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夏の盛りがあっという間に過ぎ去りすぐに出発の日がやって来た。家の前の広場に馬が三頭と旅装束のイワン、そして同じく旅装束の三人が並ぶ。
「今日じゃなくてもいいんじゃないか?もう少し涼しくなってからでも」
「旦那様、あまり涼しくなっても困りますよ」
「う。だが……」
ドランはリーンが熱を出してから更に過保護になった。直前の今になっても引き止めようとしてくる。
心配してくれるのは嬉しいけれど、あの後三日間は家の中で過ごしたし後は村から出ていない。出来ればそろそろ普通に戻ってほしい。
「お父さん、日焼け止めも塗ったし大丈夫だよ」
「そう、か。危なくなったら、いや魔物が出たらすぐ上に逃げるんだぞ」
「うん」
場合によるけど。そう心の中で考えながらコクリと頷く。
その後ミリアとハグをして頑張りなさいと言葉をもらい、オズをぎゅうぎゅうする。クレア達に手を振ってイワンが乗る馬に同乗した。
「行ってきます!」
周囲で見ていた狩人達や村人達にも大きく手を振るとあちらからも「行ってこい!」「気をつけろよ〜」などの声がかかる。三人とも瞳をキラキラさせて二年前とまるで同じ表情だが随分と逞しくなった。
イワンは眩しいものを見るように目を細め、感慨深い思いで馬を目的地へと進めた。
今は早朝。少しひんやりとした空気が気持ちいい。
カポカポと並足より少し早いぐらいの速度で進みながら次第に濃くなってくる緑の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
「寒くはありませんか?」
「うん。ケネスが作ってくれたマント着てるし大丈夫」
ニコニコと答え、肩口に頬ずりした。凄く手触りがいい。
「良くこんなもん作れんな」
「ふふふ〜。そのまま剣振れるでしょぉ」
ケネスが得意げに言う通りセオのマントは右肩を露出するような形状だ。ベルトで留めてあるだけのようなので普通の形にもなるっぽい。後で見せてもらおう。
ケネスの方はセオと同じく右肩を露出している上に袖が付いているらしい。左手が袖から出ていなければ袖が付いているのに気付かなかったぐらい目立たないが。多分あのまま弓を射る為のものだろう。これも後で見せてもらおう。
対してリーンのマントだが、完全に包まれている。軽いのでリーンが動く程度は特に影響は無さそうだが。風を受けて裾がふわりふわりと揺れている。
あと手触りがやたら良くて木を加工した飴色の留め具には精緻な模様が掘ってある。良く見ると裾にも模様が。
色はセオがほぼ黒の濃い灰色でケネスが焦げ茶、リーンが白っぽいクリーム色だ。
これ明らかに二人と違う気がするんだけど。首を傾げるリーンはこれがケネスとラウロとウォードの悪ノリで作られた物で最終調整がクレア、コンセプトが『光の妖精』だとは知らない。イワンは知ってるが黙ってる。
似合っているし機能に問題は無い。問題は無いのだ。
「そろそろ休憩だよぉ〜」
「おう」
「はーい」
今回の旅でイワンは基本的に口を出さない事になっている。
地図を渡されて、移動ルートを決めるのも予定を組むのも子供達だ。但し補給のために村に寄るのは良いが緊急時を除き夜はテントでの野営と決められている。
勉強のために出された条件なのだが、当然三人は大喜びで了承した。
「ご飯食べておいで」
馬を降りて大きめの桶に水を出し、岩塩を舐めさせた後自由にさせてやった。あの子達はとても賢いので呼べば来るし魔物の気配を感じたら一目散に逃げてくるので大丈夫。
馬での旅は歩くより早いし楽だが、馬は沢山食べるしこまめに休憩させなければいけない。それと乗っている方も楽なばかりではない。
「リーン回復魔法お願い〜」
「……俺も」
お尻と太腿が痛くなる。リーンも足がプルプルだ。
「回復魔法よりも軟膏を塗った方がよろしいかと。回復魔法で回復させると皮膚が厚くなりません」
「あぁ〜そっかぁ。じゃあ軟膏出すよ」
「坊ちゃんは皮膚が柔らかいので、軽く回復魔法をかけてから軟膏を塗ってください」
「うん?僕だけ?」
「はい。坊ちゃんだけです」
イワンは基本的に口を出さないが、口を出されたら絶対に従うという約束がある。無くても普通に素直に聞くが。
イワンが言うなら必要なのだろうと頷き回復魔法を弱くかける。お尻と太腿はまだ少し痛いけどプルプルは治った。
「これがタープ」
「そ。簡単だったでしょ?」
「設置したの俺だけどな」
セオがパパっと設置してくれたタープの下で休憩。それぞれ水を飲み、干した果物をつまむ。
なるほど。日差しが遮られて快適だ。タープを支えている木の棒には乾燥させた虫除けの草がぶら下がっている。
「マントもこれも素晴らしい出来ですね」
「いやぁほら、狩人達の鞣しの腕も良いし」
「それにしても、ですよ」
イワンに褒められてケネスはちょっと照れくさそう。
リーンとセオは顔を見合わせて笑った。友人が褒められるのはなんだかくすぐったい。
再度出発して、昼過ぎには一つ目の村に着いた。徒歩だと夕方になるのでやはり早い。
お昼ご飯に村の広場で煮炊きさせてもらおう。村のすぐ側で焚き火をするのも無駄に警戒させてしまうだろうし。
そう思って村の入口に近づくと人が沢山集まっていた。
「あれ。何かあったのかな」
「中入れねえかもな」
「んん〜それならそれで別にいいんだけどぉ」
「あんたら何してんだ!早く中に入れ!」
「人喰い熊だ!早く!」
入口の人達が叫ぶのとセオとケネスが後ろを振り返るのが同時だった。イワンはその少し前に馬首を後ろに向けながら「坊ちゃん、出番ですよ」と告げた。
見えたのは大きな赤い熊。四足でこちら目掛けて猛然と走ってくる。え。その勢いでここに来られるとちょっと困る。
とりあえず風の塊をぶつけると「ギャウ!!」と鳴いて後ろに僅かに弾かれた。前足が地面から浮いている。そしてすかさずその右目に矢が刺さり、今度は明確な悲鳴を上げる。そしてリーンの横を凄い速さで黒い影が通り過ぎて行った。
もう大丈夫だ。
「リーン、攻撃魔法使えるようになったのぉ?」
ケネスが油断無く弓を構えながらのんびり聞いてくる。
「うん。風だけ」
リーンも魔力を放出する準備をしながら答えたが、セオが熊の首を切り飛ばすのを確認して霧散させた。ケネスも弓を下ろして呆れたような声を出す。
「首チョンパ、好きだよねぇ」
「血抜き楽なんだって」
「……普通は骨で止まるんですが」
やっぱりセオは普通じゃないらしい。
ウンウン頷いていると「念の為言いますが、坊ちゃん達は全員普通じゃないですよ」とにこやかに言われた。