プロローグ ポールソン伯爵家キース ⭐︎キース視点⭐︎
十五年前 王都にて
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ポールソン伯爵家嫡男キースは馬車の窓の外を眺めながら、ため息をついた。リュシセス国の王都の煉瓦が敷き詰められた貴族街の道で揺られているところだった。
午後の日差しの中で金混じりの茶の髪が艶やかに光っている。
先程受けた強いストレスのせいで頭が痛む。赤みがかった茶の瞳をすがめ、彫りの深い顔立ちを神経質そうに歪めているものの、しっかりと背筋を伸ばして座っていた。
厳しくマナーを教え込まれていなければ今すぐに足を組み、座席に寄りかかってしまいたかった。
今日は友人のリード伯爵家嫡男ジェフリーのもとに生まれたエステル令嬢の三歳の誕生日だった。
十八歳で社交界に入るやいなやひとつ年上の令嬢と盲目的な恋に落ちたジェフリーの愛娘の誕生日会という名の茶会だ。断ることなど、考えてもいなかった。
会場はエステルの両親……次期当主夫妻の友人たちで溢れていた。
社交は嫌いじゃない。むしろダンスは好きだし、華やかなパーティーは大好きだ。何が気に入らなかったかというと、煩わしい結婚市場だ。
キースはもともとの顔立ちの良さに加え、長く社交界の流行の先端を行く母の影響でセンスも良い。
爵位があり、社会的にそこの影響力のある立場、豊かな領地、相当な資産は着飾ったレディたちにたちまち群がられるのに十分な理由となった。
紅茶の香りを消すほどのコロンの香りを振りまくレディたちは扇子の影で、キースの耳元でそっと囁くように話す。
その耳朶をくすぐる吐息のこそばゆさにゾクゾクする男も多いだろう。だが誘惑され慣れているキースにとっては『可愛さ』と『思わせぶり』な演出のひとつでしかない。
清純でかよわき名家の令嬢たちがどうしてああいう手管に長けているのか、不思議でならない。誘惑の仕方も指南されるのだろうか……誰に? 誘惑に慣れても、疑問は尽きない。
ウンザリと周囲を見渡せば、右にも左にも締め上げられた細いウエスト、押し上げられた丸い膨らみを上質な布地に包み隠されている。
砂糖菓子のような彼女たちのすべてが条件のいい男を捕まえるための甘い罠だ。そんな見え透いた魂胆のかたまりを摘み取る気になれない。
かつてエスコートを依頼された令嬢たちはたちまち社交界の花となって、より好条件の紳士たちのもとへと羽ばたいて行った。
『あなたにとっても興味があります』といった風情でまつげをパタパタさせていた彼女たちは、キースが『結婚』にまったく興味がないことをすぐさま察知し、手のひらを返したのだから強かなものだ。
「……面倒だ……」
恋愛も遊びも、さらりと楽しめばいい。
紳士クラブの付き合いや議会と同じく、生活の一部であり仕事のうちのようなものだと思っている。領地の仕事と同じように段取りを組み、必要な部分だけ楽しめばいいのだ。深みにハマるのは楽しそうではないし、面倒だ。
結婚は家として必要であれば、そのうち父が話を持ってくるだろう。
キースは深く息を吸い込んで吐き出し、先ほどまでのストレスを忘れようとするかのように目を閉じたのだった。
この日のすぐ後に父が急逝し、急遽継承した伯爵家当主として忙しく日常を過ごすうちに婚期を逃すことになるのだが、この時の彼はまだ何も知らない。