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「おかあさんに、おみやげ!」
キャシーは元気いっぱいに繋いだ手を大きく振りご機嫌だ。
「うん。そうしよう」
リーンもそれに笑顔で答えるが、ほんの少し、瞬く合間に僅かな陰りが混じる。
後ろで見ていたイワンは、おや?と思い、一瞬で消えた陰りを探して注意深くリーンの表情を観察した。
「坊ちゃん、そう言えば新しいお部屋にはもう慣れましたか?困っている事はありませんか?」
笑顔を浮かべ、穏やかに聞いてみる。
「なにもこまってないよ。あのね、ベッドがフカフカでぐっすりなの」
困ってないと言いながら困ったように笑う。夜中にこっそりパンを食べよう計画が実行出来ない程ぐっすりなのだ。
「?そうですか。それは良かった。食事はお口に合いますか?好き嫌いが無いのはいい事ですが、ひとつふたつぐらいは嫌いなものがあったって良いんですよ」
ベッドに何か問題が?いや、恐らく大した問題じゃない。続けて聞いてみる。
が、ここで小さなお姫様から横槍が入った。
「はい!キャシーはね、おいもと、おまめね、にんじんね、たまねぎ……」
指折り嫌いなものを数えている。
もう片手もスタンバイしてるが、そんなにたくさんあるんだろうか。
「うぅーん。キャシーはきらいなの、すこしへらさないといけないみたい」
クスクス笑ってリーンがキャシーの顔を覗き込むと、口を尖らせて不満を訴える。
「……だっておやさい、おいしくないの」
リーンが困ったように笑ってちょっと考え、意外な提案をしてきた。
「じゃあおやさい、つくってみようか?」
「え?」「はい!つくって、みる!!」
イワンの疑問の声とキャシーの間髪入れない同意の声が重なった。キャシーに関しては意味が分かっているのかどうかは不明だ。
「フレディにおねがいして、おうちのうらっかわを、ほんのすこしかしてもらおう」
ウンウンと頷いて、ダメって言われたらどうしようかな、と首を傾げる。相変わらず体も傾いているし隣でキャシーも傾いている。
二人のちびっ子の奇妙な動きに込み上げる笑いを咳払いで誤魔化して話を続けるイワン。
「畑を作るのですか。坊ちゃんは野菜を育てた事が?」
「うん。おうちのまわりで、すこしだけ。じぶんでおせわしたら、もったいなくてのこせないでしょって、えっと、まえの……おかあさんが………」
初めはニコニコだったのに、最後はもうショボショボと小さな声で話すのが微かに聞こえる。
これだ。ピンポイントでこれ。図らずもイワンはリーンの陰りの原因を知った。
イワンはいつものようにリーンの前で片膝をついて身を屈め、ニコリと笑う。
「坊ちゃん、坊ちゃんのお母様はお二人いらっしゃるので、前とか後とかでは無いのではないですか?マリー様は、今も坊ちゃんのお母様でしょう?」
パチクリと不思議な色の瞳が瞬く。
「…………いいの?」
とても意外な事を言われた、という顔をしている。
「もちろんですよ。イワンをお疑いなら、帰ってから奥様に聞いてみてください。どちらをどう呼んだらいいかも相談してみると良いですよ」
イワンの目をじっと見つめるが、嘘を言っているようには見えない。新しい家族が出来たから、前のお母さんの話はしてはいけないものだと無意識に思い込んでいた。けど。
自分があれこれと考えて悲しく思っていた事は、もしかして悲しくない事になるんだろうか。
確信は持てないもののとりあえずイワンにコクリと頷いて、帰宅後に先送りする事にした。あまりのんびりしていると花畑に行って帰るまでに日が落ちてしまう。
花畑までの道中、キャシーはリーンの腕にぎゅうぎゅう抱き着きながら歩く。先程のリーンのショボショボがショックだったようだ。
とても歩きにくい。が、自分が心配をかけてしまったせいだしと甘んじて受け入れる。
リーンはチラリとちょっと尖ったキャシーの口元に視線を向け、ふふと小さく笑った。
群生地は圧巻だった。
木々の深い緑色に囲まれた中、地面は一面に小さな青い花が敷きつめられていて、サワサワと葉擦れの音が鳴る度に木漏れ日が舞い踊る。
まるで絵本の中みたいだ。
リーンもキャシーも手をギュッと握って口をポカンと開け、しばしの間美しい風景に見入った。
風景もまあまあ良かったが、何よりもその中でキャッキャと花を摘むちびっ子二人が妖精のようで愛らしかったと後ほどイワンが語り、皆に大層羨ましがられた。
可愛らしいものが大好きな妻のクレアには羨ましがられた上に詰られたが、そんな妻が一番愛らしいとニコニコ笑うイワン。周囲からの生温かい視線が向けられた。