第142話 姉の危機に妹は
「そんなこと、ありえない!」
麗紗は眠れなかった。眠れるわけなかった。ぼーっとなっていた。体が妙に熱く。
姉の部屋の窓から。やっと自分の部屋に戻った。ヨロヨロとベッドに倒れ込んだ。そして、しばらく身動きできなかった。
蘭鳳院麗奈。麗紗の姉。そして、絶対的な憧れの存在。いつでも麗紗を受け止めてくれた、唯一無二の大事な人。
それが、男と! もう!? 一線を越えちゃってる!!
しかも、その相手が。
一文字勇希!
気になる転校生美少年。苦労して後を尾けて、どんな子かしっかり確かめた。それで、これは違う。ハズレだ。姉とは何でもない。そうはっきり確信したのに。
「温泉だって!いきなり! 2人きりで秘密に!?」
麗紗はぶるぶると震える。もうずっとこの繰り返し。ぐるぐるぐるぐると、頭の中を危険なワードが回り続けている。
麗奈に気になる人ができた、彼氏ができた。普通はそういうとこから始まるんだけど。いきなりそういう次元を通り越しちゃってる。
麗奈の事は、麗紗よく知っていた。最近のお出かけ。部活以外だと、この前クラスの友達たちと野球観戦に行ってきたって言ってた。温泉に行ってたとか、聞いてない。やっぱり秘密にこっそり行ってたんだ。
一体どういうことなんだろう。おかしい。こんなのおかしい。麗奈がこんなことするなんて、ありえない。信じられない。
何か、麗紗の知らないとんでもないことが起きてるんじゃないか。必死に、これまでのあれこれを思い出す。
一文字勇希ーー
小柄で、女の子みたいに可愛く、女子に人気の転校生美少年。麗紗の評価では、そこまでの美少年ではない。何よりも王子様感が足りない。圧倒的な豪華絢爛さ、人の上に立つ資質が。全てにおいて、フツー寄りの子。
そういえば。勇希は、勉強ができない。スポーツは得意で、みんなに一目置かれているが、運動部に入っていない。音楽や芸術の特待生ではない。
「超名門エリート校天輦学園に、なんで入学できたんだろう?」
疑問が。このことは、高等部でも不思議がられていた。天輦学園に入学できるのは、よほど勉強ができる偏差値の高い子、スポーツ音楽芸術の特待生、そしてーー
超名門旧家の子。天輦学園には、一流名門出身の子が、大勢通っている。
勇希は名門枠なのか。でも、いくら、名門枠といっても、まるっきり勉強ができなかったら、入学は難しいはずだ。それでも入学できたって事は、
「よっぽどすごい名門なのかな」
麗紗は考える。でも一文字家なんてこれまで聞いたことがない。蘭鳳院家も指折りの名門旧家だった。だから、麗紗も小さい頃から、名門同士の社交の場に顔を出していた。名門繋がりの友達も何人もいる。
一文字家。麗紗の知らない超名門なのだろうか。
勇希は隠れた超名門の御曹司? 隠れ超名門の御曹司と、麗奈が。
「あ、これって、ひょっとして」
麗紗はガバっとベッドから起きる。
「家同士の政略でのお付き合い?」
一流名門旧家の間では、家柄を考慮しての、家と家同士の縁組が今でも普通に行われていた。勿論、本人の意思は大事だが、小さい頃から、付き合った家柄同士で交際し、結ばれる。それが普通の環境として育っている。だから、家と家との縁組も、自然に受け入れられたのである。
「そういうこと?」
豪華絢爛な王子様じゃなくても、勉強ができなくても、あんまり気品が感じられなくても、とにかく超名門の御曹司ってことで、麗奈の相手に選ばれた。かなり不出来な部類の御曹司が。
「でも、そんなの、麗奈は受け入れるのかな」
姉は、誰よりも気高く、プライドが高い。その事は麗紗が一番よく知っていた。家の都合で、不出来な御曹司を押し付けられる。そんなの、とても耐えられないだろう。
しかし。
麗奈は、蘭鳳院家の長女としての立場役割には、強い責任感を持っている。家を継ぐ立場。だから、家の都合の縁組も、自分の運命だと受け入れちゃったりしているのかもしれない。勇希とのスマホ電話。ごく自然に話をしていた。なんだか、信頼関係があるように見えた。
「麗奈は、自分の運命の相手だと思って、努力して、好きになろうとしているのかな」
麗紗の妄想は、だんだんとエスカレートしていった。
「おかしいよ!」
家同士の政略での交際だとしても、それならまず、ちゃんとした社交の場での紹介があるはずだ。そういうのも何もなしに、突然現れていきなり温泉? ありえない。誰よりも麗奈が、そんなことするなんて。
「絶対変! おかしい。おかしい。おかしいことだらけ!」
ひょっとして、麗奈はあの不出来御曹司に、無理矢理引っ張り回されている?それってーー
「非常事態だ!」
麗紗は、ベッドの上に立ち上がっている。目が爛々と光り、ハァハァと息を吐いている。
「麗奈は私が守る!」
麗紗はぎゅっと両手を握りしめる。ぶるぶる震える。
「一文字勇希! お前の正体、しっかり見極めてやるからな! 絶対、絶対、絶対、お前なんかに麗奈は渡さないぞ!」
麗紗の想い、勇希への感情は、もはや《嫉妬》と、呼ぶべきものであったが、それに小さな蘭鳳院は、気づいていなかった。




