3話 高崎喜以子と道原包美
「えっと」
その言葉の意味するところは、一体。
「どういう意味ですかね、僕は男で──」
「うーん、そんな雰囲気がしたんだけどなぁ。なんでだろ」
ダメだ、僕そっちのけで自分の世界に入ってしまった。
──さっきの言葉に心当たりがある分、嘘をつくのは憚られる。
心当たりと言っても。
あくまで『夢の中で女の子の姿になっている』だけなんだ。
現実で『女の子になりたい』と強く思ったことはないし。
──憧れは、あるけれど。
「……あっ、もしかして安喰君って、女の子になりたい人?」
──言いやがった。
ここはしっかり否定しておかないと、僕の高校生活が悲惨なことになってしまう。
「いや、そういう……わけ、では……」
随分と歯切れの悪い返答だな、と答えながら思う。
ここで否定してしまっていいのだろうか、という意味のわからない思考が、頭の中に浮かんでしまったから。
「性同一性障害、とか?」
今は性別違和ってもいうんだっけ、と呑気に話しながら、首をかしげてこちらを見てくる。
性同一性障害はともかく、『性別違和』なんて言葉、なんでスムーズに出てきたのだろう。
「あの、違い、ますよ」
またまた歯切れが悪くなる。
僕は確かに、自分の性別に悩んだことがある。
でもそれは、夢の中での出来事が強く頭に残っているから、そう思っただけ。
「MtFじゃないの?」
「ええ、違います」
精一杯取り繕った笑顔で答える。
「ふーん」
一切信じていなさそうな反応。
変な返答はしていないし、疑われるような行動もしていないはずなのに。
『でも安喰君って』と前置きして、再び僕の目をじっと見つめて。
「『MtF』って言葉の意味、知ってるんだね」
「え?」
そうか、さっき『性同一性障害』じゃなくわざわざ『MtF』という、普通の人は知らない言葉で訊いてきたのは、こういう風に話を持っていくためにわざとしたことだったのか。
──この人、怖っ!
はっ、として周囲を見渡す。
幸い、僕らの周りには人は少ない。
高校生らしき人もいないし、今の会話が誰かに聞かれたりはしていない。
「あ、バスの時間があるので、そろそろ失礼しますね」
これ以上この人と話していると、いずれボロが出てしまいそうだから。
購入したバッグの入った紙袋をせかせかと持ち上げ、ショッピングモールの出口へ走り出す。
「またねー、安喰君!」
「あ、はい……」
小声で返しておく。
◆
「はぁ……」
駅前から少し歩いたところで、思わずため息がこぼれる。
バスの時間が──というのは咄嗟に出た嘘。来るときに歩いてきたのだから、帰るときももちろん歩き。
僕にしては、よくできた嘘なのではないだろうか。
「……まったく」
周囲に人がいないことを確認してから、独り言を口にする。
不思議で、怖くて、変な人と知り合ってしまった。
これから3年間通う高校に、あの人──高崎さんがいると考えると、憂鬱な気分になる。
心を読まれているようで、──こんなことを言いたくないけれど、気味が悪かった。
今日のことを他の人に言いふらしたりしないといいのだけれど。
言いふらされていないと信じよう。
◆◆◆
「お待たせ、高崎さん」
女子トイレが凄く混んでいたから、随分長く高崎さんを待たせてしまった。
「あ、包美! ねえねえ、聞いて聞いて!」
「もう、なに?」
高崎さん、私がトイレに行く前より元気だ。
それにどこか、嬉しそう。
「何かあったの?」
「うん! 友達ができたの、安喰和己君!」
「えーっと、同じ高校の人?」
「もう、包美ってば……」
呆れられてしまった。
「同じクラスの安喰君だよ! ほら、自己紹介もしてたでしょ?」
「あ、ああ……いた気がする、そんな人」
「みんな忘れっぽいなぁ」
ぷんぷん、とかわいく頬を膨らませる高崎さん。
──かわいい。
「自己紹介、やっぱり全員分覚えてるんだね」
「もちろん! 友達を作るためには必要だからね!」
「やっぱすごいね、高崎さんは」
天才肌の高崎さんと違って、私はそこまでは記憶できない。
普通の記憶力しかない、ごく一般的な人間だから。
「安喰君、面白い人だったよ」
「面白い……どんなところが?」
「えっとね」
んー、と少し考えた後。
「包美にすごい似てたんだ」
「似てた?」
安喰『君』っていうくらいだから、男子なのだろう。
なのに、『身体は女子』の私に似ている──?
「すっごく『女の子』って雰囲気がしてたんだ。安喰君は『違う』って言ってたけど、MtFって言葉を知ってたから、もしかしたら内面は……」
「そこまで、高崎さん」
「え?」
私に制されて、首をかしげながら話すのをやめる高崎さん。
「それ以上はプライバシーに関わることだから、まだ言わない方がいいと思うよ」
「うん、わかった! 安喰君ともっと仲良くなってからだね!」
「まあ、うん、そういうこと」
分かってくれたのなら、何でもいいや。
さて、と。
「帰ろっか、高崎さん」
「うん!」
今日は素直に応じてくれた。ありがたい。
◆
「……あ」
「どしたの?」
歩いてそれぞれの家へ帰る途中。
高崎さんが、小さく声を発した。
「なんか変だなって思ったら、安喰君、歩いて帰ったんだ」
「……何の話?」
時々、こういう風に話が飛ぶことがある。
──聞けば、安喰和己君は『バスの時間が』という理由で、私がトイレから戻るよりも早くショッピングモールを出たらしいのだけど。
向かっていったのは、バスの停留所がある出口ではなかったのだとか。
普段使わないバスが停まる場所も記憶してるの、さすがだなぁ。
「嘘つかれたのかな」
「ど、どうだろうね」
ここで私まで嘘をついてしまったら、高崎さん、もっと落ち込んでしまう。
別の話題に向けさせるほかない。
「そうだ、帰りにジェラート食べていかない? ほら、この近くに新しくできた、っていう」
「ジェラート! うん、そうする!」
上手く誤魔化せたようだ。
「ジェラート、どんなフレーバーにしよっかな?」
「楽しみだね」
子供みたいにはしゃぐ高崎さん。
──高校でも、私が近くにいよう。
中学の時みたいなことに、ならないように。