お話の続きを教えて
「木こりのむすめは、赤い液体が入った小びんをカイトにわたすと言いました。『これを持ってお行き。きっとどこかで役立つよ』カイトは、お礼を言うと、雪が吹きすさぶあらしの中、マリンの手を取って裏のとびらから逃げて行きました。はい、今日はここまで。続きはまた明日ね」
「逃げられたのはよかったけど、外は吹雪なんでしょう!? カイトとマリンはどうなっちゃうの?」
「それは明日のお楽しみ。みんながいい子でいてくれたら続きが分かるわ。さあ、これからは掃除の時間よ。部屋に戻って」
日干し煉瓦となだらかな低地を覆う果樹園が特徴的な、穏やかな海に面したジュゼッペル村。ここにいると、この国が3年にも及ぶ内戦で荒廃していることなど忘れそうになる。しかし、それを思い出させる施設がこの村にはあった。第27収容所。ここには3歳から17歳までの、戦争で親に死なれたり生き別れた敵国の子供たちが30人ほど収容されている。元は紡績工場だったところを軍が買い取って改造したため、住み心地は決して良くなかったが、元々悲惨な境遇の者が肩を寄せ合って暮らしているため、誰も文句を言わなかった。
元は一つの国だったものが、3年前からカルティアとドルディカに分かれて内戦を続けている。拳の落としどころが分からない戦争は、双方とも犠牲者を量産しながら泥沼化の様相を呈していた。ジュゼッペル村はカルティアの南端に位置する小さな村で、敵国人の収容所を作るという話になった時は大騒ぎになったが、収容されるのが子供たちだけと聞いて保守的な村人たちは胸をなでおろした。実際、元紡績工場の高い壁に阻まれ完全に遮断されていたので、村への影響は殆どなかった。
(ああ……今日も終わりか。続きはどうなるんだろうな。明日は夜勤だから聞けないや)
食堂室の外に立って警備をしていたカルティアの兵士、マーカス・ターナーは、ポカポカした陽気に意識を持っていかれそうになりならぼんやりと考えた。収容所にいる中でも最年長の娘、コレットが考えた奇想天外な冒険話「空の王子と海の王女の大冒険」はおもちゃも本も殆どない第27収容所において、貴重な娯楽となっていた。お互い喧嘩ばかりしている子供たちも、昼食が終わった後のひと時は、コレットが紡ぐお話を夢中で聞いている。空の王子カイトが城を追い出されてさまよううちに海の王女マリンと出会い、二人で新しい国を作るべく冒険をするお話。コレットが創造したドキドキワクワクのおとぎ話に、たちまち子供たちは惹きつけられた。それは大人も同じだった。中でも、収容所を警備する兵士の中で一番若いマーカスは、コレットが作り出した物語が気になって仕方がなかった。お話の時間になると警備をする振りをして、聞こえる場所に移動したり、勤務表を見て休日や夜勤だとがっかりするまでになったのだ。
「失礼します。名簿を返却しに来ました。子供たち全員元気で、病気の者はおりません」
「いつもありがとう、コレット。君のお陰で助かっているよ。男の兵士は子供の扱いが分からないから、君がいなかったらどうなっていたか分からなかっただろう」
事務室に顔を出したコレットに初老にさしかかった所長が声をかけた。コレットはにっこり笑って部屋を後にした。
「本当にコレットがいてくれてよかったですね。今や子供のお世話役として欠かせないですもの」
そう言ったのは、マーカスの先輩のルイスだった。マーカスよりも2歳年上のルイスとは、年が近いこともあってよく仕事が一緒になる事が多かった。
「まあな。ここは12歳までしか収容できない決まりなんだが、コレットはどこにも行く当てがなくてうちで引き取ったんだ。結果的に寮母的なことまでしてくれて助かっているよ」
「しかも、彼女だけどこかの貴族令嬢なんでしょう? 一人だけ場違いじゃないかと不安でしたが、貴族の割に高飛車なところがなくて、面倒見もいいですね」
マーカスは初耳だった。確かに17歳のコレットの次は12歳になるので、年齢構成がいびつだと不思議に思っていた。おまけに貴族だったとは。言われてみれば所作や話し言葉に品の良さが垣間見える。本人はおくびにも出さないが、いい暮らしをしていた貴族令嬢が、平民の子供と同じところに収容されて、不自由な暮らしを強いられて、本当はどう思っているのだろう?
