六話
翌日に俺は母にも前世の記憶がある事についてなどを説明した。
また、父帝と共に弘徽殿女御や兄東宮に会いに行った事も話した。ちなみに女御や兄から今後も会いに来ていいと言われた事も告げる。そうしたら母は凄く驚いていた。
「……そ、そうかや。昨日は色々とあったんじゃな」
「すみません。母様。けど今後の僕達が生き抜いていくためには必要な事なんです」
「確かにの。弘徽殿様には常々申し訳ないとは思っておったんじゃ」
意外な事を母は言った。俺は驚いて母の苦笑している顔を見た。
「あの。何故、申し訳ないと思っていたんですか?」
「……そうじゃの。わらわには弘徽殿様が寂しがっておられるように見えたのじゃ。一心に主上を愛しんでおられたのに。それなのにわらわが後宮に入ってから主上は見向きもなさらなくなって」
「……そうなのですか」
「わらわは両親――光の祖父母方の意向があったから後宮に入った。まさか、あんなに主上がわらわに熱を上げるとは思わなんだ。それ故に他のお妃様方に憎まれての。いっそ、お寺へ行きたいと思うておるぞえ」
「はあ。なら。ぼくもお伴しましょうか?」
そう言ったら母は俺の頭を撫でた。優しく笑いながら「その時はよろしく頼むぞえ」と告げたのだった。
昼頃になり俺は弘徽殿に行きたいと乳母に言ってみた。最初は驚かれたが。粘り強く頼むとやっと折れてくれた。
俺は乳母ともう一人の女房と三人で弘徽殿に向かう。とりあえずは俺が道順を知らないので道案内も兼ねているが。乳母はどこか心配そうだ。
いくつかの渡殿を通り廊下や簀子縁、殿舎を通り過ぎた。やっと三半刻程経ってからもう一人の女房が言う。
「……若宮様。あちらが弘徽殿です」
「そうか。じゃあ、行こうか」
「わかりました」
女房は困惑しながらも頷いた。乳母も黙って付いてきた。
弘徽殿に来ると御簾に近くに寄る。乳母が中に声をかけてくれた。そしたら以前に応対してくれた女房が出てくる。
「……光の君様。今日もいらしてくださったのですね」
「……うん。女御様はおられますか?」
「ええ。おられますよ。今からお呼びしてきますので。こちらでお待ち下さいませ」
俺は頷くと中に入る。女房が急いで用意してくれた御座に落ち着く。やはり前触れとして文くらいは出すべきだったか。そんな事を考えながら乳母達と一緒に女御が出てくるのを待った。
少し経って女御の気配が御簾の向こうで伺えた。
「……あら。光の君。今日は早いですね」
「ええ。女御様や兄上にお会いしようと思ったら。早い方がよろしいかなと」
「そう。確かにその方がいいかもしれないですね」
女御は苦笑いしたらしい。声に微かだがそういう雰囲気が伺える。
「では。光の君。梨壷に先触れをしますから。待っていてくださいね」
「わかりました」
「伊勢。梨壷に行ってわたくしや光の君がお伺いすると伝えてきてちょうだい」
「……畏まりまして」
「頼んだわよ」
女御が言うと伊勢と呼ばれた女房が深々と手をつく。そのまま、元の姿勢に戻る。立ち上がって静かに部屋を出ていった。
「……光の君。まだ時間がありますから。少しお話をしましょうか」
「……そうですね。何をお話しましょうか?」
「ふふっ。光の君は普段はどのように過ごしているのかしら」
「ううんと。ぼくは普段、母様からお習字やお歌を習っていますね。乳母や女房達に楽を習う事もありますし」
「そうなの。わたくしは女房達と話したり手習いを最近はしていますね。意外と楽しいですよ」
手習いと聞いて俺は確かに意外だと思った。女御にそんな趣味があったとはな。
「女御様は手習いを最近はなさっているんですね。母様はお裁縫をよくなさっていますよ」
「あら。更衣殿はお裁縫が得意なの。それは知らなかったわ」
「ええ。宿下がりをした時に冬用の衣装を縫っておられて。お祖母様と一緒に大変そうにしていましたね」
そう言うと女御はへえと相づちを打つ。そしてほうと息をつく。
「……わたくしはお裁縫についてはまずまずだから。そうやって上手なお人の話を聞くと。見習わなければと思いますね」
「はあ。ぼくもお歌をもっと頑張りたいですけど」
「そうね。光の君もわたくしも頑張らないとね」
ふふっと女御は笑った。こうやって喋ると彼女も色々と悩む事もあるんだなと実感する。そりゃそうか。女御も生きた人間なのだから。
「……女御様。兄上に絵をこれから教えていただくのですけど」
「ああ。昨日にそう宮がおっしゃっていたわね」
「ぼくは絵に自信がなくて。だから兄上に教えを請おうと思ったんです」
そう言いながら我ながら情けないと思う。確か、光源氏は絵が非常に得意で。今の年齢でも周囲を驚かす程の腕前だったはずだが。
「……光の君。誰しも苦手な物はあるわ。けど。向上心を持つのは良いことよ」
「……ありがとうございます。女御様」
「お礼はいいわ。あ、そろそろ伊勢が戻ってくる頃ね」
女御がそう言ったので俺は耳をすませてみた。さわさわと衣擦れの音が聞こえる。居住まいを正したのだった。