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僕を拾った八人の使者  作者: 夕暮 瑞樹
彼等の居場所
46/50

番外編 坤と艮

 此処からの内容に関しましては、今作で登場する八卦の其々が、どういった経緯を辿って世界を跨いだのかを描いています。今作の設定上、何らかの事故やトラブルで植物人間又は脳死になった方々が対象となる為、少々重い印象を受けるかもしれません。あくまでも番外編なので、そういう表現が大丈夫だよ、という方のみお読み下さい。

 こんなご時世ですから、さぞかし体調や気分の変化にはお気をつけて。では、大丈夫という方のみ、引き続きお楽しみ下さい。

「母さん?帰ったよ。」

「あぁお帰り、遅かったねぇ。」

「うん。ちょっと研究の片付けが手間取っちゃってね。」

僕はそう適当な事を言いながら居間を通り越し自室に入った。自室の中には、小さな勉強机が二つ並んでいる。その内の片方の机の引き出しを容赦なく開けると、がらんどうの引き出しの中に唯一入っている、『柳田悟』と書かれた免許証と生徒手帳を手に取った。

 実はさっき母に伝えた言い分は出鱈目で、僕が帰りを遅らせたのにはまた別の理由がある。それは僕の双子の弟である、悟の訓練所に訪れていたからなのだ。

「母さん、僕と悟ってまだ似てるかな。」

「似てるけど、急に如何したの?」

「子供の頃は、よくどっちか分かんないなんて周りから言われるんだけど、それって大人になっても変わらないのかなって。ほら、成長していく中で人間って顔立ちが変わっていくでしょ?今でもどっちか分かんない時ってある?」

「んーどうだろうね。私は毎日一緒にいたんだから区別は付くけど、確かに言われてみれば分からない事もあるかも。何のアドバイスかは分からないけど、私が貴方達を見分ける時に注目しているのは目だね。」

「目?」

「そう。だって貴方、少し吊り目だし細いでしょ?」

「あぁ、確かに。」

と自分の顔を鏡で確認する。確かにこの免許証や学生証に貼ってある顔写真と比べれば、僕の目は吊り気味で細かった。

「こうすればどう?」

「んー?あ!似てる似てる。悟だわ。」

「フフ、そっか。」

「それで、顔を似せて何の研究をしているの?」

「アハハ、それとこれとは別だよ。今は悟がいないから、ちょっと思い出したかっただけ。」

「あら、兄弟思いなのね。だったら勉強だって教えてあげたら良かったじゃ無い。」

「教えようとしたけど、断られた。」

「あらそう。」

と母さんは引き続き洗濯物を畳む。「あの子どうしているのかしらね。」と庭を見ながら呟く母の後ろ姿を、僕は何とも言えない目で見ていた。あいつなら元気に戦闘機を乗り回してるよと伝えたかったけど、それを言ってしまっては自分の嘘も証言する事になりそうだからやめた。

 悟は今、戦闘機の訓練を受けていて、成績はかなり良いと言う。僕と違って運動神経が優れているから、それを活かして彼は勉学を放り投げた様だけど、軍隊なんて僕に言わせて貰えば「お国の為なら」と刃物を持って叫び続ける玩具だ。人を殺すの一択で争ったとしても、この研究が上手くいけば、きっと僕の方が殺傷人数は遥かに上回るだろう。そうで無くとも此方は何の代償も無く唯研究を楽しんでいるだけ。強いて言えば労働勤務が代償に値するのかもしれないけど、そんな精神的な攻撃なんて僕にとっては屁でも無い。それに毎日母さんには会えるし。僕は研究の一方で医学の方も触れちゃいるけど、病院にくるのは患者のほとんどが出兵から帰ってきたら兵士さん。軍隊の末裔を、僕は直で見ている訳だ。絶対、確実に此方の方が幸せなのにな。何で軍隊なんかに魅力を感じちゃったんだろ。

 僕はそんな事を思いながら今日書いたばかりの研究ノートを開く。ペンを持ち、いそいそと紙の上を走らせると、時の流れなど止まったように進んでいった。

「咲哉、晩御飯はどうするの?」

その言葉に、我を取り戻す。

「今日ね、近所の清峰さんにおはぎを貰ったの。」

「清峰さんって豆腐屋の?」

「そう。今日お鍋にしようと思って豆腐を買いに行ったら貰い物なんかしちゃってね。お腹が空いてないならおはぎだけでも食べなさい。」

「いや、僕も鍋するよ。」

母さんが鍋をする時は大概寂しい時だ。確かに最近は一緒にご飯を食べるなんて事無かったし、父さんも軍隊へ行ってしまって帰ってこない。母さんの相手が出来るのは、今の所僕だけだった。

