 麗奈。洞窟の秘湯で、オレがすぐ近くにいるのに、全然気にせず素っ裸になって湯に浸かってたけど、意外と男に免疫あるのか?
麗奈の男。気になるな。だけど、やっぱりーー
「そんなことないよ」
オレはキッパリと言った。
「麗紗ちゃん。そんなことで悩まないで。君のお姉さん、麗奈は、絶対に間違いをする人じゃないんだ。怪しいことなんて何もないよ。こっそり、おかしなことをするなんて、ありえないから」
なんでそんなこと言ったんだろう。オレは、麗奈のこと、そんなに知らないのに。でも、妙に、はっきりと、オレには自信があった。麗奈はフラフラと間違いをしちゃう子じゃない。
「勇華」
麗紗は、まじまじとオレを見つめる。
「どうしてそんなにはっきり言えるの?勇華、麗奈に会ったこともないし、勇希から、何も聞いてないんでしょ?」
「うん」
オレは必死というか、もう、やぶれかぶれ。ここまでの設定がいろいろぐちゃぐちゃになってて。
「わかるんだ」
麗紗の瞳をしっかり見つめて。
「こんなに素敵な妹がいるんだ。お姉さんは、ずっと君のこと大事にしてくれたんだよね?君も、お姉さんのこと信じてこれたんでしょう? だったら、これからだって大丈夫だよ。高校生になったら、そりゃ、少し変わることだってあると思うさ。でも、またきっとちゃんと話ができるし、何でもわかり会うことができる。間違いなくね。信じるんだ」
麗紗、じーっとオレを見つめて。
「ありがとう」
笑顔が戻る。
「勇華がそう言ってくれて、ほんとに助かった。そうだよね。麗奈のこと一番よく知っている麗紗が疑うなんてしちゃ、ダメだったよね。麗奈こと知らない勇華が、こんなに信じてくれるんだもん」
麗紗、立ち上がり、オレの方へ。何するんだ?麗紗、オレに顔を近づけ、
チュッ、
オレのほっぺにキスを。
ニコニコと、オレを見つめる天使。
天使のキスだ。
オレは、ポワーンと。




