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私はロボット

作者: 雉白書屋

 ……妙だ。朝、いつものようにベッドから起きようとしたが、何かが違う。最近悩まされていた腰や関節の痛みが消えている。しかし、スッキリしている割には、どこか動きがぎこちない……これは驚いた。鏡を見ると、そこにはかつての私の面影はなく、金属の光沢を持つロボットの姿が映っていた。

 おそるおそる自分に触れてみるが、感触がまったくない。ただ、ひんやりとしていそうだ。だからだろうか、不思議と冷静に物事を考えられるのは。そういえば、起きたばかりなのに思考がクリアだし、この姿を見てもさほど驚きはしなかった。普段の私なら、間違いなく悲鳴を上げていただろう。この前なんか、蜘蛛を見てその場で踊ってしまったくらいだ。妻のあの呆れた顔は思い出したくもない。そうだ、妻と息子にどう説明すればいいのだろう。

 いくら冷静に状況を分析できるとはいえ、この体になった理由がわからない。それに、会社はどうする? 休むべきか。外に出れば、きっと大騒ぎになるだろう。毎朝の髭剃りから解放されたのは喜ばしいが……。

 ひとまず、私はリビングに向かうことにした。


「おはよー……わっ! 何!? どういうこと!? ロボット!?」


 妻が私を見て叫んだ。私は両手を上げて危害を加える意思がないことを示した。


「僕だよ。君の夫だ」


「あ、あなたが夫のわけないわ! 来ないで!」


「でも、愛してるよ」


 普段なら言わないようなことも、この体なら平然と言えた。


「愛? あなたに感情なんかないでしょ!」


「カンジョウ……? ア、ル、ヨ」


「なさそうじゃないの!」


「感情はないけど、計算なら得意だよ……勘定ね」


「うるさいわよ!」


「このマンションのローンは苦しいね。でも、甲斐性はあるよ」


「なんなのよ! 結局感情はあるの!? ないの!?」


 ここで私は「男の感情ならここにある」と股間を指さそうとしたが、できなかった。どうやら不適切だとガイドラインに引っかかったらしい。腰を突き出すのが精一杯だったが、息子が見ていたので言わなくてよかった。最近、『パパ』と『ママ』が言えるようになったばかりの息子は、私たちのやり取りに興味津々だった。


「さあ、行ってらっしゃい! あ、ゴミ出しよろしく!」


 結局、私はいつもどおり、家を出た。妻の動揺は長くは続かなかった。彼女が「ATMのような夫が理想」と言っていたのは本音だったのかもしれない。

 街の人々は私を見て「きゃあ!」や「うおっ!」などと驚き、そして笑った。思ったほど騒ぎにはならず、電車に乗ることを咎められることもなかった。まだみんな寝惚けているのか、それとも他人に関心がないのか、あるいはSF作家、科学者、映画監督たちのプロパガンダのおかげかもしれない。彼らに感謝。

 会社に到着すると、同僚たちは最初は驚いたものの、すぐに私の新しい体を羨ましがり、次々と質問を浴びせてきた。


「すげえなあ。感情はあるのか?」


「ないよ。ユーモアのセンスはあるけどね」


「悩むこととかあるの?」


「背中がかゆいときに手が届かないことかな」


「もう月曜日に憂鬱になることもないんだろうなあ」


「ああ、アップデートは火曜日だからね」


「雨でサビたりしないの?」


「大丈夫だよ。ただ、サービス残業は勘弁してもらいたいね」


「いやあ、素晴らしい。その体なら無休で働けるね」


「部長、私のバッテリーの持ち時間は八時間ですよ」


 みんなの質問や冗談に答え終わると、私は仕事を始めた。もうキーボードを叩く必要はなかった。取り外した小指の先端をパソコンのUSBポートに差すと脳と接続して、データが頭の中に直接流れ込み、完璧な効率で仕事をこなすことができた。

 ただ、外からは腕を組んで画面をじっと見つめているようにしか見えないので、机を指でカタカタと叩いた。すると怪訝な顔をしていた同僚たちが和やかな表情に変わった。

 私は周囲の期待通り、完璧なロボットとして休憩も取らずに働き続けた。すると、私を気遣い、同僚が電池を差し入れしてくれた。私は「これ、苦いんだよね」と言うと笑いが起きた。

 部長は私がどうやってロボットになったのかしつこく訊ねて、他の社員にも私のようになれと促していた。その中に、自分自身は含まれていないようだったが、みんなの顔から感情を察することができないことからすると、ロボットに一番近いのは部長なのかもしれない。


 仕事を終えて家に帰ると、妻が笑顔で迎えてくれた。しかし、温もりは感じなかった。私の夕食は用意されていなかったからだ。私は息子にご飯を食べさせ、遊んでやった。妻が夕食を食べ終えると、私は皿洗いと風呂掃除をした。妻はその間、テレビを眺めていた。

 息子を風呂に入れ、寝かしつけたあと、久しぶりに夫婦でベッドを共にした。ガイドラインの関係で詳細は省くが、彼女は満足した。

 彼女が眠ったあと、私は静かにベッドを離れ、一人でベランダに出た。

 街は眠りについており、人影は見当たらなかった。一羽の蝙蝠が飛んでいるのが見えたので、声をかけてみた。しかし、無視された。私の電子音の鳴き声は彼には理解不能だったらしい。

 夜空を見上げ、星を数える。私の計算は正確で、一つ一つの星に名前をつけることもできた。

 私は完璧な労働者であり、完璧な夫になった。つまり社会に受け入れられる存在になったのだ。


 ただ、思うのだ。私はロボットに『なった』のではなく『された』のではないか、と。その代償に何か大切なものを失って……。

 だが、今流れた一滴の涙を最後に、私はもう何も感じなくなった。

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