15 アリスタ王子の祈り
ネスたちの手によって王城に運び込まれたイリスは、即座に医師の処置を受けることになった。
傷は見た目ほどの深さでなかったものの、大量の出血の所為でイリスは危険な状態にある。だが、初めはうわ言の様に自身はアリスタ王子本人であると呟いていたイリスは、医師の気付けによって正気を取り戻すと、何が起きたのかをしっかりとネスに伝え始めた。
賊がどういうことを言ったのか。それに対しイリスは何と答えたのか。少なからず王族への恨みがある様に思えたので、根本的な原因がどこかにある筈だという推測まで付け加えて。
そして、その報告を終えた瞬間、イリスは意識を失った。ここまで、気力だけで保っていたのだろう。
イリスにとって、アリスタ王子の命を守ることが己に与えられた使命である。アリスタ王子の身の安全の為には、こんなことは二度と起きてはならない。今後アリスタ王子が命を狙われない為には、国が抱える根本的な原因を探り出し、それを改善させていく必要があった。イリスは、そのことをネスに伝えたかったのだろう。
一方、一向に帰ってこないイリスたちに痺れを切らしたアリスタ王子は、日頃イリスが過ごしているアリスタ王子の隣の部屋、元は衣装部屋である小部屋に隠れ直していた。
騒々しく戻ってきたイリスたちの様子を扉の隙間から覗く。そして、言葉を失った。
イリスが、血だらけになっている。イリスの怪我は、自分が子供っぽい嫉妬から不貞腐れて責務から逃げ出した所為だと、瞬時に悟った。
そこで、初めて理解する。父王もネスも、イリスをこの日の為に寄越したのだと。だから、イリスはちゃんと職務を全うしたのだ。本来であれば誇らしいことだ。このまま死んでしまったら、きっと名誉ある死と言われ、保証金と共に亡骸はイリスの実家に送られて行くのだろう。
そして来るのは、別の影武者だ。
影武者なんて自分には必要ないと豪語していた己の傲慢さは、目の前で血だらけになっているイリスを見たことで萎んでいく。
これまで意地を張っていた固くて醜いものが、ボロボロと崩れ落ちていった瞬間だった。
アリスタ王子は部屋から飛び出しイリスの元に駆け寄ると、私の所為だ、許してくれと号泣しながらイリスに許しを請うた。だが、イリスは傷からくる熱にうなされ続け、目を開けてアリスタ王子を見ることはなかった。
アリスタ王子は、ネスが止めるのも聞かず、イリスの世話を買って出た。いつ目を覚ますだろうか、今日か、それとも明日か。
時折熱にうなされて、「私はアリスタ・ミッタータイヒ……」という呟きが聞こえる以外は、イリスは何も言わなかった。賊に剣を突きつけられている間中、イリスはそれを心の中で唱え続けたのだろう。助けてと泣く姿を見せない様に。
段々と傷が引き、寝ているだけの様に見えるイリスの口の中にスープを少量ずつ流し込み、零したら拭いた。これまで、こんなことを他の人間にしたいなどと思ったことはなかった。イリスが、愚かだった自分を変えてくれたのだ。
それまで自身に巣食っていた意地は、嘘のように消えていた。
看病を続け、もう何日が経ったか分からなくなった頃。突然何の前触れもなく、イリスがぱちっと目を覚ました。
アリスタ王子は、イリスに笑顔で駆け寄った。すると、イリスが言ったのだ。
「君は誰? 私の影武者?」と――。
医師の見立てによると、怪我を負った際の恐怖、怪我により続いた高熱、また自己暗示に近い状態になっていたことから、イリスは自分を本物のアリスタ王子だと思い込んでしまったのだそうだ。
それでもよかった。生きていてくれて、今度は意地なんて張らずに隣で笑い合えたら、それでいいと思った。
だが、父王はそうではなかった。自身を主人本人だと思い込む様な影武者など、危険極まりない。どんな失敗を起こすか分かったものではない、というのがその言い分だった。だから、アリスタ王子は自身が悪者になればいいと知っていたから、このように父に進言したのだ。
イリスを表に立たせ自分は影武者として過ごすことで、まだ解決していない賊の問題や、これから起こり得る生命の危険から本物を遠ざけることが出来ると。イリスは元々が素直な性格だから、こちらが誘導してやればその通りに行動していくだろう、そしてそれは自分なら出来る、と。
表舞台に立ち続ける影武者の後ろに控えれば、王族や国に対する相手の思惑も自分なら見抜くことが出来る。それはむしろ国の為であり、しかも善良な影武者を推していけば王族の印象もよくなり一石二鳥だ。
婚儀と共に解雇されるまでに思い出さなかったらどうすると尋ねられると、じわじわと追い詰めて逃げ出す様に仕組むと伝えた。もう二度と戻って来たいと思わない様に。もう二度とイリスの顔など見たくないと思える様に。
アリスタ王子には、自覚があった。これはただ単に自分がイリスと離れたくないだけなのだと。
本当だったら、実家に送り返して療養させるのが一番だろう。だが、イリスは記憶を混同してしまっており、いつ自身が王子だと騒ぐか分からない。その時、父王は過去に影武者であった人間ひとりの命など、容易く消してしまう決断を下すだろう。それが分かった。
何故なら、自分のことでなけれぼ、アリスタ王子もそう選択するだろうからだ。
誰も信用してはならないと言う事実は、アリスタ王子の身体に染み込んでいる。要不要の比率が不要に傾き、抱えていることへの危険性が見つかれば、それまでどんなに重用していようが切り捨てる。それがこの城でずっと行なわれてきたことだったからだ。
だけど、イリスだけは信じられた。死ぬかもしれないのに、アリスタ王子を守ってくれた。だから、イリスを手放すなど最早考えられなかった。
イリスを必要としているのは、アリスタ王子の心だ。イリスが傍にいてくれたら、自分はどんなことにもきっと耐えられる。
だから。
――願わくば、イリスの関心がずっと自分だけに注がれます様に。
祈らずには、いられなかった。
次話は書けたら投稿します!