そんなことを漠然と思ったマーカスは、数日後、井戸の前でコレットと一緒になった。
「あ、マーカスさんおはようございます。今日もいい天気ですね」
収容所の中は広くなく、警備する兵士の数も限られているため、彼らとは顔なじみになっていた。当然マーカスのこともコレットは知っている。
「あっ、おはよう。今日も物語の続きやるの? どこまで進んだ?」
「カイトが赤目の竜と戦うところです」
「もうそこまで行ったんだ。しばらく夜勤と休みが続いてたから空いちゃったな」
「え? 楽しみにしてくれたんですか?」
コレットが水の入った桶を床に置いて、驚いたように聞き返した。
「あ、ああ、うん。最初はたまたま耳に入ったんだけど、聞いてるうちに面白くなっちゃって、続きが気になるようになった」
「……嬉しい。子供たちが喜んでくれるのが一番ですけど、大人でも楽しんでくれる人がいたなんて」
コレットは、頬を赤らめ屈託のない笑みを浮かべた。
「学はないけど、本を読むのは好きなんだ。空の王子と海の王女と言うのもドルディカに古く伝わる建国神話が元でしょ? 空の神と海の女神が大地を作った話。母方の祖母がドルディカ出身なんで聞いたことがある」
それを聞いたコレットの顔から突然笑みが消えた。
「……それ所長に言うんですか?」
「え? 俺何かまずいこと言った?」
「無害なおとぎ話を装って、敵国の国威発揚を煽っているとでも?」
「ええ? そんなこと考えたこともないよ……」
さっきまでとは打って変わって、必死の形相で詰め寄るコレットを見て、マーカスはただたじろぐしかなかった。ドルディカの子供の心をつかむには工夫された設定だと思ったに過ぎないのに、コレットがここまで過剰反応する理由が分からない。
「お願いします。心に傷を負った子供たちの唯一の楽しみなんです。私たちから物語を奪わないで!」
コレットは目に涙を浮かべながらマーカスに懇願した。元よりそんなつもりのないマーカスはびっくりして答えた。
「大丈夫だよ! 誰にも何にも言わないから! 信じて!」
それを聞いたコレットはやっと安心した様子で、水の入った桶を持って去って行った。
(何だったんだ……今のは……)
何となく後味の悪くなったマーカスは、その日は食堂室の外に立つのがはばかられた。コレットの気分を害してしまったことが申し訳なく思って、話を聞くのが悪い気持ちになったのだ。
やがて日が落ち、三日月より細い月が夜空に浮かんだ。勤務時間が終わりに差し掛かったマーカスは、井戸の水を汲んで顔を洗っていた。そこへコレットがおずおずと近づいて来た。
「あの……さっきはごめんなさい……取り乱してしまって」
「こっちこそごめん……何だか無神経なことを言ってしまったようで……」
コレットの謝罪に対して、マーカスもあいまいに返したが、空気が気まずいままなので、思い切って正直に尋ねてみることにした。
「あのっ……俺バカだから何がまずかったのかまだ分からないんだけど、これから気を付けたいからきちんと教えてください!」
収容所の少女と、それを監視する兵士という関係にもかかわらず、マーカスは頭を下げてコレットに頼んだ。コレットは目を丸くして驚いていたが、やがてぷっと吹き出した。
「どうか頭を上げてください。私の勘違いだったんです。前のことがあるから過敏になっていて……」
コレットから聞いた話によると、前にいた収容所では、ドルディカに関わる話題は厳禁で、禁を破ると鞭で叩かれたのだという。ここに来て、何もかも失った子供たちに夢を持ってもらおうと、王子と王女が活躍する物語を思いついたが、小さい子供でもとっつきやすくするために、ドルディカ人なら誰でも知っている建国神話の設定を盛り込んだ。カルティアの中でもジュゼッペル村ならドルディカ人は殆どいないので気付かれることはないだろうと思ったらしい。
「そういうことだったのか……無神経ですまない。ただドルディカの子供たちには親しみやすくていいなとしか思わなかった……」
「あなたは嫌じゃないんですか? カルティアでドルディカの話をすることは?」
「うん? 別に嫌じゃないよ。故郷を懐かしく思う気持ちはみな同じじゃないか。偉い人は知らないけど、下っ端の兵士なんて君たちとそんなに変わらないよ」
コレットはほっと安心したような表情になった。
「いつも食堂室の外に来るのに、今日はいらっしゃいませんでしたね。もしかして、今朝のことがあったから?」
「あ……バレてたか。まあ、それだけじゃないんだけど……何か申し訳ない気持ちになって」
