恒久理想式の成り立ち
矮小なる人の身でありながら、絶対の神の如く振る舞うことなどできるものか。善良であれば、なおさらだ。
目が覚めると、あたりには何もなく、遥かな地平線が広がっていた。
「ここ…… どこ?」
というか、私は誰だっけ。なんとなく曖昧な記憶を辿る。私は、遠野真央。職業はプログラマー。記憶が正しければ、連日徹夜で作業してて、一段落ついたから自席で仮眠を取ってて……。
(どう考えても元いた場所じゃないね。目が覚めたと思ったけど、まだ夢の中なのかな)
あるいは、死んだか。そんなやわな身体じゃないと思ってたけど、死ぬほど疲れてたからね。納得感すらある。だとしたら、仕事が完全に終わってないのに、放り投げてしまった形になっちゃうか。
(ごめんね、エンジ)
プロジェクトリーダー、幼馴染のエンジに、心の中で謝っておく。近藤炎慈。死んじゃった今なら素直に認められるけど、私は彼のことが好きだった。思いを伝えられていたら、何か変わったのかな。わかんないや。
(まぁ、死んじゃったものはしょうがないよね。でも、ここ本当に何もないね。自意識が残ってるのは悪いことじゃないんだけど、することがないのは落ち着かないな)
現代の都会っ子だったからね。物に溢れた生活から、いきなり何もない空間に放り出されても困る。しばらくぼんやりしていると、どこからともなく、仄かに光る小さな何かが飛んできた。なんだろう、あれ。
(おおきな、つよいちからをかんじる。あたたかいひと、あなたはだあれ)
心の中に、儚い声が聞こえる。
「誰!?」
(わたしたち、よわいもの。かたちをなくしたこころのかけら。あなたはつよくて、かたちがある)
仄かな光は、ふわふわとあたりを漂っている。声の主はこの光?
(そう。そうだよ。よわいから、みんなあつまって、やっとおもいがうまれるの。あなたはひとつでじゅうぶんなのね)
……形を亡くした心の欠片。たぶん、死後の魂が向かうところ。天国や、地獄。やっぱり私は死んでいて、ここが死後の世界なんだね。
「そっか。私は真央。よろしくね、先輩」
(まおう。あなたは、つよいいしのちから。わたしたちにやくめをくれる)
役目? 目的がなくて何もできないから、目的をくれる人を探してるのかな。
「私が何かしたいなら、手伝ってくれるってこと?」
(そう。それがわたしたちのよろこび)
そうだね。何もやることがないのは、それはそれでつまらない。神様なんて大層な仕事ができるかは分かんないけど、他にやることもないから。
「それじゃ、この世界をより良いものにしていきましょう」
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「取り敢えず、こんなもんかな」
生前の経験のおかげで、私が欲しいものを創るのは容易だった。存在の理想を定義して、その振る舞いを創る。プログラミングと大差ない。昼夜の概念とかは元々あったから、創世の神話をなぞる必要もなかった。ただ、食べられるための生物が生まれるようにとか、ものを作るための資材とかを、表面的に再現するだけだったらね。だから、本質的には生前のものとは似ても似つかないけど、それを気にする人はどこにもいない。
(というか、太陽とか月を作れって言われても、作り方なんて想像つかないからね。神話だと「光あれ」の一言で終わってたけど)
光、すなわち秩序を一言で創れる神様は、人智を超えた技術者である、というのは間違いない。もちろん、それは創世神話を事実だと捉えた場合の話であって、現実的に考えるなら、世界は法則ありきで、たまたまそうなった、というだけなんだけど。
「ありがとうね。式のみんな」
(助けになれたなら良かった。それが我々の役目だから)
世界の維持には「式」と呼ぶようにした、精霊の助けを借りている。漂う心の欠片を集めて存在を確立し、最低限の思考と、命令の遂行が出来るようにしたもの。ただ想いのみを糧として、よく働いてくれる。
(意思疎通できる相手はいるから、十分といえば十分なんだけど、やっぱりちょっと寂しいね)
人のための世界を創っても、そこに生きるのが私一人だけ、というのはむなしい。神様が自身の似姿を創った、という気持ちが分かる気がする。全然違うかもしれないけどね。
(だったら、次は人を創らないと)