「鍋に椎茸なんて珍しいね。何かあったの?」

「何かあったのなんて、そりゃあ貴方達の誕生日じゃない。」

「え、もうそんな時期かい?」

確かにカレンダーを見ると、今日の日付に大きく赤い丸が書いてある。

「自分の仕事に没頭するのも良いけど、たまには息抜きしなさいよ。」

「うん、そうだね。」

「そういや貴方、ちょっと立ってみて?」

「立つの?何で?」

「良いから良いから。」

僕は言われた通りに起立をすると、母が僕の足元を確認する。

「あ、やっぱり貴方脚が伸びたのね。通りで何時もより目線が高いと思っていたわ。」

僕も母の目を追って足元を確認すると、ズボンの裾が短くなっている。最近買ったばかりなのにな、と惚けると、母は奥から裁縫箱を持ってきて、今すぐズボンを脱げなんてなんて言うもんだから何でだよと笑ってしまった。

「段々貴方達もお父さんに似てきたわね。」

「そう?」

「そうよ。足首だけじゃもうお父さんとそっくり。」

そうやって笑う母さんを最近見た事があっただろうか。僕が知る限り、それはかなり前の記憶でしか無かった。

「…悟、元気にしてたよ。」

ふと母さんが縫い掛けのズボンから顔を上げる。

「悟にあったのかい?」

「うん。嘘ついてごめん。今日は研究を早く切り上げて軍の基地に行ったんだ。父さんに会うつもりで行ったんだけど、生憎父さんは仕事中だって。それで悟に会った。制服、似合ってたよ。ゴーグルも、格好付けて頭に嵌めちゃって。」

「そうかい、元気にしてたのね。ちゃんと食べてたかい?」

「うん。鍛えている筈なのに、太っている様にも見えた。」

「そうかいそうかい、良かった。本当に良かった。」

有難うねと母に告げられ、嬉しい反面嘘を言ってしまった罪悪感が全身に広がっていく。本当は、父さんにも会った。だけど、父さんは痩せこけ、ありのままを母さんに伝えられる程の状態では無かった。悟に関してはありのまま伝えたけど、太っている様に見えただけで実際太っていたかどうかは分からない。唯本人が元気そうだったからよしとした。もう時期、父さんが帰ってくるだろう。それは決して役目を終えたという良い意味での帰宅では無く、残り少ない時間を家族と共にしなさいと言う、ちょっとは人間の心を持った上司の命令での帰宅だ。父さんとは色々あった仲だけど、まさかこんなにも身体の弱い人だとは思っていなかった為、今日会った時の変わりように僕は心を打たれた。

「この椎茸、母さんが食べて良いよ。」

「何でだい、貴方の祝い品なんだから貴方が食べなさい。」

「いや、だって悟がいないじゃない。僕だけ良い思いなんて出来ないよ。」

「…それもそうだけど。じゃあこうしましょ。私が悟の代わりに半分食べるから、咲哉はもう半分を食べなさい。」

「何でそうなるのさ。」

「咲哉も悟も、私のお腹の中で育ったんだ。私が食べた物は貴方達の栄養になる。それは今でも変わらないわ。悟の分は私が送ってあげるから、咲哉は自分で食べなさい。ね?」

全く、母さんって人は。こうして食卓を囲む家族が僕しかいない事を一番悲しんでいるのは母さんの筈なのに、今日の母さんは僕の為に一段と場を盛り上げてくれている。

「分かった。」

僕はそう答えるしか選択肢は無かった。悲しみ混じりに食べた椎茸にふにゅっと歯が食い込み、そのまま何の抵抗も無く椎茸は二つに分断される。そして更に分断され続け、遂には喉を通るまでの大きさに砕かれる。