「申し訳ないのはこちらの方です。あなたを誤解して委縮させてしまった。せっかく私の話が楽しみと言ってくれたのに。お詫びと言ってはなんですが、お時間がある時に、今までのお話をおさらいしましょうか?」
「最初から話してくれるの?」
マーカスは、自分でも意外なほどに顔をぱっと輝かせて喜んだ。
「混乱しないようにノートにあらすじを書いているからどこからでも話せるんです。その場によってアドリブは変わりますけど。眠れない子供たちにも聞かせてあげるんですよ」
勤務の都合上、所々話が抜けているのが実は不満だった。それが、作者自身から、始めからおさらいしてもらえるなんてまたとない喜びだ。マーカスはすっかり嬉しくなって何度もお礼を言った。
「私こそ自分が考えたお話を喜んでくれる人がいてくれて嬉しい……物語を作ってよかった」
コレットも頬を赤らめて恥ずかしそうに微笑んだ。こうして二人の交流が始まった。
**********
「最近なんか楽しそうだな。いいことでもあった?」
夏の太陽が照り付けるある昼下がり、汗だくになって仕事をしているところにルイスが話しかけて来た。この収容所は、古い紡績工場を改築したものなので、あちこちガタが来ており、壊れたらその都度修理している。この日も仮眠室に繋がる扉が壊れてしまい、木戸を直していた最中だった。
「特に変わったことありませんが……俺いつもと違います?」
「鼻歌うたいながら仕事してたからさ。嬉しいことでもあったのかと思って」
特段嬉しいことなどない、通常通りの日常だ。強いて言うなら、コレットとよく話すようになったので、楽しみが増えたことくらいか。
「まあ別にどうでもいいけどさ。ところで、お前はどうしてここに配属されたの?」
急に話題が変わったことに少し驚いて、マーカスはルイスの方に顔を向けた。
「普通お前みたいな若い奴がこんなのんびりした部署に回されるわけないじゃん。本来ならよぼよぼのロートルと相場が決まっている。俺はさ、前線にいたんだけど、負傷してこっちに回されたクチ。お前もそうなの?」
「自分も同じですね。去年まで前線に送られていたんですが、足を負傷してからこちらに配属されました。もうよくなったんですが、ここを離れたくないので、まだ回復しないと言っています。元々山育ちなんで足は丈夫にできているんです」
「よくそんなことベラベラ喋るな? 俺チクっちゃうかもよ?」
意地悪そうな笑みを浮かべながらルイスは言ったが、マーカスは平気だった。
「先輩は言いませんよ。俺と同じだから。もう前線には行きたくないでしょう? 俺のことチクったら先輩まで目を付けられるの分かってますし」
「……ちっ。お前案外頭回るのな。仕方ねーから黙っといてやるよ」
ルイス以外は年の離れた先輩しかいない職場なので、同年代の彼の存在はマーカスにとって心強かった。時折冷やかしたり、憎まれ口を叩くことはあるが、気の置けない間柄であるのは確かだ。
この日は、早く今の仕事を終わらせて、外で洗濯ものを取り込んでいるコレットのところに行きたかった。昨日の話の続きが気になっていたのだ。木戸の修理を終えて急ぎ足で庭に回ると、コレットが取り込んだ洗濯物を運んでいるところだった。手伝うよと代わりに荷物を持ってやり、その隙に話の続きをせがんだ。
「カイトが城を出たのは単に意地悪な義母に追い出されたからだけじゃないの? 出生の秘密が隠されていたなんて知らなかった。道理で時々ひっかかってたんだよな」
「カイトがマリンを見つけたときに萌黄色の宝石が輝いたのもそれが伏線になっているんです。伏線回収まで長くすると子供たち忘れちゃうからなるべくすぐ種明かしするようにしています」
仕事を手伝う振りをしてコレットと話をするようにしているが、彼女と過ごす時間が増えたのは誰の目にも明らかだった。前線の過酷さにくらべたらここは天国だ。敵国の国民を監視する仕事とはいえ、子供ばかりなので仕事は楽だし、コレットが小さい子のお世話役を引き受けてくれているのでかなり助かっている。
「マリンにそんな裏設定があったのも知らなかった。子供向きだと思っていたら、結構話が練られていて驚いたよ。それなのに全然難解じゃないなんてすごい。コレットはたくさん本を読んできたんだろう?」
「乳母がよく読み聞かせをしてくれたんです。だから小さい頃から本を読むのは好きで。私自身がお話に救われてきたから、ここでは恩返しをしてるの」
目をキラキラさせながらそう話すコレットを、マーカスは眩しそうに見つめた。貴族のお嬢様のコレットと、食い扶持を減らすため貧しい田舎の農村を出て兵士になったマーカス。本当ならすれ違うはずがない人生を送って来た二人が、こうして談笑しているのが奇跡のように思える。
