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「わかりました」
場所を移し、家族でくつろぐための居間に静かな声が響いた。この家の女主人である妙齢の女性、ミリアの声だ。
ミリアの向かいの椅子にはこの家の主人であるはずの男が身を小さく縮めて、只管テーブルの上の自身の組んだ手に視線を向けている。顔色も悪い。
先程ドランの口から経緯を説明され、謝罪もされている。何に対しての謝罪なのかは分からないが。
問題のリーンはというとミリアの気遣いにより軽く食事を取らせて客間で休んでいる。
ミリアとしても思うところが無い訳では無い。
無い訳では無いが、話を聞く限りマリーという女性が悪いとは思えない。それに幼子を抱えて暮らす中でこちらに干渉してくるつもりは全く無かったようだから、強い女性だと尊敬の念すら覚える。
あの子、リーンを見れば愛情いっぱいにしっかりと育てられていた事も伺えた。自分に同じ事が出来るだろうかと考え、すぐにその思考を霧散させる。
今はそんな話をしているのではない。
「当時……」
ミリアの落ち着いた声が響くと同時にドランの肩がビクリと震える。
「当時、マリーさんが赤ん坊のあの子を連れてここへ来ていたら。私は酷い裏切りだと泣きわめいてあなたと彼女を責めて、大騒ぎだったでしょうね」
クスリと笑って言うと、ドランは小さな声で「…すまない」と返した。ますます小さくなる。
「私ももう年若い娘では無いし。元々、旦那様は私を仕方なく嫁に迎えたのを知っていました。キャシーが生まれてからは本当に心から大事に思って下さっていたのも知っています。……旦那様が私に、そしてマリーさんに不誠実だったと後悔されているのなら」
そこまで言って言葉を止める。
ドランが不思議に思い顔を上げると、じっとこちらを見つめる妻の美しい緑色の瞳と目が合った。
「これからはあの子も含めて、家族を今まで以上に愛して頂ければ何も言う事はありません。もちろん私も、そうして頂けるように努力します」
そう言って穏やかに微笑む妻を見て、自分には過ぎた妻を貰ったものだなと思い、申し訳ない気持ちと共にまた惚れ直すのだった。
その後で「いつかマリーさんのお墓に土下座をしに行きましょうね」と慈愛の微笑みで言われた。
あ、ハイ。
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リーンは与えられた客間で目を覚ました。
この家に着いたのは昼頃だったが、室内は夕暮れ色に染まっていた。
やはり見知らぬ場所だからか、疲れ切っていた割にはそれほど長く眠りはしなかったようだ。
さて、どうしようかとベッドに腰掛け辺りを見回す。
伯父さんのあの態度と "おとうさん" のあの反応を考えると、あまり歓迎はされてはいなさそうだ。
ただミリアと名乗った "おくさま" は、膝をついて自分と目線を合わせ笑いかけてくれた。ご飯もくれたしいい人だ。
ウンウン頷き小さな腕を組んで考える。
あれ。でも、ニコニコ笑って食べ物をくれる人は悪い人だからついて行ってはダメだと教わった。
うん?と体ごと右に傾く。
違う違う。それはお外で、お家の中は大丈夫。……でもここは僕のお家じゃない。
うぅーん?とまた体ごと左に傾く。
そんな時にコンコンっと扉がノックされ、間髪入れずにガチャリと開く。傾いたままそちらを見ようとしてバランスを崩し、ドターン!とベッドから落ちた。痛い。
扉から目をまん丸にしてこちらを見つめる小さな人影。さっき会ったキャシーだ。
痛いし恥ずかしいしで、なんとなくそのまま見上げてみる。
しばし無言の奇妙な時間が流れた。
キャシーがトタトタとおさげを揺らして近付いて来る。
「おちたの?」
「うん」
「いたい?」
「…だいじょうぶ」
ちょっと見栄を張った。
起き上がってパタパタと服の埃を叩き向き直ると、自分より僅かに下に好奇心いっぱい!と主張しているような鮮やかな緑色の瞳があった。
"おくさま" と同じ瞳。キラキラしてて綺麗。
「ごはん!いこ!」
ニンマリと笑い小さな手を差し出してくるキャシー。
リーンはうんと頷いてニコリと笑い、こちらも小さな手をそれに重ねた。
困った状況だけどなんとかなりそうだ。