「美味しい。」

自然と口から出た言葉は、研究で使う様な複雑な単語を用意なくても、しっかりと相手に伝わった。

「そうだね。美味しいわね。」

母さんもしっかりと噛み締める。

「きっと悟も美味しいって言ってくれてるよ。」

「そうだと良いわね。」

そして僕らは鍋を食べ終わり、片付けに入った。

 明日は研究所は滅多に無い休みだ。これを逃すと、次の休みは後…三ヶ月後。その頃にはきっと父さんは瀕死の状態で家に帰って来ているし、悟の生死が分かっているだろう。僕は運が良いのか悪いのか分からない。今日ギリギリ軍の基地に入れたのは、運が良い事。だけれど、其処で知らされたのは悟が明日出兵するとのやけに丁寧なご報告。つまり、明日悟はあの玩具みたいな戦闘機に乗って、人を殺しに海外まで出陣するのだ。

 やだやだ、これ以上母さんが悲しむなんてやだやだ。いっそ馬鹿になってみようかな。いっそ頭のネジを全て外してみようかな。軍に走ったあいつみたいに、勉学どうこう、派手に出てみようかな。僕はその日の終わりまでじっくりと頭を働かせ、馬鹿げた計画を立ててみる。その計画表をみながら、うんうんと頷き、ベットに入った。


 そして今。僕は昨日と同じ様に、軍の基地の門まで来ている。

「あの、悟の出兵を見届けたいんですけど。」

「あぁ、昨日の…えっと?」

「柳田咲哉です。」

「咲哉君だね。お、今日は一段と悟君に似てるじゃ無いか。出兵まではまだ二時間もあるけど、間違えて君が出兵させられない様に気を付けてね。」

「ええ、気を付けます。」

「じゃ、悟君ならまだ寮にいる筈だから。昼までは中にいてていいそうだ。」

「有難う御座います。」

「はいどうぞ。」

と来賓用の名札を渡される。僕はそれを胸に着けて、寮へ向かった。

「悟ー?」

柳田と書かれた扉を開くと、扉の奥から声が聞こえる。

「んー?、って兄貴、今日も来たのかよ。」

「うん。そうだけど。」

「そうだけどって、俺後何時間後には出兵するんだけど。」

「うん。そうだけどさ、悟。懐かしのゲームしない?」

「ゲーム?」

「そう。僕と悟が入れ替わって、誰が初めに気付いてくれるかゲーム。」

「そういやそんな事やってたな。でも良いのか、それで誰からも気付かれ無かったら兄貴が出兵させられ兼ねないけど。」

「良いから良いから。こうしよう。悟の制服って、予備あったっけ?」

「うん。三着ある。」

「じゃあ僕がその制服を借りて、少し周りを歩いてくるよ。でまた帰ってくるから、悟は部屋にいといて。」

「そんな事したら、もし長官にバレたら捕まるぞ?止めといた方が良いんじゃ無いか?」

「大丈夫だって。すぐ帰ってくるから。」

そう言って無理矢理制服を剥ぎ取り、装着する。

「俺の兄貴って、賢いんだか馬鹿なんだか。」

「僕は馬鹿だよ、君と同じで。」

「一言余計だっつーの。良いか、直ぐ帰ってくるんだぞ!」

「うん。分かってる。」

僕は半分言い終わらない程度に部屋を出る。そして片手をポッケに突っ込んだ。

(あぁ、やっぱり。)

数時間に出兵という事は、数時間後には戦闘機に乗り込むという事。つまりはこの鍵が無きゃ戦闘機が動かないんだ。悟はおっちょこちょいな所があるから、こういうのには勘が働か無いのだろう。安易と脱いだ制服の、ポッケに入っている鍵に注目していた何て本人も想像していなかったんだろうな、と僕は戦闘機が置いてある、半分屋外に通じる部屋まで辿りつくと、そのガレージを開けて戦闘機の前に立った。

「おい、其処で何してる。」

急に後ろから声を掛けられ、少々油断していた身体はビクッと肩を上がらせる。

「あ、なんだ。柳田さんか。出兵前にどうしたんですか?」

「ちょっと点検を。出兵途中に壊れてしまっては不味いからね。」

「成る程。やはり柳田さんは優秀ですね。一応報告書に書いておきましょうか?」

「いや、大丈夫。直ぐに出て行くよ。」

「分かりました。では、僕は暫くは戻ってこないので、ガレージの開け閉めはしっかりして下さいね。」

「了解。」

こういう時悟はどう接しているのだろう。もしかして敬語を使うべきだった?相手が少し戸惑っているのを思い出して、しまったと頭を掻いた。でもそんな事はどうでも良い。あの子は暫く戻って来ないんだから、此方からすれば何よりの好都合だ。