「俺は本を買ってもらう余裕はなかったけど、読み書きを教わってよかったと思ってる。これから色んな話が読めるチャンスがあるだろう? 現実が辛くても夢の中で冒険者になれれば、また明日生きようと思えるんだ」
その時コレットが一瞬悲しい顔をしたのを見て、彼らが厳しい現実に直面している原因を作っているのが自分たちであることを思い出し、「辛いこと思い出させてごめん……」と口元を押さえて呟いた。
「ここは前にいたところとは全然違います。所長さんも優しいし、自由にさせてくれるし、本当に感謝しています。ここにいると戦争が起きているのが嘘みたい」
コレットはそんなマーカスの思惑を察してか、弱々しく微笑みながら下を向いた。
「全てあなたの言う通りだと思います。私も逃亡生活を続ける中でこのお話を考えたんです。今までいろんなことがあったけど、手がかじかんで体の芯まで冷えた時も、カイトとマリンが手を繋いで笑っている場面を想像したら希望が持てました。私がお話を始めてから、子供たち夜眠れるようになったんです。私を救ってくれた物語が、今度は子供たちを救っているのかなと思うと、こんな嬉しいことはありません」
「その……俺たちに恨みはないの?」
マーカスは、ずっと心配していたことをここで尋ねてみることにした。コレットと会話をするうちにもっと仲良くなりたいという欲が頭をもたげるのを抑えることができなくなっていた。そんな関係にはなりえないと分かっているのに。
「カルティアに全く恨みがないと言ったら嘘になります。でも私の家族に手を下したのはあなたではないでしょう? それにカルティアの人たちも同じようにドルディカ人に殺されています。悲しい思いをしているのはどちらも同じですから」
コレットは、最後の方は消え入りそうな声になっていた。彼女に辛いことを思い出させてしまい、マーカスは申し訳ない気持ちになった。戦争なんて起きなければよかったと思うのに、戦争がなければマーカスとコレットは会わず終いだった。その運命がマーカスにはとても不思議なものに思えた。
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「よっ、お疲れ。今日は何もなかった?」
それから何週間か経ったある日、日勤帯の仕事が終わり控室に戻って来たマーカスを、これから夜勤に入るルイスが迎えた。
「いつも通りですよ。サムが転んで怪我したくらいですかね。それもコレットが対処してくれました」
「コレットと言えば最近二人でよく話し込んでいるな。何かあったのか?」
別に隠しているわけではないが、コレットと一緒にいるところをルイスに指摘され、マーカスは顔を赤らめた。
「いや……別に……他愛もない世間話ですよ。昼食の後にコレットが作ったおとぎ話の続きを教えてもらってるんです」
「あくまで敵国の人質だからな。特にあの娘とは親密になりすぎない方がいい。後で辛くなるぞ」
ルイスが意外なことを言ったので、マーカスは弾かれたように顔を上げた。
「何ですって? どういうことですか?」
「ここにいる子供は平民だから命までは奪われないだろうが、コレットは例外だ。最近、ドルディカに協力した貴族が処刑される話をよく聞くだろう。貴族でも子供ならば免除されるが、コレットは17歳だから微妙なんだ。この収容所にいるから未成年と見なされれば無事だが、何かの数合わせで選ばれる可能性もゼロじゃない。万一のことを考えて、余り彼女に情けをかけるな。お前のためだぞ」
ルイスはマーカスのためを思って言ってくれたのだろうが、マーカスは頭が真っ白になってその場に立ち尽くした。自分だって兵士のくせに、余りにもこの生活が平和だから、戦争はどこか遠くの国で起きていると錯覚していた。お花畑もいいところだ。言われて初めて気づいたマーカスとは異なり、コレットにとって死は常に背中合わせにあり、片時も忘れたことはないのだろう。マーカスは、自分の愚かさにほとほと呆れ果てた。
とは言え、現実には何も起きず、表向きは変わり映えのない生活が続いた。しかし、マーカスの目に映る景色は以前とは異なるものに変わった。当たり前と思っていた景色がもう二度と見られなくなるかもしれない。うんざりするほど繰り返される日常がある日ぷつりと途絶え、二度と戻らないかもしれない。コレットの考えた「空の王子と海の王女の大冒険」は、瀕死のカイトをマリンが聖樹のしずくを使って助けたところまで進んだ。しかし、このお話が無事完結するかどうか分からないのだ。もし、コレットが突然いなくなったら、ここにいる子供たちはどうなるのだろう? 生きる気力を失わずにいられるのだろうか?