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人らしいものを創って、随分と時間が経つ。……彼らの思考能力は、私が欲していた要求水準を全く満たしていない。自分の欲望に極めて忠実で、他者のことを省みることもなく、式のみんなに感謝もせず、望みが満たされないと、すぐに不満を表す。確かに、人ってのは本来そういうものかもしれないけど。
(私が不出来だから、不完全なものしか創れなかった)
最初から分かっていたことではあった。私は、完全無欠の神様では断じてない。理想の表面をなぞることは出来ても、その理念を理解していないから、完全な再現には全く至らない。何を生み出しても、どこか歪で、壊れている。私は、昔からそうだった。一緒に働いてくれる誰かの助けを得て、成果を修正して、やっと実用に足るものが出来ていたんだ。
(私一人では足りないなら)
もっと信頼できる誰かを呼んで、手伝ってもらおう。私がここに来れたなら、経路を繋げて引っ張ってくることもできるはず。だったら、それを解き明かせ。再現しろ。
「……誰か、助けて」
これ以上、私を独りにしないで。
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度重なる試行と検証の果て、召喚の式は成った。経路を繋ぎ、縁を辿り、私のいた世界から、まっとうな思考能力を持つ人を連れてくることができるようになった。たまに悪い人も混じっていたから、そういう人にはお還りいただいたけれど、多くの人は善良だったから、世界の維持はより安定するようになった。
(……でも、本当にこれでよかったの?)
召喚した人に責務を押し付けることについては、彼ら自身にも見返りもあるから、そんなに気にしてるわけじゃない。そもそも私が欲しかったものはなんだった?
エンジ。会いたかった人にもう一度会うために、私はずっと頑張ってきた。もうどれだけ時間が経ったかもわからないけど、私が召喚した人達は、どれも私が生きていた頃と大差ない時期の人であるようだった。理屈まではわからないものの、だったら、まだ望みはある。
……そう、思っていたのに。
「つまり、僕にこの世界を維持する技術者…… 君たちが言うところの技能者として働いてほしい、ということだね」
「そうなりますな、召喚者殿」
間違いない。アレは私だ。性別は違うけど、アレが遠野真央という存在であるというのは認識できた。それが意味していることの本質はまだわからないけど、私の望みが叶わないことだけは確定してしまった。
(ここにエンジを呼べたとしても、それは私の知ってるエンジじゃない)
捻れていたのは、時間だけじゃない。繋がった世界は、私が元いた世界ですらなかった。似ているだけの、別の人。私にとっては同じでも、彼にとっては私は無関係な存在。
(神様、大丈夫? とても辛そう。わたしたち、心配)
……大丈夫じゃない。無理を重ねてまで存えることに、なんの意味もなかった。誰と一緒にいることもできずに、永遠に独りのまま。
(神様。わたしたちは今まで、あなたの意志の力に頼り過ぎていた。言葉にできないくらい、感謝してる。だけど、それがあなたにとって苦痛にしかならないなら、もうやめてしまってもいいんだよ)
……意志があるから、苦痛が生まれるのなら。私も意志がなくなればいいのかな。
(それがあなたの望みなら、わたしたちはそれを尊重したい。後のことは、ここに生きる人たちと、わたしたちに任せて、ゆっくり休んで)
流石に、そこまで無責任に投げ出すことはできない。だから、力が及ばなくても、せめてこの世界に生きる者たちに、恒久の安寧と平穏があるように願おう。ここは、意志の力が強く作用する世界。想いや願いが形になるところ。だから。
「至らなかった私の願いが、この世界の平和に繋がりますように」
いずれはここに来るかもしれない、大好きだった彼のために、この世界を理想で満たせるように。私もまた式となろう。由来も知らない、ここの言葉でいうなら、恒久理想式として。存在が完全に風化するまで、ただみんなのためにあろう。
そうして、形も何もかも曖昧になって、私は世界と一つになった。
……神ならざる娘は、最期まで知らなかった。神に求められる適性とは、管理対象に憐憫の情を持たないことであることを。