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「別室に行けと言えば行くのか」
「はい」
「お前の妹と扱いが違うと不満に思わないのか?」
「?ボクと、キャシーは違う人なので」
眉間に皺を寄せたおじいちゃんとよく分からない問答をする。なんだろうこれ。
「おじい様。いい加減にして下さい。彼に謝罪を」
侯爵の後ろに控えていたキラキラした子供が初めて言葉を発した。なんというか、爽やか王子様オーラを発している。金髪とグレーがかった碧眼で絵本から出て来たのかと思うような容姿だ。
「ああ…これは、確かに。……見誤ったようだ」
侯爵が途方に暮れたように笑いため息をつく。その目は先程までの冷たいものでは無くなっていた。
侯爵はドランの話を聞いてから調査をさせていた。
ドランとミリアは子供の頃からの許嫁だ。結婚前とは言えそこにちょっかいを出した女が居たのかと。
調べれば相手はこの街に住んでいた器量が良いだけの平民で、当時はその美貌と愛想の良さで街の有力者達にもチヤホヤされていたと言う。ろくな人間ではない。
その子供がたまたまドランの瞳と母親の容姿を受け継ぎ、母親と同じくドランに取り入った。
一日二日で集める事が出来た情報は母親の当時の情報と、子供がこの街で高価な軟膏などをドランに買わせていたという話や、年上の子供二人を引き連れて護衛や世話をさせているという話。
幼い子供に罪があるとは思わないが、その人格は既に母親の影響を受けてしまっているようだ。このままでは良くない。ドランの目を覚まさせ孤児院にでも入れさせよう。
そう思っていたが……。
きょとりと自分を見上げる大きな瞳と目を合わせる。
こちらに取り入ろうという気配は微塵も無い。好かれようが嫌われようが恐らく気にしないだろう。そしてこの状況でも父親に縋るどころか視線すら向けていない。話す言葉も拙い割にその内容は五歳とは思えない。
これは、明らかに自分の言いがかりだ。
「酷い態度をお詫びする。申し訳なかった」
侯爵が頭を下げる。ドランとイワンはその光景にギョッとした。遥か下の身分の、しかも子供に頭を下げて謝罪するなど有り得ない。普通は。
「?おわびされる事は、なにも」
「君が気にしてなくとも、謝罪するべき事をしたんだ。どうか最初からもう一度やり直させて貰えないだろうか」
「厚かましいですよおじい様。あんな態度を取っておいて、無かった事になど出来ません」
リーンが口を開こうとしたらキラキラ王子が爽やかに笑って自分の祖父を攻撃し出した。
「ヴィオ。……そうだね。爺は退散しようか」
「ホストに居なくなられても困ります」
スタスタとリーンの前に来ると侯爵が退けた場所に片膝をついてキラッキラの笑顔を向けてくる。
「初めまして。僕はシルヴィオ。招いておいてアレは無いと思う。身内として僕からもお詫びを」
「あ、おわびは、無しで」
目を伏せ頭を下げようとしたシルヴィオの頭をガシッと押さえてストップをかけた。全く気にしてない事を何度も謝られるとモヤッとする。
物理で謝罪を止められたシルヴィオはポカンとした後、弾けたように破顔した。爆笑してても爽やかって凄い。
そしてドランは息子の暴挙に魂が抜けそうになっている。侯爵家のご子息の頭を鷲掴み……。
「ふっははっわかったよ。じゃあ、気分転換に庭の散歩はどうかな?池に魚がいるんだ」
「さかな」
「そこのテーブルの焼き菓子と、魚の餌も持って行こう」
「行く。…ます」
うんうん頷く。あ、キャシー。
「キャシーも行く?」
「はい!キャシーも!!」
いつも通りの元気な娘の声にビクッとドランが覚醒した。降りようとジタバタするキャシーを見て床に降ろしてやる。
キャシーが走って行った方を見ればリーンとシルヴィオが楽しそうに笑い合うのが見えた。頭鷲掴みは問題にならなかったらしい。
しかし、なんかもうめちゃくちゃだな。苦笑と共に子供達を見送りため息を一つ吐き出して侯爵の元に向かった。何を思って息子をコケにしてくれたのだろうか。
「閣下。息子がシルヴィオ様に失礼を」
「いいや。礼を失したのはこちらだ。申し訳なかったね。君にも」
謝罪しようとしたら遮られ逆に謝罪された。どうもリーンは全く気にしていないらしいが。
あの子は人懐っこいように見えて、一定の範囲内に置いた相手以外に何をされようが何を言われようが一切自身への影響を許さないようなところがある。思えば自分との初対面もそうだった。
「いえ。ただ、理由をお話し頂いても?」
「ああ。そうだな。だが……まずはお茶を飲もうか」
そうして大人二人は子供達によって粗方茶菓子が持ち去られたテーブルにつく。
ドランはこの後確実に不愉快な思いをするだろうなと予感しながら、ひとまず上等な紅茶で喉を潤した。
三人は後ろにイワンと公爵家の使用人を連れて意気揚々と庭園に踏み込んだ。リーンを真ん中にして三人手を繋いで歩いていく。
四角くや丸に刈り込まれた木を不思議そうに見て首を傾げ、かと思ったら歩道に敷かれたレンガをまじまじと見てウンウン頷く。更にその横で兄を真似て同じ動きをする妹。
今は二人揃って池の畔に群がり一斉にパクパクする魚達をうわーと眺めている。そして手に持つ餌をじっと見た後ポイと投げて、荒れ狂う魚達の様子にまたうわーと声を上げる。
シルヴィオはさっきから面白くて仕方がない。
「おじい様は、僕と君の妹の縁組を考えていたらしい」
「えんぐみ」
唐突なシルヴィオの言葉に魚から視線を外し顔を上げる。
「そう。キャシーを僕のお嫁さんにしようと思っていたって事だよ。」
「……キャシーのスキルを知ってる?」
「うん。聞いた。おじい様からではないけれどね。我が一族は、昔からずっとあのスキルを特別視して執着してる。崇拝と言ってもいいかもしれない」
じっと見上げるリーンと目を合わせたまま続ける。
「一族の誰かには必ず嫁ぐ事になると思うよ。断っても逃がさないだろう」
そしてキラッキラ全開で微笑む。
「だから、僕にしておかない?」
言う相手、間違えていませんか。
自分はキャシーの将来を決める立場にないし、もちろん本人でもない。と言うか本人横に居るんだけど。