第104 話 青春の応援歌
ぷにゅ。ぷにゅにゅ。
蘭鳳院の胸をつかむオレの右手。
うん。柔らかい。抱きついた時にも感じたけど。掴むとやっぱりまた別の感じで。確かなボリューム感。
そしてすぐ目の前の蘭鳳院の顔。
なんだか、目が血走っていて。
え? 怒っている? いや、オレは、ヒーローとして君を守ろうとして、その……
ガクッ、
うわあああっ、
最後の、揺れが来た。これでバスは急停止。何とか助かったぜ。
いや。
オレの左の頬。なんだろう。この感触。温かい。柔らかい。すごくいい香りで。
あ、蘭鳳院。
蘭鳳院の頬と、オレの頬が、思いっきりくっついている。
ぷにゅっと。
え?
蘭鳳院とくっついた事は、いろいろあったけど。こんなのは、初めてで。
でもオレは、正面からごっつんこすることは何とか防いだから、やっぱりこれはこれでヒーローの務めを果たしたそう言えるよな。間違いなく。
「ちょっと、離れてよ!」
蘭鳳院の殺気立った声。
「あ」
オレは何とか体を引き離す。
蘭鳳院、オレを不審な目で見つめている。肩を震わせている。
いや、バス中でみんなぶつかったりもつれたりして大変な騒ぎになっている。これは仕方ないんだよ。
仕方ない。でも、触った。しっかり。
なんだか、今の。蘭鳳院の胸……そしてほっぺの……感触。柔らかい。そして匂い……甘い……ダメだ……オレの頭は、ぐちゃぐちゃ。ほっぺの柔らかく、温かい感触。何度も頭をぐるぐるする。もう……
これが、オレの牢獄? オレの支配? そうかもしれない。オレはこれに支配されて良いのだろうか。ここに閉じ込められていいのだろうか。ここからの脱出必要? しなくていいような気も。でも、やっぱり……
ん?
目の前の蘭鳳院。瞳が、怒りに燃えて。
「あ、蘭鳳院。大丈夫?」
オレは言った。
「大丈夫?」
蘭鳳院が繰り返す。かなり怒っているような。
「そっちがぶつかったんでしょう?」
うわっ、なんだか。まずい方向に。
「バスが急に揺れるから」
オレは言った。我ながら馬鹿みたいな言い方だ。
蘭鳳院の目つきは鋭くて。青白い頬。こういう時も冴え冴えしい美貌。すごくぷにゅっとしてたんだけど。
「わざとじゃないの?」
「わざと? まさか。そんなことないよ」
「本当に?」
「本当」
「ホントにホント?」
「ホント」
あの、蘭鳳院。オレは君を守る騎士。ヒーロー。だから、その、どんなときでも、身を呈して君を守らなきゃいけないんだ。今日は危ないところだったけど、なんとか……だから、そんな目で見ないで!
「オー、フォッ、フォッ、フォ」
突然、運転手席から声が。みんなの視線が一斉に注がれる。
え?
運転席の人物が、こっちを振り向く。
あれ、まさか。
帽子をかぶっているし。オレたちがバスに乗り込むときは、ずっとそっぽ向いていたのでわかんなかったけど、
「校長先生!」
オレは叫んだ。
「えーっ!」
「ホントか!」
バス中で声が上がる。そうだ。みんな校長の顔なんて、よく見て覚えてないはずだ。オレはどうしても忘れるわけにはいかないんだけど。
校長、銀縁眼鏡の下の眼は優しげに見えるが。
「なんで、校長先生が運転してるんですか」
オレは、やっと言う。
「オー、フォッ、フォッ、フォ」
校長の不気味な笑い。
「私は全生徒の応援団じゃ。かわいいかわいい生徒のためなら、なんでもするのじゃ。季節は春。青い風。ドライブ日和じゃ」
みんな黙り込む。何も言えない。
あの、いきなり急ブレーキとかは。
「うむ」
校長が言う。なんだか重々しい。
「さっきの歌じゃ」
歌? なにいってるんだ?
「確かに、学校とは、支配、牢獄かもしれぬ。私はひ弱な大人の代弁者かもしれぬ」
ああ、樫内が歌ったあれか。もう忘れてた。
「だが、私は教育者として思うのだ。夢見ているのだ。生徒諸君、若者が自ら、この支配、自らの枷を解き放ち、立ち上がり、大きく羽ばたいていくのを。諸君は決して、支配や牢獄に負けることはない。私は、そう信じているのだ。フォッ、フォッ、フォ。やはり教育者たるもの、生徒諸君と直接向き合う現場に立たねばならぬ。では、改めて出発と行こうか。今日は絶好のドライブ日和じゃ。このバス旅、諸君へのわしの青春の応援歌じゃ」
バスがまたガクン、と動き出す。猛発進。猛スピード。
「きゃあああああっ!」
「ちょっとおおおおっ!」
車内はまたまた大混乱。みんなぶっ飛んだり、ぶつかったり。
オレは、今度こそ蘭鳳院にぶつからないよう必死に。
なんなんだ、あの校長。いろいろおかしいと思ってたけど、やっぱりおかしい。
青春の応援歌?
疾走するバスの中で、もう誰もカラオケをしようとするものはいなかった。
鎌倉に近づくと、ちょっと、上り下りやカーブが。
カーブのたびに、
「きゃああああああっ!」
悲鳴が上がる。
校長のオンステージだ。
蘭鳳院のお澄まし顔、少し青ざめている。




