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王都から離れた静かな森の奥には、異世界から来た『神子』のみが入ることを許された禁域がある。
そこは真暗で静かな洞窟――。
視界に入るのは石や岩だけ。
草花もなく、虫や動物もいない、生命を感じられない空間だ。
奥深くまで伸びる広い一本道には、果てしない暗闇が広がっている。
日本からこの世界の『ロウラスフィア』という国に転移して来た私――松雪小夜は、神子として一人で儀式に臨んでいた。
この奥の祭壇で、神子である私が祈りを捧げれば、この国の平和が続くそうだ。
突然ロウラスフィアに迷い込んだ異世界人の私を神子として受け入れて、親切にしてくれた人達の恩に報いるためにも頑張ろう。
そう意気込んで進んだ禁域の奥――。
石でできた祭壇の前に、『ソレ』はいた。
「ひっ……。ま、魔物!!!?」
そこにいたのは、巨大な赤ん坊のような姿の魔物だった。
真っ黒なヘドロのうようなものに覆われていて、それは身体からボトボトと落ちると、酷い悪臭を放っていた。
こちらの世界に来て、魔物と遭遇したことはあるが、こんな魔物は見たことも聞いたこともない。
だが、知らなくても、今まで見たどんな危険な魔物よりも遥かに恐ろしい存在だということは分かる。
ゲームでいうと、間違いなく『ボス級』だ。
「――アア……?」
うつ伏せで蹲るようにしていた魔物の頭がこちらを向いた。
「イセカイジン……キタ……マタキタアアアアアアッ!!!!」
魔物は私を見つけると叫び、動き始めた。
四つん這いでじわじわとこちらに迫って来る。
おぞましい姿と不気味な叫び声を聞いて、私は思わず腰を抜かしてしまった。
だが、勇気を振り絞って立ち上がり、来た道を慌てて駆け戻った。
「はあっ、何あれ……怖いよ……誰か助けて……!」
手に持ったランプで足元を照らしながら走る。
恐怖で上手く走れない。
転んで唯一の光であるランプを壊してしまいそうになり焦った。
「どうしてこんなことに……奥で祈るだけの簡単な儀式じゃなかったの!?」
ホラー系ゲームが好きで、化け物に追われるのは何度も疑似体験してきたけれど、リアルで体験するのは怖すぎる。
ゲームの様に冷静でいられないし、うまく動くことができない。
幸いなことに魔物の動きはとても遅く、小さな子供の徒歩程度だった。
全力で走った私は、すぐに魔物から離れることが出来たのだが……。
「後ろから追って来ている……まだいる……」
暗闇で姿は見えないが、不気味な這いずる音が響いてくる。
洞窟の中は一本道で隠れる場所はない。禁域を出ないと捕まってしまう!
魔物の動きが速くなる前に、ここから抜け出さなければ……。
何度も転びそうになりながらも、がむしゃらに足を進めていると、やっと出入口が見えて来た。
だが……様子がおかしい。
「どうして扉が閉まっているの!?」
扉の建付け部から僅かに漏れた光を見て、そこが出入口だと分かったのだが、本来は戻って来る私を出迎えるために開け放たれているはずだ。
急いで入口に駆け寄り、重厚な鉄の扉を叩いた。
「神子の小夜です! 戻ってきました! 今すぐ開けてください! 後ろから魔物が……!」
「おやサヨ マツユキ。戻ってしまったのか。いけないね。奥に戻らないと……」
聞こえてきた中年男性の声は、何かと私の世話をしてくれた宰相のものだった。
この世界に迷いこんでしまった私の後見人になってくれた、父のような人だ。
「エイベル様! 祭壇のところに魔物がいたんです! だから、早く開け――」
「ええ。だから、しっかりと役目を果たしてきてください。『生贄』という役目を」