「マーカスさん、こんばんは。今日は夜勤ですか?」
だんだん外にいるのが肌寒く感じられるようになったある日、屋外で荷物を運んでいたマーカスのところにコレットがやって来た。コレットは、質素なワンピースの上に薄手のカーデガンを羽織っていたが、それでも寒そうな様子だった。
「こんばんは、今日も月がきれいだね。ずっと見てると吸い込まれそうだ」
マーカスのいつもの挨拶に対してコレットはどう返せばいいものか迷った様子だったが、やがて顔を上げてきっぱりした口調で声を上げた。
「あなたにしか頼めないお願いがあるんですが、聞いてくれますか?」
コレットの思いつめた表情を見て、マーカスはただ事ではないと察し、体を起こしてまっすぐ向き合った。
「私の出自は既にご存じだと思います……元は伯爵家の娘でした。この戦争で私以外の家族は亡くなりましたが。カルティア軍がドルディカ軍に協力した貴族を粛清している件は知っているでしょう……私の父はドルディカ軍に多額の寄付をしていました。父は既に故人ですが、私がその責任を負わされる日がくるかもしれません」
「そんなっ……! コレットは関係ないじゃないか……!」
マーカスは思わず叫んだが、コレットはかぶりを振った。
「家名を背負うというのはそういうことです。私が生きている以上、家は断絶したとは言えません。あなたにお願いというのは、もし私が処刑される知らせが来たら、一足先に教えて欲しいんです」
何だって? マーカスは愕然として言葉を失った。
「あなたはここに勤める兵士だから、早めにニュースを聞くかもしれない。そしたら一刻も早く教えてください。というのも、あのお話を完結させる必要があるから。いつこういう事態になってもいいように、どこでも終わらせられるように結末を考えているんです。できれば3日前に教えてくれると嬉しいけどそれは贅沢かもしれない。無茶なお願いなのは分かっているけどカイトとマリンが幸せになる未来をあの子たちに教えてやりたいんです」
マーカスはすっかり青ざめ、頭が混乱していた。そんなことが起きてはいけない。そんな現実受け入れられない。しかし、当事者のコレットの方がはるかに冷静だった。彼女は、ずっと前からこうなる可能性を考えていたのだ。自分よりも年下のはずのこの少女が全く取り乱していないのを見て、マーカスは彼女が空恐ろしくさえ思えた。
(せめてそうしてやりたいけど……でも……!)
