アカデミースクール
パン屋の生活から神殿の生活に変わり、髪や背は伸びたけれど、手入れの行き届かない髪や肌、目の下のクマは変わらなかった。万年、絶賛寝不足中だ。
神殿の訓練校での学びを終えた十五歳のユージェニーはやはり魔力の出現はなかったが、特待生でアカデミーに進学が決まった。
あっという間に月日は流れた。何をしていたかというと、勉強と勉強と……テストだ。
廊下に貼り出された定期テストの結果をユージェニーは見上げた。
自分の名前の横に『最優』とあり、小さな赤いバラがつけられていた。
ホッと息をついた。これで今期も学費免除だ。アカデミーに入学して三年、なんとか免除を勝ち得てきた。ここは神殿と違って勉強以外の単位もある。作法やダンスをはじめとした運動だ。それもなんとかこなし、ここまでやってきた。
そんなこと、周囲を取り囲む貴族令息令嬢たちは考えもしないのだろうが、ユージェニーにとっては神殿に仮を作らないことは最優先事項だ。
目標の安定した就職……上級文官まであと少し。ユージェニーは決意新たにアカデミーの門をくぐったのだが、あと少しというところまできているのに心が折れそうだ。
「まぁ、また彼女よ」
「試験問題、先生から買ってるのかな?」
「失礼だわ。彼女にそんな余分なお金なんかないってこと、わかっていますでしょう?」
せせら笑う声がきぃんと耳朶を打った。何度聞いても慣れることがない。
「じゃあ盗んだのかもな」
「職員室に盗まれてないか確認しに行った方がいい。ロッカーも確認したほうがいいな……金目のものを盗まれたやついないかー!?」
あはは、うふふ……と上品な笑い声に交じる悪口だけでこれだ。他に耳をすませば、何を言われているのかわかったものじゃない。
だが知らなくて良いこともあるし、これから繰り返されることだろう。何よりも志しのためには強くならねば。
ユージェニーはため息を殺し、鉄仮面を張り付けた。
勤勉に勉強した結果、特待生でアカデミーにまで進学することができたけれど、所詮庶民のガリ勉、大多数の貴族に交われば、異質だ。
朝から晩まで机に齧り付き、時には神殿の仕事の手伝いにも出る。疲れは顔と髪に出ていて、勉強よりも手入れを怠らない優雅な同級生たちと比べると、貧相この上ない。
ちょっとした偶然が重なって、貧乏な平民が過ぎた環境にいるせいで、なにかと偏見の目の多い環境に置かれている。
おかげさまで他人の悪意に敏感になり、面倒を事前に避けることができるようになっていたけれど、やっぱりチクチクする嫌味は心をえぐる。
ユージェニーは順位を張り出された廊下から足早に立ち去り、作法の授業の教室へと到着した。
この作法の中の実地訓練だけ、どう頑張ってもB判定しかとれない。そこを座学で補い、なんとかA判定をもらっているのだが、やはり生まれた時から仕込まれた上品さというのは並大抵でないのだと肌で感じていた。
「定期開催の茶会だが……主催はフルード伯爵令嬢」
教師から発表された主催者にユージェニーは低く呻いた。くじ引きだったがかなり怪しいと睨んでいる。フルード伯爵家への忖度にしか見えない。
純血主義、というのか貴族であることに誇りを持っている保守派の一族の令嬢で、たびたび平民のユージェニーに嫌味を言ってくる。マナー違反などを指摘されるのは仕方ない、それはありがたい忠告だと思ったとしても、生まればかりはどうすることもできないのだから「これだから平民は……」などと聞こえよがしに言われても困る。
むしろ社交界で失敗しないための学内模擬社交界なのだから、マナー違反万歳だと思うのだ。そんな令嬢主催のお茶会、きっとなにやらユージェニーを筆頭に、他の令嬢たちのうちの誰かを陥れようと策略が巡らされていても不思議ではない。重々気をつけようと誓ったのだった。
定期開催されるアカデミー学内での模擬社交界の訓練の関門はいくつかあって、春のお茶会、夏のスポーツ観戦、晩餐会と冬の舞踏会が予定されている。
お茶会はまだいい。パートナーの必要はないから、ただ優雅に作法通りお茶を飲み、お菓子をいただき、会話に参加すればいいのだから。
面倒なのがそのほかのイベントだ。パートナーを探し、エスコートしてもらわなければならない。去年までは平民出身の神殿住まいの男子生徒がいたのだけれど、今年は気が重い。彼がひと足早く就職してしまったからだ。それに女子生徒の数が男子生徒を上回ってしまったそうで、確実にユージェニーのような生徒があぶれてしまう。それを見越してか、教師陣からは学外からの手配が間に合わなければ教師が帯同すると言われている。
イベントを開催するなら生徒数のことまで管理してほしい! と思うのだが、それは特待生で平民のユージェニーが言うことではない。まぁ最悪、欠席もありかと考えている。
さて、フルード伯爵令嬢によるお茶会だが、いくつか配置されたテーブルのうち、斜め前のテーブルについている男……ヘルムス男爵子息がフルード伯爵令嬢とさりげなく目を合わせ、ユージェニーの隣にいたエステル・リード伯爵令嬢をちらりと見たのが視界に入った。
ぞくりと虫唾の走るような、とてもイヤな感じだった。うっかり汚泥のぬめりに手を突っ込んでしまったような、気持ちの悪さが付きまとった。
最悪だ。絶対に何か企んでる顔だった。