10話 『きっと大丈夫』
翌朝、水曜日。高校へ向かって歩く。
周りには誰もいない。別に遅刻ではない、──けれど、ちょっと急いだほうがいいかも、くらいの時間。
だというのに、僕は。
「……はぁ……」
とぼとぼと歩き、深い、深いため息を吐いていた。
昨日のゴタゴタで、入ろうとしていた軽音楽部に迷惑をかけてしまったし、道原さんたちの部活見学の時間も台無しにしてしまった。
何より──いじめられていた過去が、みんなにバレた。それが正直、一番キツイ。
そんな結論に至る時点で、僕って自分勝手だな、なんて思い、また落ち込む。
(……学校、行きたくないな)
仮病で休んでしまえれば、どんなに楽だろうか。
──おあいにく様、僕にそんな勇気はない。
「はぁ……」
校門が見えてきて、もう一度、深くため息。
ずり落ちそうになっていた、左肩にかけたカバンを右手でかけなおし、入学式のアーチの面影がすっかりなくなった校門を通り、校舎へ向かう。
◆
「おはよ、新庄」
「おはよー安喰……どうかしたか?」
「……何が?」
言って思う。『何が?』って。
おかしな返答だった。声色もいつもの僕とは違う、ちょっと低い感じ。
だからだろうか。
「何かあったのか?」
小声で、真剣な表情で訊いてきた。
訊かれたからには答えなければ──というわけにはいかないのが昨日の出来事の辛いところ。
「ちょっと昨日、ベースの練習しすぎちゃって夜更かししちゃって。ただ眠いだけだよ」
「そうなのか?」
「うん」
「……そっか。悪いな、変なこと訊いて」
うん、うまく誤魔化せたみたいだ。
◆◆◆
放課後。
「見学行こ、安喰君!」
「え、えっと……」
新庄が見学に向かったのを確認して、そーっと帰ろうとしていたのだけれど、高崎さんに声をかけられてしまった。
……あれ?
「道原さんと一緒じゃないの?」
「包美ならもう見学行ってるよ。ほら、立って立って! れっつごー!」
「お、おー……」
仕方ない、覚悟を決めて、部室に向かうとしよう。
◆
覚悟を決めて、なんて言ったけれど。
「……」
「ん、どした、安喰君?」
「あ、いや……えっと……」
渡り廊下の途中で、足が止まってしまった。
自分でもわかるくらい、呼吸の回数が増し、動悸が激しくなっている。
「あ、あは、は……」
なんでもないよ、と笑おうとしたけれど、上手く表情を作れない。
ダメだ。多分、きっとダメなんだ。
僕が部室に行ったら、またトラブルが起こってしまう。
先輩たちに迷惑をかけて、高崎さんにも道原さんにも、──新庄にも迷惑をかけてしまう。
だから、僕は行っては──。
「安喰君!!」
「っ! あ、あれ、道原さん……?」
いつの間に。
目の前には、先に見学に行っているはずの道原さん。
高崎さんは──渡り廊下を渡った先で、新庄と何かを話している。
「高崎さんと安喰君、遅いな、って思って教室に迎えに行こうとしてたんだ。そしたら、二人の姿が見えて」
「……ごめん、心配かけちゃって。だい、じょうぶ、だから」
「そんな風には見えないよ!」
……道原さんの大声、初めて聞いた。
「安喰君、昨日のこと、まだ引きずってるんだね?」
「いや、そんなことは」
「私の目を見て話して」
……見れない。
どんなに怒っているか、分からないから。
──両手でほっぺを掴まれ、グイっと正面を向かされる。
咄嗟に目をつぶってしまった。道原さんのことが、少しだけ──。
「私のこと、怖い?」
「……っ!」
伝わってしまった。
「そんなにぎゅっと目をつぶらなくていいんだよ、安喰君」
「え……?」
頭にポン、と手をのせられた。
そのまま、なでなで。
「大丈夫。きっと大丈夫だから。全部スムーズに、ぜーんぶうまくいく。だから──部活見学、行こ?」
道原さんの両手が、僕の両手を包む。
ああ、そっか。この人は──『敵じゃない』。
「ごめん、うん、行く」
「うん! よーし、行こー!」
渡り廊下の先で待つ、新庄と高崎さんの元へ。
その先の部室へ向かい、歩き出す。
◆◆◆
見学は(驚くほど)スムーズに終わり、下校途中。
「ね、ねえ、新庄」
「ん、なんだ?」
恐る恐る。
おっかなびっくり。
そんな表現が似合う声で、右隣を歩く新庄に気になっていたことを訊く。
「見学の前、高崎さんと何を話してたの?」
僕が渡り廊下で立ち止まってしまっていた時。
新庄と高崎さんが何かを話していたのは確認済み。
その後すぐに聞けばよかったのだけど、すぐに部室に着いてしまったから、聞けていなかったのだ。
「ああ。昨日の部活見学のことだ」
「昨日の、って……」
聞きたくないけれど、聞かなければ。
たとえ、──心の底では失望されていたとしても。
「的内がお前に暴言を吐いた、って高崎から聞いたぜ。ったく、小学生の時、俺にコテンパンにされたの忘れてやがるのかねぇ」
のほほんとした口調で呆れる新庄。
だけど、その言葉の中には──怒りが隠れているようで。
「……ごめん」
「何を謝ってんだよ。悪いのは的内だ。お前はなんにも悪くはねぇ。……俺の方こそ、あの時みたいに守ってやれなくてごめんな」
「……っ!」
頭にポン、と左手を乗せられる。
罪悪感やら恥ずかしさやらで泣きそうになったのを、ぐっ、と我慢。
「だから、さ」
「うん」
「軽音楽部に入ろうぜ、一緒にさ」
「……うん」
また、新庄の言葉に助けられた。
「やっと笑顔になったな、安喰!」
「新庄のおかげでね。ありがと」
「気にすんな。友達だろ?」
「……あはは。うん!」
こんな、少し小恥ずかしい会話だって、なんでだろ、新庄とならスムーズにできるのだ。
やっぱり、新庄は凄いなぁ。
強張っていた心が、和らいでいく。
◆
「それじゃ、また明日」
「うん、また明日」
いつもの分かれ道で別れ、僕の家へ向かう。
その途中で、いつも夢に見る公園が視界に入る。
ふと、直近の数日に、いつもの夢を見ていないなぁ、と思った。
──なぜだろう。
今夜は、夢を見そうな気がした。