「これで良し。」

もう今すぐにでも出発出来る状態まで持って来ておいて、僕は再び戦闘機を降りた。

 急いで悟の部屋まで戻ると、部屋の中心で本を読んでいた悟が顔をあげた。

「おかえり。どうだった?」

「どうも何も、誰からも気付かれやしなかったよ。」

「へぇ、なんか悔しいな。見つかっちゃえば良かったのに。」

「ハハ、そんな事したら母さんになんて言われるか。」

「アハハ、そうだな。」

と悟は本を閉じて僕が脱いだ制服をまた着直した。

「じゃあ僕、帰るよ。」

「え、見送りに来てくれたんじゃ無かったの?」

「、?来たじゃ無いか。」

「あれ、俺が思ってた見送りとは違った。なんかこの後予定あんの?」

「うん。豆腐屋の青峰さんに昨日のおはぎのお礼を言いに行かないと。火曜は昼までしか開いてないでしょ?」

「おはぎってなんだ。あ!まさか兄貴…!」

「フフ、そのまさかだよ。」

「あーくそっ一人で誕生日楽しみやがって!」

「アハハハハ。」

それが兄弟で話す最後の会話。

 僕は、引き返して来た道を辿り直し、また戦闘機に乗る。開いたガレージを前に、エンジンに鍵を刺してアクセルを踏む。幾ら急いだとはいえ、ちょっと楽しみ過ぎたかな。人がいる気配はないけれど、細心の注意は何とも欠かせない。僕は隅々まで自分の安全を確認し、前進を始めた。戦闘機の運転が出来るかと言えば、嘘になる。唯、パイロットだった父のおかげで、多少の運転方法や操作方法は覚えていた。そんな父の記憶に従い、僕が乗った戦闘機は浮上する。そして誰にも気付かれぬまま、僕は遠い森の上を、優雅に飛んでいた。

「ヤッホー‼︎」

なんて叫びながら、僕が飛行を楽しんでいると、ちょっと困った事に気付く。

(自分、何でこんな事しちゃったんだろ。)

おふざけで立てた計画を、こんなにも素直に身体が従うなんて思ってもいなかった。初めは僕が戦闘機を盗んだおかげで少しでも悟の出兵予定が狂えば良いなと思っていたけど、これからどうしようという思いの方が優先度が増していく。何処にも行く当てがないし、着地場所も見当たらない。

(あぁ、どうしよう。)

その精神の乱れが、大惨事を生むのだろう。僕は未来に気を取られ、目の前に迫っていた高木にぶつかった。最後に聞こえたのは、プロペラが木の枝一つ一つに引っ掛かって少しずつ湾曲していく、惨たらしい機械音だけだった。




 一方、悟の方でも参事は続いていた。

「あれ、俺の戦闘機は?」

「え?柳田さん、さっき点検してませんでしたっけ。」

「点検?してないぞ。」

「え、でもさっき…。」

どうしよう。何故かは分からないけど俺の戦闘機が無くなっている。もしかしてこの状況は俺に出兵するなと言ってくれているのかな。でもそんな事ある訳ないし。

「まぁ良い。今出せる戦闘機はあるか?」

「あります、ちょっと点検が足りてませんが、待機している戦闘機が二機程。」

「分かった。点検なら俺がするから、その内のマシな方を出して来い。」

「了解です。」

そうして持ってこられたのが、少しサビついた戦闘機。こりゃちょっとどころじゃ無いぞと思いながらも、仕方がない為修理に励んだ。

「まぁこれで何とかなるだろ。」

正直不安でしか無いが、もう出兵時刻は後五分に迫っていて、つべこべ言っている時間は到底無い。

 急いで乗り込み、エンジンを掛ける。

「では、行ってらっしゃいませ。」

一つずつ機材を確認していき、やっと戦闘機のアクセルを踏んだ。そして前進を続け、浮上する。浮上しきって、他の仲間についていきながら周りを確認していると、この機体の何処からか、ネジが外れる音がした。やはりちょっとの点検だけじゃ足りなかったようだ。けれど飛行は簡単には止められない。悔しい思いを膨らませながら、悟は自分の死を感じた。そして遂に、機体は聞いたこともない悲鳴をあげ、墜落したのである。

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