こんな事態でも、コレットは自分自身より物語を完結させることを心配している。カイトとマリンの物語が子供たちの心の支えになっているのを知っているからだ。だからマーカスもコレットの役に立ちたいのは山々だ。でも、一介の兵卒に過ぎないマーカスには事前に情報を得る権限がない。上からの命令はいつも突然やって来る。そんな残酷なことを正直に伝えるのはどうしてもできなかった。
「うん……分かった……俺にできることはそれしかないから……」
マーカスは、じっとうつむき絞り出すような声で答えるのがやっとだった。本当はそれすら嘘なのに。コレットは穏やかな顔で「ありがとう」と言うと、部屋へと戻って行った。
(どうしたらいいんだ……俺は)
途方に暮れたマーカスは、真っ暗な虚空の空を仰ぎ、しばらくの間身じろぎもせずにそこに留まっていた。
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やがて冬が来た。元々温暖な気候なので雪が降るのは珍しいが、それでも海岸の方から冷たい風が吹きすさぶと心まで冷え込む心持ちがする。戦争もいつ終わるか知れず、人々の心はどんどん疲弊するばかりだ。戦況はわずかではあるがドルティカが優勢で、カルティア軍はそれを跳ね返そうと、捕らえたドルティカ人の貴族をみせしめに処刑することが増えてきた。マーカスは、遠い地でまた貴族の処刑があったと聞くと、その度に胸がつぶれる思いがした。
空が落ちてきそうなほど重苦しい曇天のある日、この日はマーカスは日勤で、一日の仕事を終えてから帰り支度をしようと事務室に向かった。この時間にはいつも帰っているはずの所長がまだ残っているのが気になった。しかも普段は穏やかなのに、眉間にしわを寄せ沈んだ顔をしている。辺りを見回すと、他の者も青ざめた顔をしており、辺りは妙な雰囲気に包まれていた。
「何かあったんですか?」
マーカスは、胸騒ぎがするのを止められなかった。ずっと悪夢のように彼をさいなんだ一つの予感。それが現実になろうとしているのか。
「マーカス。君は特に仲がいいから辛さもひとしおだろう。さっき、本部から連絡が来て、コレットの処刑が決まった。明朝迎えが来て、首都まで連行されるようだ」
とうとう恐れていたことが起きた。マーカスは衝撃の余り頭が真っ白になった。コレットはカルティアの兵士にも慕われている。不平不満を言わず、献身的に子供たちの面倒を見て、いつでも希望を捨てない。そんな彼女に幸福になって欲しいと願うことに、立場や民族の違いなど関係なかった。しかし、一介の収容所の所長が彼女の運命を変える力は持っていない。断腸の思いで粛々と本部の命令を聞くしかないのだ。
マーカスはフラフラと事務室を出た。余りに衝撃が大きすぎて感情が追い付かない。しかし、自分がしなければならないことは分かっていた。彼女に伝えなければ。物語の結末には間に合わないが、約束したことは守らなければ。
どんな風にコレットに伝えたか、マーカスは覚えていなかった。唯一記憶にあるのは、コレットが冷静に「そうですか、教えて下さってありがとうございます」と答えたことだけだった。若干顔色が白くなっていたかもしれない。それでも一切取り乱すことがなかったのは驚異的と言えた。
「俺も今知ったばかりで……3日どころか1日も余裕がないなんて……」
「いいえ、あなたはできる限りのことをしてくれた。辛い役を引き受けてくれてありがとう」
「そんな……ありがたいどころか、俺は……」
マーカスはそれ以上言葉にならなかった。せめて物語を完結させてやりたかった。それすら叶わないなんて。自分のふがいなさをこれほど呪ったことは今までにない。目の前の景色が滲んだままマーカスはコレットの元を去った。そして無力感にさいなまれたまま、職場を後にしたのだった。
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その日の夜は体の芯まで冷え冷えとした。紡績工場だった収容所は外の気温の影響をまともに受ける。こんな夜は慣れたはずだが、コレットはさすがに今夜ばかりは寝付くことができず、寝返りを繰り返していた。そこへ、何者かが部屋に入って来る気配がして、布団の中で身をこわばらせた。
「コレット、起きてる? ちょっとこっちに来て」
声の主は、日中会ったばかりのマーカスだった。今日の勤務は既に終わったはずなのになぜ? と不思議に思いつつもコレットは後を着いて行った。人気のない場所まで歩いた頃には目が慣れて来て、暗闇の中でもマーカスの姿が見えるようになった。彼は、軍服姿とも違う、普段見たことのないような重装備をしていた。そして、これまでに見たことのないひどく思いつめたような真剣な表情をしていた。
「コレット、一緒に逃げよう」
マーカスは張り詰めた声でコレットに囁いた。一体何を言い出すのか? 余りにも突拍子がない提案にコレットは耳を疑った。
