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茶会


 その時、春風が紅茶の香りを運んできた。紅茶の芳醇な香りは自分のものと同じだったけれど、そこに甘い香りがふわりと漂ったのだ。よく見れば、彼女のカップの中身はわずかに赤みが強い。


 ――似てる。


 王都とはいえ街でよく出回っているものだったから、ユージェニーはその香りを知っていた。

 幸いエステルは反対隣の令嬢と話し込んでいて、カップに口をつけていない。


 ――どうしよう? 


 市井で流通している媚薬と香りが似ているなんて、真正面から話して信じてくれる確率はゼロだ。エステルはとても気立てが良さそうだけれど、そう親しくはないし……と迷っているうちにエステルがカップを手に取った。


「あ」


 ユージェニーは思わずエステルの腕に肘を当てた。それ以外、飲むのをやめさせる方法が思い浮かばなかった。


「あっ」


 カップがユージェニーの方へと倒れ、紅茶が勢いよく飛び出し、ユージェニーのワンピースの上で弾け、大きなシミを作ってしまった。


「まぁっ!」


 エステルの高そうな服を汚さずに済んで、ホッとした。ユージェニーのワンピースならあとでいくらでも染み抜きができるだろう。


「申し訳ありませんッ!」


 ヒソヒソと、あの方はやはりマナーが……などといういつもの陰口がさわりと広がっていくのをいたたまれない気持ちで聞いていた。


 『耳栓』ができるような魔術が使えればいいのに。わかっていてもやはり陰口は胸をえぐる。


 エステルは驚いたようだったが、周囲になんでことのなかったことを示すように、ハンカチでささっと紅茶を拭き取ってくれた。

 そのさりげない手際の良さが彼女の育ちの良さをあらわしていて、細く長い白い指を惚れ惚れと眺めた。


「わたくしの侍女が控えているの」


 行きましょうとにこりと美しい顔立ちをほころばせて微笑み、ユージェニーの手を取った。


 ……なんて美しいひとなのだろう。


 同じアカデミーに通っていても、今まで接点なんかなかった。エステルのことは知ってはいたけれど、改めてその美しさ、気立ての良さに触れ、納得してしまった。

 デビュー前にもかかわらず、リュシセスの花と呼ばれている彼女はきっと社交界の花になる。壁の花希望のユージェニーとは雲泥の差だ。


 視界の端に見落としてしまいそうなくらい微かに怒りに燃える女と、ねっとりとイヤらしい視線を向けてくる男の存在をピリピリと感じていた。それはやはり、危険を知らせていた。


 きっと頭がおかしいと、下手したら共犯だと疑われるだろう。だけど、こんなに優しいエステルに危険を知らせないのはユージェニーのなけなしの正義に反する。


「エステル様」


 茶会の輪から外れると、ユージェニーは意を決して話しかけた。


「おかしなことを言っているのは承知です。先ほどの紅茶に『夢幻(ドリーム)』が使用されている可能性がございます、お屋敷に詳しい方がいたら……エステル様の周辺をお調べいただいたほうがよろしいかと思います」

