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断腸の思いだ。
せっかく。せっかくセオの短剣がビリビリしてたのに。ケネスが呼んだよく分からない奴がよく分からない動きをしてたのに。出掛けなければいけない。
フリフリキラキラに着替えさせられたリーンが珍しく口をへの字にしている。筋肉を諦めた時以来だ。
「精霊召喚は帰り道か村に帰ってから練習するよぉ」
「おう。お前も飲み水じゃねえ水魔法一緒に練習すんぞ」
「ううん。ケネスはびよんと仲良くなってて。セオもビリビリきょだいかしてて」
新しい事が出来るようになったワクワクを自分の我儘で中断させるのはダメだ。への字口を直してフルリと頭を振る。
「びよん……まさかそれ、アレの名前……?」
「巨大化させてどーすんだよ。間合い変わるだろ」
何故か不満そうに返された。
「俺もケネスも親父に剣と弓の初歩習うから良いんだよ。ビリビリはまた今度、一緒にだ」
セオが拳でつむじをぐりぐりしてくる。痛い。
「ぶふっさっきの……っリーンくっつけたウォードさ…ぶふっ……ふっふふふ」
ケネスはプルプルしてる。大丈夫だろうか。
「ふふ。ありがとう。楽しみ」
満面の笑みでお礼を言った。優しい友人達だ。
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辻馬車を呼んでドラン、リーンとキャシーにイワンの四人で乗り込む。この街まで来るのに乗った荷馬車兼用の馬車とも乗合馬車とも違う、箱型の黒くて小さいなんかオシャレな馬車だ。
馬車は昨日見た賑やかな街中を通り過ぎ大きな橋を越えて立派なお屋敷がたくさん並ぶ場所へと入って行く。
橋の前には衛兵が立っていて、リーンは街の入口のようにまたお金を払うのかと思ったが違った。橋の向こうに入る馬車を見張っているらしくドランが何か模様が彫ってある金属の板を見せたら通してくれた。あれなんだろう。
「これが気になるのか」
じっと見てたらドランが板を見せてくれた。材質は銅だろうか。真ん中に盾があってその両側で獅子がガオーってしてて周りを葉っぱが囲んでいる。え、なにこれ。
「メイソン侯爵家の紋章だよ。これを持っている人物がメイソン侯爵家に縁のある人物だと証明する物だ」
「もんしょう」
「そう。その家を表すマークだよ」
銅板を仕舞いながらドランが答える。一応我が家にもあるらしいが、特に使う事も無いし見せたところで何これ?という扱いになるそうだ。
獅子や鷲や植物、ドラゴンとかペガサスなんかも描かれている物があるとか。ドラゴン。かっこいい。道中残り僅かな時間を有名な貴族の紋章についてイワンに教わりながら進んだ。
侯爵のお屋敷は訳が分からないぐらい豪華で立派だった。門から入り馬車のまま庭園の中の道を進んで、やっと玄関。庭園も綺麗に整えられている。
馬車から見えたのは全部で三階建てのどっしりした建物で一階は白い柱に白い壁、二階三階は白い柱にオレンジ色の壁だ。窓にはもちろんガラスが嵌っていて窓枠も美しく装飾されている。
ここ、たまに来るだけの家って聞いたんだけど。
「ようこそおいでくださいましたターナー様。お部屋までご案内致します」
玄関のアプローチでにこやかに迎えてくれる細身の上品なお爺さん。彼の後について豪華なお屋敷の中を進んで行く。
たどり着いた部屋は庭に直接出られるようになっている明るい部屋で、中央に立派なソファセットが置かれていた。奥に座るおじいちゃんがメイソン侯爵家の当主様、隣のキラキラした子供がその孫だろう。
「やあ、よく来てくれた」
「閣下。お招き頂きありがとうございます」
立ち上がり挨拶を交わす大人達。おじいちゃんの目が親しげに緩む。
「キャシーもよく来たね。会うのは赤ん坊の頃以来だから分からないだろうが。大きくなった」
「こんにちは」
ドランに抱っこされたキャシーはお屋敷や部屋にびっくりしたのか、いつもの元気は鳴りを潜め大人しい。
「それでこの子が?」
「えぇ。先日お話した息子のリーンです」
ドランの右手がリーンの後頭部を一撫でする。そしてこちらを見下ろす侯爵の顔からは急激に温かみが消えた。
「初めまして。リーンです」
「…………」
じっと見上げた侯爵の目には温度は感じられない。こちらを嫌悪する感情は見えないが、かと言って快く迎え入れようという気も無さそうだ。
これはどういう状況なんだろうかと思い見上げたままパチクリと瞬く。すると冷たい空気が霧散して侯爵がドランに苦笑を向けた。
「ははっ随分と面白い子だね」
「……恐れ入ります」
侯爵の態度に困惑しきっていたがなんとか返事を返す。会ってみたいから連れておいでと言ったのは侯爵の方だ。
なのに何故。
リーンの前で片膝をついた侯爵が今度はにこやかに笑いかけてきた。ただ、目の奥は変わっていない。
「泣きもしないとはね。怖くなかったのかい?」
「泣く?」
さっきので?
「かっか、はボクを好きでも嫌いでもなくて、うーん…関わりたくない?のは、わかりました。怖くはないです」
首を傾げ、うんうん頷きニコリと笑って続ける。
「お父さんとキャシーとお話している間、ボクはどこにいたらいいですか」
「閣下」
堪らずドランが声を上げるが、侯爵に掌を向けられ制止された。これではもう、勝手な発言は許されない。
なんなんだ。もうリーンを抱き上げ走って出て行きたい。
リーンとしてはドランとキャシーに影響が無ければ例え嫌われたとしても特に何も思わないのだが。初めて会った老人にどうしても好かれたい理由は何も無い。
そんな事を考えてニコニコしているとは思わないドランはハラハラし、イワンはここで暴れたら流石に自分の首だけじゃ足りないなぁと考えている。