66
「にーちゃ、だいじょぶ?」
「ん。大丈夫、だよ」
はふっと熱い息を吐き出して重い腕をなんとか持ち上げる。眉を下げて心配そうな弟のふわふわの髪を撫でた。
「ほらオズ、お兄ちゃんにお休みなさいしてね。あちらのお部屋に行きますよ」
ミリアがオズを促し、リーンにまたすぐ戻るから休んでいるようにと言って額にキスをくれた。二人が部屋を出るのと入れ違いで桶を持ったイワンが部屋に入る。
リーンは熱を出していた。原因は日焼け。
昨日水遊びをして日差しをいっぱい浴び、肌が赤くなった。寝て起きたらこんがり焼けるかなと思ったら全身火傷のようになって熱を出したのだ。
起きた時にはもう熱が高く、回復魔法を使おうにも上手く集中出来なかったため今のこの状態だ。昨夜のうちに回復魔法をかけておけば良かったと後悔するが遅い。
「こんがり……」
「坊ちゃん?どうされました?」
「僕、こんがり肌に、なれない、みたい」
荒い息の中で頑張って話す事なんだろうか。そう思いながら苦笑して返す。
「坊ちゃんは肌が白いので。これからも強い日差しには注意しなければいけませんね」
「ん」
残念だと顔に書いてあるが聞き分けはいい。今後はきちんと注意するだろう。
布を水に浸して絞り額に乗せると気持ち良さそうにほぅと息を吐いた。やはり熱が高い。
「イワン」
「はい」
「熱、下がったら回復まほ、かけるから。仕事戻って」
リーンの言葉にイワンが眉を顰める。
「坊ちゃん。こういう時には我儘を言わなければなりません」
「わがまま」
「ええ。あれが食べたいこれが欲しいと言って、周りを困らせなければいけないのですよ」
「なに、それ」
ふふ、と笑う。大真面目な顔で言うので余計に可笑しい。
「坊ちゃん、何が欲しいですか?」
優しいイワンの声に頭に浮かんだ物を口にした。
「パン粥。蜂蜜、たっぷりの。とくせい」
「かしこまりました。では美味しい特製パン粥をご用意致しましょう」
「ふふ。うん」
リーンの口ぶりから恐らく体調を崩した際に亡くなった母親が作っていた物だろう予想する。誰もレシピを知らない。
だがきっとミリアが作れば喜ぶだろう。お嬢様育ちのミリアに料理が出来るのかどうかは分からないが。
とりあえず頑張ってもらおうと決めて頷いた。
ふと意識が浮上する。いつの間にか眠っていたらしい。
「私の可愛いおチビちゃん、目を覚ましたの?」
「おか……さん?」
クルクルとあちこちに跳ねる亜麻色の髪をポニーテールにしたマリーがリーンを覗き込んでいる。
あれ。お母さんは家に居たんだっけ?何故かとても久しぶりに会った気がする。
「ちょっとだけそのままよ。そのまま、寝ちゃダメ。蜂蜜たーっぷりの特製パン粥作ったんだから。待ってて」
そう言ってパタパタと部屋を出ていくマリーを引き止めようとしたが言葉が出てこない。
結局何も言えずそのまま見送ってしまった。
あれ。熱を出したんだっけ。風邪ひいた?のかな。
ぼうっと考えているとバーン!とテーブルを叩く音が聞こえビクリと肩を揺らした。
「お前はなんて事を言うんだ!」
「あんなひ弱な子供が何の役に立つって言うんだい!余裕なんかありゃしないってのに!」
怒鳴り合う伯父さんと伯母さんの声。
辺りを見回すと母と暮らした家ではなく伯父さんの家の物置に変わっていた。物が所狭しと置かれている隙間に藁を敷いて寝ている。
ここが伯父さんの家のリーンの寝床だった。
「そんな事を言わないでくれ。あの子は」
「マリーちゃんの可愛い息子だって言うんだろ。聞き飽きたよ!可愛い子だって言うならあの世に一緒に連れてきゃ良かったんだ」
「お前!」
言い争いは続いている。リーンは耳を塞いで目を閉じた。
この村の人達は変わってしまった。
伯母さんも昔は優しかったのだ。母と二人暮らしの家によくシチューを作って差し入れてくれた。この家に来たばかりの頃も優しかったがいつの間にかこんな風になっていた。
先日は仲が良かった猫獣人のお父さんがリーンを見て「なんでうちの子が死んでお前が生きてるんだ?」と心底不思議そうに首を傾げていた。瞳の中には底が見えない程の暗いドロドロが見えた。
皆あのドロドロに飲み込まれてしまったのだと思う。
リーンはドロドロの言葉は聞かない事にした。あれの言葉を聞くと引き摺られる気がするから。
暗い物置で小さくなって耳を塞ぎ冒険に出る楽しい想像をする。明るい日差しの中で、仲間達と笑って……。
「あ、リーン!起きたぁ」
パチリと目を開けると明るい部屋で、波打つ赤銅色の髪の少年がグレーの瞳を細めてホッとした顔をしていた。
「おい、体起こすぞ。水飲め」
反対側から低めの声が聞こえ背中と布団の間に手が差し込まれてグッと体を起こされる。腕を辿って見上げると黒髪と野生の獣みたいな金の瞳。
水が入ったコップが口元に当てられコクリコクリと飲んだ。美味しい。
「ラウ兄が森の奥行ってんだ。親父が呼びに行ったから、来たら回復魔法かけてもらえ」
「一応火傷に効く薬は塗ったんだけど……リーン?」
「おい?」
ぼうっとしているリーンに眉を下げる二人。
「そっか。こっちが本当だ」
良かった。家族も友達もいる。家の皆も狩人達もいて、冒険にも想像じゃなくて本当に行ける。
「熱まだたけえな」
浅黒い腕が伸びてきておでこにひんやりした手の平を当てた後、ゆっくり倒されてベッドに戻された。
「何か食べられる?パン粥は、なんか大騒ぎで作ってたみたいだけど〜」
「大騒ぎ?」
「お前のお袋、あれ料理なんかした事ねえだろ」
「違う意味で『特製』になりそうだったよぉ」
ミリアが特製パン粥を作ってくれているらしい。確かにミリアが料理をしているのは見た事が無い。
「ふ、ふふ。楽しみ」
二人は、まあそう言うだろうなとため息をついた。
お腹を壊すような物は出さないだろうけど。どうかまともでありますように。
結局その後しばらくしてミリアが申し訳なさそうな顔でちょっと焦げた蜂蜜たっぷり特製パン粥を持ってきてくれて、リーンは喜んで美味しい美味しいと食べた。
食べ終わる頃にラウロが来て回復魔法をかけてくれて、ようやくこの騒動が終わりとなる。
「リーンの日焼け止めも作っておくねぇ」
「お願いします」
「しっかし日焼けで全身火傷たぁなー」
「うぅ」
ラウロにニヤニヤ顔でおでこをつつかれる。自分でもちょっと弱すぎじゃないかと呆れたが仕方ない。
「旅に出る前に分かって良かったじゃねえか」
セオの言葉に顔を上げると全く気にしてない顔。ケネスの方も同じく面倒そうな様子は無い。
「二人も、師匠もありがとう」
こっちが現実で本当に良かった。