「『夢幻』……?」


 エステルはピンと来ている様子がなかったが、世話をするために近付いてきた侍女がハッとしたようにユージェニーを見つめた。


「エステル様が口にされたのですか?」


 噛み付くように侍女がユージェニーに詰め寄り、初めてエステルはなにか事件に巻き込まれているらしいことに気がついた。


「いいえ、まだです。どうしたらいいのか考えていたのですが、一番はしたない方法になってしまいました」


 赤味の強い紅茶に濡れたハンカチを差し出すと、侍女は指先でそっと摘み上げ、保存魔法をかけた。さすがにリード伯爵家クラスの家に勤める侍女は魔法が使えるらしい。

 手際の良い侍女はユージェニーをどう思ったのか……怪しんだのか、恩人と思ったのかは定かではない……有無を言わさず、馬車に押し込めた。


「どういうことなの?」


 まだ事情がわかっていないエステルは落ち着いた様子でユージェニーと侍女を交互に見つめた。ユージェニーは事実だけを述べようと、口を開いた。


「『夢幻』はサフランとカカオを主原料とした催淫剤です。街では割とよく流通している媚薬で、自然由来のものから出来ている為に身体に危険性は少ないですが……」


 薬に慣らされていない無垢な者への効果のほどはどれくらいだろうか。

 催淫作用により乱れ、男子生徒と一緒にいるところでも押さえられれば、令嬢と家の名に傷がつき、社交界どころではなくなってしまうだろう。

 エステルは考え込むように、うつむいた。


「誰がそんなことを」


 ユージェニーが主催のフルード伯爵令嬢とニヤついたヘルムス男爵子息のことを告げると、エステルはため息をついた。


「おふたりのことはもちろん知っていてよ。ヘルムスさまには何度かお誘いを受けたのですけど……お断りしたの。サリィ、調べてもらえないかしら」

「もちろんそのつもりです」


 ユージェニーはおそるおそる言った。


「あの、わたしが関わっていないかどうかも、公平な目でお調べいただけますか? 隠すことは何もないので、潔白の証明が欲しいのです」

「あなたのなにを疑うというの?」

「共謀している……とかエステル様に取り入ろうとしているとかそういうのです! わたしは何事においても熾烈な争いの中で相手を引きずり下ろすのではなく、自分を高めることが最善と信じています。卑劣な行為を見逃すことができなかったと証明が欲しいのです」


 神殿でも珍しい『よみがえり』になったのに、大した才能も出現しなかったという非常に残念な人間なのだ。

 前世落ちこぼれ、現世庶民で貧乏、親戚の縁も薄いユージェニーは誠実で努力家であることくらいしか誇ることがない。何かの折に巻き込まれれば、庶民のユージェニーと母ふたりくらい、簡単に消されてしまうだろう。


「安定した職につくことを望んでいますから、後ろ暗いことのある可能性を残したくないのです」

「安定した職って……官職ということ? 女性登用の枠はあるけれど、高位貴族の推薦状が必要だということは知っていて?」


 勉学に秀でていても、官職につくために推薦状が必要なのか。


「そんなこと、先生方は一言も……」


 真っ青になったユージェニーに、エステルは気の毒そうな目を向けた。おそらく貴族子女たちに華を持たせるため、庶民のユージェニーは民間の仕事を斡旋されるところだったのかもしれない。


「知っていて当然と思ったのか、もしくはアカデミーに残って、研究職に着いてもらいたいのかもしれないわね。もしくはあなた、語学が堪能でしょう? 別のお仕事の斡旋があったのではなくて?」

「そう……そういえば、あぁ、なるほど」


 アカデミーもボランティアではない。貴族たちからの寄付金ありきだ。ユージェニーはもう少しでそんな基本的な社会の仕組みにも気が付かず、卒業を迎えるところだった。

 勉強ばかりしていて、教師陣の思惑やその先のことを調べていなかったとは……こういううっかりしたところが前世でも災いしたのに、まったく学習できていない。


 ぐうっと言葉に詰まったユージェニーにエステルはにっこりと笑った。


「わたくし、アカデミーに入ってから3年近くあなたを見ているけれど、とても策略を巡らせられるようなひとには思えないわ」


 日々垂れ流しにされている悪口の数々を思い起こせば、言われている当人であってもエステルの言葉はずいぶんお気楽か、もしくは裏になにかあるのか……と疑心暗鬼になってしまう。


「あまり良からぬ噂が多いかと思うのですが……」


 そう切り出してみると、エステルは満面の笑みで言う。まぶしすぎて、目をそらしてしまった。


「ああいうのはね、嫉妬から生まれるものよ。あなたにかなわないから、羨んでいるの」

「それはただのがり勉っていいますか、素養のなさを努力でカバーしようとしているだけで……」

「まぁ! そんなイヤな言い方、してはダメよ」


 そうこうしているうちに馬車はリード伯爵邸に到着した。

 どのように連絡したのか、すでに伯爵邸ではエステルの帰宅を迎える準備が整っていた。


「ユージェニーさん、こちらへ」


 階段の先にあるゲストルームへと案内された。


「今はまだ家族が帰宅していないの。お支度が整う頃には帰ってくると思うから……マリー、よろしくね」


 お支度?


 ユージェニーがきょとんとしているうちに、サリィによって扉がパタリと閉まった。引き継いだ侍女マリーがにたりと不敵に笑む。


「お覚悟はよろしいですか」








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