1話 安喰和己
性別って、何なのだろう?
そう思ったことが、何度もある。
夢の中では、僕はいつだって女の子。
髪を伸ばしても、かわいい格好でも何も言われない。
夢から覚めたら、鏡に映るのは見慣れた男の子。
顔も、髪型も、声も男の子。
一体どちらが現実で、どちらが『本当』なのだろう。
女の子になりたいだとか、男のままでいたいだとか。
わからない。
けれど、答えを見つけないまま、消えていくのは絶対に嫌だ。
この春からの3年間で。
僕は、答えを見つけられるだろうか。
「……はぁ」
わざとらしく、だけどほかの人にはバレないように、ため息を吐きながら。
僕は、校門に特設された桜色のアーチをくぐった。
◆◆◆
「安喰和己です、よろしくお願いします」
自己紹介を最短で終え、再び着席する。
さすがに、中学に入学した時とは違い、クスクスと笑われることはなかった。
小学校が一緒だった人が少ないから、というのが一番の理由だろうけれど。
「新庄樹です。橋前中学出身で、趣味は音楽鑑賞です。よろしくお願いします!」
笑顔で自己紹介する、新庄が同じクラスにいるから笑われない、というのもあるだろう。
小学校でいじめられていた僕を助けてくれた、僕の大事な幼馴染。
(……あ、まただ)
新庄のことを見ていると、心が高鳴る。
あいつには色々なことを相談したけれど、この気持ちのことだけは相談していない。
まだ、僕の中で嚙み砕けていないから。
どんな感情であったとしても、相談してはいけない気がして。
◆
新庄の自己紹介以降は、流し聞き。
他者に無関心、みたいな理由じゃない。
──どうせこの学校でも、あいつ以外の友達はできないだろうから。
「高崎喜以子です! 趣味は読書です、よろしくです!」
……今の人、随分元気がいいな。
「道原包美といいます、皆さん、よろしくお願いします」
今度は、抑揚のない口調の女子。
……あ、スラックス履いてる。
そうだった。
この学校は、女子はスカートかスラックスか、選べるんだった。
今の人以外にも、このクラスだけでも10人くらいはスラックスを履いている人がいる。
女子は制服を選べていいなぁ、と考えてしまうあたり、やっぱり僕は──。
◆◆◆
「……疲れた」
ホームルームが終わり、先生がクラスから出ていくと、緊張が解けたのかどっと疲れが出てきた。
来週の月曜日に行われるオリエンテーションの紙を見終えて、帰ろうと席を立つと。
「帰ろうぜ、安喰」
新庄から声をかけられた。
本当はこっそり一人で帰るつもりだったけれど。
「うん、帰ろっか」
家が近いのに、断るのも変だろうし。
一緒に帰ることにする。
◆◆◆
「なあ、安喰」
「なに?」
帰り道、左隣を歩く新庄が口を開く。
「お前、また俺に気を使って、一人で帰ろうとしただろ」
「うっ……」
バレていた。
僕なんかと一緒に帰っているところを見られたら、嫌だろうし。
何より、新庄にも新しい友達ができなくなってしまう。
「自分がいるから俺に友達ができない、とか考えてるんじゃないだろうな」
「……エスパー?」
「何年友達やってると思ってるんだ? お前の考えそうなことくらい、分かるよ」
やっぱりすごいなぁ、新庄は。
──すごいやつだから、邪魔しちゃいけないと思ったのだ。
「友達ならもうできたからな。隣の席のやつなんだが──」
「そ、そう。よかった」
こいつに新しい友達ができるのは、喜ばしいこと。
なのに、胸が締め付けられる。この気持ちは本当に何なのだろう?
独り占めしたいわけじゃないのに。
◆
「……安心しろ!」
「え?」
帰宅するため、分かれ道を右に曲がって数秒後。
左に曲がって少し歩いているはずの新庄が、後ろから走ってきた。
い、一体何の用だろう?
「安心しろ。新しく友達ができても、お前と友達であることは、変わりないんだからな」
「あ……うん、ありがと」
「それだけ。そんじゃ!」
「うん、それじゃあ、ね」
それを言うためだけに、わざわざ戻ってきてくれたらしい。
走って自分の家の方へ向かう新庄の後ろ姿を見て、心が温かくなった。
安心しろと言われて、安心する。
僕ってば、ひどく単純だ。
◆◆◆
帰宅し、自室に行き、着替えてベッドに腰掛ける。
夕食までは、まだ数時間ある。
少しだけ寝ようと思い、目覚ましもセットせずに、電気をリモコンで消して横になる。
お気に入りのアルバムをスマホでかけて、目を閉じる。
3曲目に差し掛かったあたりで、ふわっ、と身体が宙に浮く。
その後、引きずり込まれていく感覚。
僕は、夢の中に向かった。
◆◆
夢を見ていた。
いつも通り、相も変わらず、僕の姿は女の子。
その場でくるりと一回転。スカートがひらりと宙に舞う。
トップスには、かわいらしいリボンがついていた。
いつも目覚める家を出て、誰もいない道を歩き、場面は飛んで公園に。
ベンチに座り、空を見る。──絵の具を混ぜ合わせたような、混沌とした色の空。
ここで、ようやくこの場所が夢だと気付く。
所謂、明晰夢。
心地よい。だって、僕が『僕』として存在できる場所だから。
夢の中なら、何を着ても誰にも何にも言われないから。
いつも通りの空。
いつも通りの地面。
いつも通りの風景。
この場所だけは、完全に安心して過ごすことができる。
小学校でしてしまったような、失言をしても問題ない。
一人でいることに、陰口を叩かれたりしない。
趣味や嗜好について、何も言われない。
立ち上がろうとして、左隣に誰かが座っていたことに気が付いた。
──これは、いつも通り、じゃない。
トップスはポロシャツで、ボトムスは七分丈のチノパン。
男の人らしい。顔は──って、え?
◆◆
「……っ!」
あれ、ここは──自室。現実か。
突然のことだったから、まだ鼓動が早いまま。
夢の中でびっくりしたから、覚めてしまったのだろう。
確か、興奮すると明晰夢は覚めてしまうのだとか。前に調べたことがある。
──いやいや、そんなことより。
夢に出てきたあの男子は。
「新庄……?」
◆◆◆
夕食を食べて、シャワーを浴びて、2階の自室で電気をつけたまま横になる。
「……」
あの男子は、確かに新庄だった。
もちろん、明晰夢とはいっても、ただの夢であることに変わりはない。
強く印象が残った人物が出てきたことも、今までに何度もある。
それは親であったり、兄であったり、先生であったり。
──でも、新庄が出てきたことは、一度もなかったような。
あの時──小学校のあの時だって、そんなことはなかったのに。
なんであいつが夢に出てきたのか、確かめたい。
スマホを手に取り、電話帳を開く。
数人しか登録していない一覧の、真ん中あたりの『新庄樹』を押そうとして──やめた。
夜に電話しても、迷惑だろうし。
それに──電話した理由が『夢に新庄がでてきたから』なんて言われたら、なんて言われるか。
悪口を言うようなやつじゃないことは分かっているけど。
馬鹿馬鹿しくなって、電話帳を閉じ、スマホの電源を消す。
「……寝よう」
充電ケーブルをスマホにさして、目を閉じる。
僕が明晰夢を見るのは、昼寝や二度寝をした時だけ。
夜は普通の夢を見る。
尤も。
夜に見る夢の中でも、僕の姿は女の子なのだけど。
「おやすみなさい」
明日は休日。
ゆっくり寝よう。
いい夢が、見られますように。