エステル・リード伯爵令嬢
ジリジリと迫ってくるマリーに不穏なものを感じ、足がすくんだ。
「よろしくありませんっ」
そう返して逃げようとしたが、ユージェニーがマリーたちに身ぐるみを剥がれるのに、そう時間はかからなかった。
「いいですか、バリキャリを目指すのであれば美意識の高く持たねばなりません! 女が仕事を続け、立場を守るためには必要不可欠!!」
「ふぇ!? ば、バリキャリ……!?」
「わたしたちのようなお屋敷勤めではなく、宮廷に出仕しようとしている平民や下級貴族をそう言うのです。いいですか、あんなところ魔の巣窟です!やりたいのであれば、負けてはいけません!」
マリーの気迫に負け、濡れたワンピースを取られ、風呂に入れられる。きっとサリィは気が付いていたのだろう、下着まで紅茶に濡れていたものも引っ剥がされた。
着替えだけかと思ったが、残念ながらマリー曰く『覚悟』が必要なほどの事態である。身体はもちろん適宜清めてはいたし、前世での入浴や洗顔の記憶があるユージェニーは庶民の中では綺麗にしているほうだが、これはまるで別物だ。これは入浴というより垢すりに該当する。
「痛ッ……! 皮が、皮膚ぅ〜!!」
垢すりは皮膚を傷めるのではなかったか!? そんなことを聞いた記憶があるような、ないような……しかしマリーに説明することができるはずもない。
「庶民にしては綺麗ですが、まだまだぁ!」
マリーの手際のいい処置で、身体が擦られる。皮膚が火を吹きそうだ。そしてどう擦ったらそうなるのか、まるで何年もの間入浴をしていなかったかのような垢がごりごりと排出され、完全に除去されていく。
「わたし、なんでこんなことぉ〜」
涙目で擦られていくユージェニーにマリーがぴしゃりと言った。
「まずは鼻持ちならない令嬢たちと戦うためでしょ! エステル様のお友達になられるのであれば、しっかりとそれ相応の見た目になってもらわないと困るのよ!」
「お、お友達……?」
垢を擦られたあとに頭から足の先まで洗われ、そのあとはマッサージだ。身体中をぎゅうぎゅうと絞られ、オイルでマッサージされた。
「ふぇ……つ、疲れた……」
「まだまだぁ!」
そのあとは染み抜きが終わり、乾かされたワンピースを着せられた。きっと有能な生活魔法の使い手がいるのだろう。
「庶民向けとして質は悪くないですが、これじゃ丸太です。ダサいです。この部分の生地を少し摘みますよ」
生地をつまむとワンピースのバストとウエスト部分にダーツが刻まれた。
――確かに。
マリーのちょこっとのアレンジですっかりと垢抜けたスタイルにみえる。
肌は磨かれたことで輝き、上質のトリートメントを施された黒髪は背中でふんわりと揺れ、ユージェニーを可愛らしく見せていた。
「ずいぶんとよくなりました。いいですか、神殿所属のあなたに侍女はつかないのですから、これからは自分で……」
あぁ……覚えられない。メモ、そうだメモだ。
メモを取り出し、必死に聞くユージェニーにマリーは熱心に指導を続け、前世でも成し得なかったナチュラルメイクの手法を手に入れたのだった。
なぜあんなにきれいに磨いてくれたのだろう。当主との懇談に薄汚れた庶民を同席させてはならないという配慮だろうか……などと穿った見方をしてしまう。
それでもきれいになったのは嬉しい。庶民の家庭には前世のようなシャワーや風呂はなく、神殿も拭き取るのが主流だから風呂は久々だった。
ユージェニーは案内されるままにエステルの私室へと足を運んだ。
「まぁ……! 見違えたわ」
部屋着に着替えたエステルはシンプルなワンピース姿で、ユージェニーと変わらない出で立ちとなっていたが、端々から漏れ出でる品格に圧倒されてしまう。
「やあやあ、これは可愛らしいお嬢さんだ。娘の危機を救ってくれたそうじゃないか」
人好きのするタイプの男性だ。もちろん器量は整っているものの、柔らかな印象のほうが先に立つ。
「とんでもございません」
必死にマナーを思い出し、丁寧に挨拶をした。
「何か礼をしたいのだが……望むものはあるかね?」
「いえ特に。アカデミーから支度金をいただいていますし、長期の休みの時には神殿の訓練校で下級生の家庭教師をしていますので、お金には困っていません」
それに将来は文官になって自分で稼いで欲しいものは手に入れる、入れてみせる。だから大丈夫だと言い切ると、エステルがなぜか誇らしげに言った。
「ね、お父様。言ったでしょう? とても自立した次世代の考え方の女性だと」
「あぁ確かに。革新派で推進している雇用拡大案にピッタリだ」
話の向きに理解が及ばないが、どうやら風呂に入れられている間にユージェニーがリード伯爵家にとって敵ではないという認定がされたようだ。あれは清めるためだけでなく、不審物チェックと身元チェックのための時間を稼ぐ意味があったのかもしれない。
変に抵抗しなくてよかった、伯爵家のお姫様に粗相をした罪で罰を受けてもおかしくない事態だったのだ。
「あなたとお友だちになりたいわ。きっとわたくしはあなたの役に立てると思うのよ」
よくない妄想に駆られていたユージェニーはキョトンとした。
いくら華やかなことに縁が薄いとはいえ、友だちとはそういうものだっただろうか?
「役に立つ? お友だちに必要な要素とは違うのでは?」
ユージェニーの知る友だちは趣味や気の合う者同士が集い、夜通しファミレスでくだらない話をするものだった。数少ない友人しかいなかったから、偉そうなことは言えないが……
「まぁ……! その通りね、あなたが正しいわ。だけどわたくし、お父様に頼んでみますわ……なかなかの策略家なのですのよ」
エステルがにこりと笑った。その笑みは花が綻ぶようで本当に美しい。この美しさを妬むなんてことを考えただけで畏れ多いことだと思う。
「もう、ユージェニー! あなたお気持ちがぜーんぶ、口から出ていてよ」
ころころと笑うエステルにユージェニーは頬を熱くした。
「いやだ、恥ずかしい」
真っ赤になるユージェニーにエステルが心を許すのに調査書は必要なかったが、そこに記された努力の痕跡にエステルは感銘を受け、社交界でははしたないとされるだろうユージェニーの率直さをも好んだ。そして積極的に茶会や音楽会にユージェニーを連れ出すようになるのに、そう時間はかからなかった。