「何言ってるの? そんなの無理に決まってるじゃない!」
「無理かどうかやってみなくちゃ分からない。ここに留まったら100%未来はないけど、今逃げたら数%は助かる道がある。どっちを選ぶ?」
「あなたを危険に晒すことなどできないわ。お願い、馬鹿な考えはやめて」
「君がいない世界なんて興味がない。俺はもう覚悟を決めた。馬鹿なのは百も承知している」
混乱の余り言葉を失ったコレットに、マーカスは追い打ちをかけた。
「物語を完結させたくないの?」
コレットは弾かれたように身体をびくっと震わせ、マーカスを凝視した。
「生きてさえいればどこかで続きは書ける。どんな形であれ子供たちに結末を教えてやれる。でもこのままだと永遠に物語は終わらない。コレットがいなくなった心の傷を子供たちは一生抱えることになる。どちらを選ぶ?」
コレットはわなわなと震えながら言葉を探していたが、やっとのことでか細い声で「……続きを書きたい。生きたい」とつぶやいた。それを聞いたマーカスは彼女の手を取った。
「一緒に行こう」
コレットは物音を立てないように慎重に着替えて荷造りをした。荷物は最小限にとどめたが物語が書かれたノートだけは鞄に入れた。コートを着てマーカスと一緒に外に出ようとした時、別の人影が二人を見つけた。
「マーカス、それにコレット! これはどういうつもりだ?」
「ルイス先輩! どうか見逃してください!」
夜勤でちょうど見回りをしていたルイスと鉢合わせしたのだ。ルイスは愕然として言葉を失っていた。コレットもガタガタ震えるばかりで生きた心地がしない中、マーカスは一人気を吐いた。
「みんなを裏切る形になってすいません! でもコレットが処刑されるのは納得できません! 隣国に亡命して生き延びたいんです!」
「お前、自分のやってることが分かっているのか? 捕まったら死刑は免れないぞ」
「俺はどうでもいい。それよりコレットが。コレットさえ生きてくれれば」
「こんなの正気の沙汰じゃない。うまくいくわけない」
「朝まで待っていても結果が同じなら、少しでも可能性のある方に賭けます」
ルイスは、ここまで必死なマーカスを見たことはなかった。分厚い防寒着を着て、大きな荷物を抱え、鋲の付いた頑丈な靴を履いている。そして、コレットにも同じような靴を履かせていることに気付いた。彼女のものではないのは明らかなので、前々から準備していたに違いない。
「……馬鹿が。俺は知らん。とっとと行け」
ルイスはぼそっとつぶやくように言うと、踵を返してその場から消えた。マーカスはコレットの手を掴んで急いで収容所の通用口をくぐった。そして二人の影は漆黒の闇に消えて行った。
*********
コレットの姿がないことが知れたのは夜が明けてからだった。収容所は大騒ぎになり、本部からも軍人がやって来た。全員招集がかかっても唯一姿を見せないマーカスが真っ先に疑われたのは当然だった。
コレットがいなくなった夜、勤務に当たっていたルイスは厳しい追及を受けた。
「みすみす逃してしまったのは私の完全な落ち度ですが、行先に心当たりがあります!」
それを聞いた本部の軍人がルイスに厳しい視線を向け、先を言うようにと促した。
「彼らは、ドルディカの法が及ばない外国に逃げようとしたと考えられますが、外国に行くには東の陸路か西の海路の2通りがあります。陸路の場合ですが、国境を超えるには険しい山地を越えなければなりません。今の季節山頂には雪が降り積もっている上に、ターナー二等兵は前線で足を負傷したため、険しい山を越えられるとは思えません。常識的に考えれば海路を使う方が、可能性が高いと考えます」
「よし、海路だな。この一帯の港を徹底的に捜索しろ!」
しかし、懸命な捜索にもかかわらず、マーカスとコレットは見つからなかった。所長の監督責任が問われたが、その頃になってやっと3年以上にも及ぶ内戦が終わり、処分はうやむやになった。戦争が終わった後も、マーカスとコレットの消息はつかめず、逃亡中に命を落としたという噂さえ立った。
彼らの消息は、何年後かに東側に接する隣国から1冊の本が出たことで明らかになった。本のタイトルは「空の王子と海の王女の大冒険」と言い、作者はコレット・ターナーと記されていた。空の王子カイトと海の王女マリンが艱難辛苦の末、新天地を見つけ幸せに暮らすお話は、国を越え多くの人に愛されるベストセラーとなった。作者のコレット・ターナーはその後も作家として多くの作品を発表する一方、夫と共に隣国に亡命して一命をとりとめた数奇な運命も話題になった。平和が戻ってから祖国に凱旋帰国した時は、収容所で一緒だった子供たちや兵士たちと感動の再会を果たしている。夫のマーカスはコレットの第一の読者であることを事あるごとにみんなに自慢して、彼らのおしどり夫婦ぶりはいつまでも語り草になったとのことだ。
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