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水端

 大都会は昼夜を分かたず回り続ける。まるで、この星のように。

 朝。眠りから目覚めた人々は活動を開始する。太陽が昇るのと比例し街も徐々に覚醒していく。

 昼。人間が最も活発的になる時間帯はあちこちから発せられる音に満ち溢れる。それ即ち、賑わいの証でもあった。

 晩。夜のとばりが下りても歓楽のちまたは人工的に作られた光で彩られる。欲望と利害が渦巻く不夜城は妖艶ようえんきらめき続ける。

 春夏秋冬四六時中(いとな)みを絶やさないメガロポリスにも、僅かな時間ながら静寂が訪れる。日の出直前、白々(しらじら)明けの頃合だ。

 夜を徹して盛り上がった酒場や遊興店ゆうきょうてんのネオンサインも消えると、街から人の姿を見かける事がグッと減少する。この時間に起きているのは飲食店から出た廃棄物を回収する清掃業者や施設や病院で見守りや対応業務に従事する介護・看護師といったエッセンシャルワーカー、朝刊や牛乳の配達者に卸売市場の売買人、朝から営業する弁当屋やパン屋の調理人といったところか。こうして挙げれば存外多いように感じるが、最も人が起きているピークタイムと比べれば百分の一以下だろう。

 そんな時間帯に、仕事を目的とせず活動している稀有けうな人が居た。人気ひとけを失った繁華街で、リヤカーをく老婆だ。

 白銀しろがね色の髪を後ろでお団子に結び、アーモンド型の目にとび色の瞳。小柄で華奢きゃしゃな体を白黒のシェパードチェック柄のジャージが包む。リヤカーには幾つかの木箱と一つのバケツが載っている。

 ふらっと現れた老婆は、自動販売機の脇に置かれたペットボトルや建物の隙間に捨てられた酒の空き瓶・空き缶、道に落ちている煙草の吸殻やレシート等を黙々と拾っていく。飲み残しや雨水などの液体はざるを被せたバケツへ注ぐ。特に空き缶には吸殻が入っている割合が高く、笊で対策を施していた。ゴミはステンレス製の火鋏ひばさみや軍手を付けた手で種類別に木箱へ放り込んでいく。時には路上の吐瀉物としゃぶつやガムも持参した水やブラシでキレイにする。

 カラスやスズメの鳴き声がコンクリートジャングルに響く中、老婆は淡々とゴミを拾う。ゆっくりとした足取りで歩いた老婆の後は、クリーンな状態へ変わっていた。歓楽街は“清らか”とは程遠いものの、ゴミが取り除かれただけで見栄えが良くなったのは確かだ。完全なボランティアで清掃していくその様は、雑多な色が入り混じる“都市”という絵画に付着した汚れや埃を丁寧に拭っているみたいだった。

 一通り片付け終えた老婆は、重たくなったリヤカーを牽いて雑居ビル群から離れていく。ゴミ収集車や早朝配達の原付バイクが車道を通り過ぎていく傍ら、人力で荷車を牽く姿は全てを受け容れる都会の一部として溶け込んでいた。


 彼は誰時(かはたれどき)から薄明はくめいへ移ろい、老婆は海沿いの遊歩道に移動していた。この時分になると早起きしたお年寄りが集団でラジオ体操をしたり犬を散歩させたりする姿がポツポツと見られ始める。

 アスファルトの敷かれた道にはベンチが等間隔に設置され、都会の喧騒から離れられる憩いのスポットとして知られる。リヤカーを邪魔にならない場所へ停めた老婆は黒いゴミ袋を腰に結び、透明なゴミ袋と火鋏を持ち砂浜へ下りる。

 海岸は意外とゴミが多い。漂着したブイや漁具の一部に外国語が印字されたプラスチック製品、テンション上げ上げで楽しんだと思われる花火の残骸や使い捨てライター、海を眺めながら口にしたであろう弁当容器や空き缶……。決められた管理業者が定期的に清掃する公園と異なり、海岸は箕帚きしゅうの手が行き届いているとは言い難い。会社の慈善事業や学校の奉仕活動などで大勢の人が清掃するケースもあるが、基本的にはったらかしである。

 潮騒しおさいをBGMに、老婆は淡々と手足を動かす。燃えるゴミは腰の袋へ、不燃物は手に持つ袋へ、それぞれ入れる。ある程度の量が溜まったら一度リヤカーへ戻り、黒の袋は可燃物の木箱へ中身を逆様に、透明なゴミ袋の方は種類(ごと)に分別する。袋を空っぽにしたら、再び海岸へ向かう。これを何度も繰り返していく。

「おはよう、“コウ”さん」

 幾度目かの分別をしていた時、不意に声が掛けられた。“コウ”と呼ばれた老婆が振り返ると、似たような服装の老齢男性が立っていた。

「おはようさん。今日はいつもより遅いね」

「昨日の昼にちょっと重たい物を持ち上げた時に腰を痛めちまって……痛みは大分だいぶマシになったけど歩く速さはやっぱり落ちてるね」

 そう言い、弱った顔で腰をさする男性。コウは「そりゃ災難だったね」と共感を示す。

「でも、偉いよ。体が痛くても日課のウォーキングを欠かさないんだから。アタシは衰えていく一方、現状を保つにゃ継続が一番さ」

 しみじみとした口調で語るコウに、男性は「いやいや」と謙遜するように手を振る。

「七十半ばの僕よりとおも上なのに、毎日重たいリヤカーを牽いて街を綺麗にしているコウさんの方がよっぽど偉いし凄いよ」

 絶賛する男性にコウは大袈裟だと言わんばかりに否定する。

 老婆はこの界隈で知る人ぞ知る有名人だった。“こう”と名乗る老婆は不夜城で過ごした人々が落とし残した塵屑ごみくずを片付ける活動を長きに渡りおこなっていた。それも台風が襲来した時を除き、雨の日も風の日も雪の日も欠かさず、である。本人(いわ)く『八十から先は数えるのが面倒になった』と年齢についてははぐらかすも、背筋はシャンと伸び手足もテキパキと動く。それ故に、高齢者を中心に憧れと敬慕けいぼの眼差しを送られていた。

「お互い、体と相談しながら程々に、ね」

「はい。では」

 男性はペコリと頭を下げ、離れて行った。毎日のように顔を会わせる馴染みの人に挨拶をするのが目的で、立ち話に興じる心算つもりは皆無な割り切った間柄だ。もっとも、こちらの領分をおかさず短時間で済ませる配慮があるからこそコウも応じているのだが。

 その後も砂浜とリヤカーの往復を幾度か重ねると、木箱はゴミで山盛りになった。通勤・通学の人達が出てくる前に、コウはリヤカーを牽いて何処いずこへと消えていった。


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