三話
俺や母が二条東の院に宿下がりしてから三ヶ月が過ぎた。
季節は冬で十二月になっている。もう雪が降っていて庭に積もっていた。祖母や母が女房達と共に衣装を縫っている。俺はそれを横目に見ながら筋トレにいそしんだ。今や皆、俺がラジオ体操していても筋トレしていてもスルーだ。母と一緒にやる時もある。ただ、着物でもできる範囲でだが。
「……光。そんな所にいたら風邪をひくぞえ。こちらへおいで」
「わかりました」
「ふう。それにしても縫い物をずっとしていたら。肩が凝って仕方ない」
母がそう言うので俺は後ろに回る。そのまま、両肩に手を当てた。軽く揉んでみた。
「……あら。光?」
「母様。もしよかったらぼくが肩揉みをしましょうか」
「……そうかや。頼めるかや?」
俺は頷くとまずまずの力で母の肩を揉んだ。すると痛がられる事もなくほうと母は息をつく。ちょうど良かったらしい。指から伝わる感触からすると。かなり凝っていた。母はまだ若いのに。ちょっと泣きたくなりながらも肩揉みをした。
俺は父帝からの文の返事を待った。けれど来ない。仕方ないか。そう思いながらも書道の練習をする。
「さて。母様から教えてもらったいろは歌を書いてみるか」
そう言いながらいの文字から太筆で紙に書きつけた。現代人だったから楷書になってしまうが。後一ヶ月もしたら内裏へ戻る。どうしたらと考えた。ろからはを書いた。
「あっ。そうだ」
父帝に俺の前世の記憶などを話してみるか。それに母にも。二人には知っておいてもらってもいいだろう。そのまま練習を続けた。
あれから一ヶ月が過ぎた。とうとう内裏に戻る日が来た。父帝からどのような返事がくるだろう。緊張しながらも祖母や老女房達と別れを惜しむ。母や仕えている女房達と共に牛車に乗り込んだ。数としては四輌が連なるが。
「……光。四月はあっという間じゃったな」
「ええ。ぼくとしては後もうちょっといたかったです」
「ほほっ。そうかや。また帰れるようならわらわから主上にお願いするぞえ」
母は冗談めかして言う。俺もつられて笑った。
「光。やはりお祖母様にお会いできたからというのもあるじゃろう?」
「……あります。お祖母様が元気そうでほっとしました」
「そうかや。とりあえず、しばらくは堪えねばならぬが」
俺は頷いた。確かに母の言う通りだ。ガラガラと車輪の音が鳴る中、俺は母の横でどうしたもんやらと前方を見据えた。
後宮に戻ったら。早速、父帝がやってきた。やはり母大好きなのは相変わらずか。仕方ないかと思う。
「……ああ。更衣。待ち侘びたぞ」
「……主上。光の目の前ですよ」
「気にしなくていい。それより更衣。今宵はそなたの元に行くからな」
母に抱きついては熱っぽい目で見つめる。お熱い事で。俺は半目でそっぽを向く。
「……父上。実はぼくからも折り入ってお話したい事があります。今からでもよろしいでしょうか?」
「……む。話か。よかろう。すまぬが。更衣は先に戻っていてくれないか」
「わかりました。光。主上に失礼のないようにの」
「……承知しました。母様」
「では。御前を失礼致します」
母は心配そうにしながらも退出する。俺は父帝に人払いもしてほしいと頼んだ。父帝は頷くと近くにいた近侍の者に命じる。
「皆、私や光を残して退がりなさい」
近侍の者は「畏まりまして」とだけ言うと静かに退出していく。じきに他の者達の気配も遠のく。俺は居住まいを正した。
「……して。光。私に話したい事があるとか。申してみなさい」
「……ありがとうございます。あの。まずは。父上は前世の記憶がぼくにあると申したらいかがなさいますか?」
「前世の記憶か。私は前世の因縁などは割と信じる方だな。そなたもそうなのか?」
父帝はキョトンとした表情で訊ねてくる。俺は一国の君主がこんな夢幻めいた事を信じてどうするんだとツッコミたくなったが。何とか我慢した。
「……まあ。そうですね。ぼくが今からお話する事は他言無用にお願いします」
「わかった。約束しよう」
俺は真面目な顔で父帝が頷いてくれたのでよしっと気合いを入れ直した。そして説明を始める。
まずは俺がこちらとは違う世界や時代で育った事、そしてこちらが「源氏物語」と呼ばれる物語の世界に酷似している事、父帝や母などがその物語の登場人物である事などを話した。最後に母の更衣が俺が三歳になった時点で儚くなり祖母に引き取られた事なども言った。
「……ふむ。そなたの話によれば。私は更衣を亡くし傷心の最中にいたかもしれなかったのか」
「そうですね。ぼくが六歳になる年に祖母上が儚くなり。父上が内裏に引き取るという流れになるはずでした」
「成程。だが。祖母君も母の更衣も儚くなるどころか。元気そのものだ。光には感謝せねばな」
父帝はそう言って俺の頭を撫でた。
「……父上。母様には悪いとは思いますが」
「どうした?」
「もしよろしかったら。兄上にお会いできないでしょうか?」
俺が思い切って言ったら。父帝は目を見開いて固まる。
「……光。本気か?」
「ぼくは至って本気です。兄上とはなるべく仲良くさせていただきたいので」
俺が言うと父帝は大きなため息をついたのだった。