4話 憂鬱な日曜に
「……ゆーうつ」
と、ベッドの中で口にする。
起きて最初に口にする言葉がそれなの? と、自分でも思う。
小学校の時にあった出来事をまるっきり真似た──そんな夢を見た。
それも、出来事の途中まで。嫌な夢、後味の悪い夢。
「和己、朝よー、そろそろ起きなさーい?」
「あ、はーい」
ドアの外からお母さんの声。
身体を起こし、ベッドから出る。
◆◆◆
「……憂鬱」
と、つい口にする。
今朝もそんなことを口にしたような、してないような。
今日は特にすることがなかったから、近所の公園に一人で歩いてきた。
ソロお花見だ、なんて意気込んできたものの、やっぱり憂鬱。
日曜というだけあって、家族連れや大学生の集団がたくさん。
幸い、今僕が座っているベンチの周辺には桜の木はないため、ゆったりできなくはない、のだけど。
時折、かけっこか何かをしている子供が近くまで来るため、変に怪しまれないかな、と思ったりはする。
「……はぁ」
外の空気を浴びたいだけなのだ。
こんな気分になるのなら、新庄を誘ってみればよかった。
小学校から最近まで、新庄に頼り切りな気がしたから、たまには一人で近所をぶらぶらしようと思ったのだけど。
「帰ろうかな」
「えー、帰っちゃうの?」
「っ!?」
も……のすごく、驚いた。独り言に言葉が返ってきたから。
僕の左隣に、いつの間にか女の人が座っていたのだ。
音もなく。脳裏に『不審者』だとか『幽霊』だとか浮かぶくらいには、いつの間にか、そこにいた。
「……って」
知り合いだった。
知り合いと言いたくはないけれど、事実だから仕方ない。『一応』知り合いだ。
「高崎さん、でしたっけ」
なるべく動揺を表に出さないように、淡々と話すことにする。
「そうだよ! 覚えててくれて嬉しいよ、安喰君!」
至近距離まで顔を近づけて、目をまっすぐ見つめながら話す高崎さん。
──帰ろう。とにかく帰ろう。家まで急いで帰ろう。
誰かと話したいからこの公園に来たわけではないのだ。
「すみません、僕はそろそろ……」
「あ、待って! 君に訊きたいことがあって──」
「……何でしょうか」
立ち上がった僕の左手が掴まれ、引き留められる。
仕方ない。答えたら、さっさと帰ろう。
「安喰君って、包美と同じなの?」
「え、つつみ?」
「逆だけど、同じ? なのかなって」
つつみ──包み? 同じ? 逆?
何のことか全くわからず、途方に暮れていると。
「あ、高崎さーん!」
と高崎さんの名前を呼びながら、公園の入り口からこちらに向かって走ってくる女の人が一人。
高崎さんの知り合いだろうか。
「包美! ほら、この人が安喰君だよ!」
「ああ、昨日友達になったっていう……初めまして、道原包美っていいます」
「あ、どうも……安喰和己です」
つい名乗ってしまったけれど、悪手だったかな。
知らない人に名乗るべきではないだろう。たとえ相手が同い年くらいの人だとしても。
……つつみ?
「で、安喰君! 包美と同じなの?」
「すみません、質問の意図がわからないんですが……」
「えーっと、これ以上は言っちゃいけないから……」
言ってはいけない?
一体、何を。
またもや途方に暮れていると、『つつみ』と呼ばれた──道原さんが口を開いた。
「すみません、急に変なことを訊いてしまって」
「い、いえ」
「変なことじゃないでしょー、包美」
「ほかの人から見たら、変なことかもしれないでしょ、高崎さん」
むー、と一回唸ってから、納得できなさそうに道原さんにぐいっと近づき、高崎さんは言葉を続ける。
「大事なことだよ、包美にクラスでの新しい友達を作るために」
「……はぁ」
道原さん、呆れている。
……ん? 『クラスでの』?
「え、もしかして」
「……すみません、言い忘れてました。私、安喰君と同じ橋前高校の1年1組に入ったんです」
「あ、ああ……なるほど」
高崎さんをなだめるために渋々、といった感じに教えてくれた。
クラスメイトなら、一安心。
「ねえ、包美! 友達、欲しくないの?」
「……高崎さん」
「包美と同じ悩みを抱えてる人なら、包美の新しい友達に──」
「高崎さん!」
高崎さんの両肩を掴み、少し大きな──公園には響かなさそうな声で、道原さんが高崎さんを叱る。
「私を心配してくれているのはわかるけど、勝手に色々言い過ぎだよ。安喰君、困ってるでしょ」
「うぅ……ごめんなさい」
高崎さん、しゅんとしてしまった。
──それを不憫に思ったから、だろうか。
僕はつい、質問をしてしまっていた。
「あの、道原さんって──」
──性同一性障害なんですか、と。
◆
「……」
道原さん、俯いて黙り込んでしまった。
それを見て、高崎さんはあたふたしている。
そんな光景を見ていたら、なんでだろう、──新庄がかけてくれた言葉を思い出した。
『安心しろ』
それだけの言葉。
それでも、思い出しただけで安心できる言葉。
「……僕は」
もしも、道原さんが『あれ』なのならば。
僕の内面を打ち明けることで、道原さんが安心できるのならば。
「僕は、……僕の性別がなんなのか、わからないんです」
無意識に、しかしはっきりと、道原さんに聞こえるように。
僕は生まれて初めて、そんな言葉を口にした。