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今日もいつものように夜明け直前に目を覚ました。
まだ薄暗い室内で目を擦りながら起き上がると、両隣のベッドから静かな寝息。左側のベッドの毛布の塊の更に向こうからは、何を言っているのか分からないキャシーのモゴモゴした寝言が聞こえる。
ふふっと笑って「よし」と気合いを入れベッドから出る。今日は買い物に行くのだ。明日の茶会の為にリーンとキャシーのちょっと立派な服を買いに行く。
本来はオーダーメイドできっちりした物を仕立てる必要があるが、急だしそこまで求められないだろうとの判断だ。そもそも一度しか着ないオーダーメイドの子供服など仕立てる余裕は流石に無い。
ドランのベッドは空だ。きっと中庭か隣の部屋だろう。起き出してきたセオと起きないケネス、自分の寝言で目を覚ましそうなキャシーを見ながら身支度を始めた。
結局あの酷い起こし方でケネスを起こして皆で朝食を食べ、お出かけだ。セオとケネスも街が見たいからと同行する。出発前にドランに促されて一度部屋に戻った。
「セオとケネスに今回の旅の報酬を半分渡しておこう」
そう言ってドランから二人にそれぞれ大銅貨五枚ずつが手渡された。二人がびっくりした顔でお礼を言っている。
そう言えば報酬を出すと言っていた。それをニコニコ見ていたリーンにも「お父さんからお小遣いだよ」と同じく大銅貨五枚渡された。
価値としては銅貨一枚で小さなパンが一つ買えるぐらい。そして大銅貨は銅貨十枚分。子供達には大金だ。
「おこづかい」
「好きな物を買って良いけれど、無駄遣いはいけないよ」
ウンウン頷きありがとうとお礼を言い、手のひらの硬貨をギュッと握ってもう一度ありがとうと口にする。お小遣いなんて初めて貰った。
イワンにお金の使い方とスリに盗られないように注意する事などを教えてもらいながら、三人で顔を見合わせ笑い合う。何かいい物を買おう。
女将に見送られて宿を出た。教会に行った時は乗合馬車に乗ったが、街の中を馬車で行き来するという事に驚き他人と一緒の馬車に新鮮味は感じてもまた馬車か……という微妙な気持ちになった。そして今日も乗合馬車だ。
「大丈夫だよ。乗合馬車で行くのは途中まで。街の中心に着いたらゆっくり歩いて見よう」
子供達の無の顔を見たイワンがドランに耳打ちし、慌てて予定を伝えた。途端に瞳が輝く。良かった。
今日のお出かけはドランとイワンといつもの三人。そしてキャシーだ。
窓から大きな建物や忙しく働く商売人達が見える。リーン達が入って来た南門周辺はこの街を訪れた人々向けの店や宿屋が並び、珍しい物は多いが上等な服などは無いのだそうだ。
時間があったらこの辺も見て回りたいなと思いながらあちこちに視線を送る。
「可愛らしいお兄ちゃんとお嬢ちゃん達ね。この街は初めて?」
向かい側に座る老婆がニコニコと話しかけてきた。小さくて優しそうな、リーンが想像する正しいおばあさんだ。やっぱりクレアが特殊なんだなと一人納得してウンウン頷く。
「はい。こんな大きな街は初めて見ました」
一人で考え込んで一人で納得しているリーンを肘で小突きケネスが答える。
「そうなのね。私はここの北にあるリュクスの街から来たの。ここともまた違う雰囲気の街よ。いつか行ってみて」
違う街。考えて見れば他に街があるのは当たり前だが、リーン達にしてみれば街=ギールだったので衝撃を受けた。
「りゅくす?もおおきい?」
「えぇ。大きくて綺麗な街よ。お花がたくさんあるの」
「おはながたくさん……!」
キャシーが興味津々で老婆と話すのをドランがなんとも言えない顔で聞いてる。リュクスはメイソン侯爵家の領地で最も栄えている街、そして侯爵とその家族が暮らす地だ。
老婆は北と言ったが正確にはギールの北東。更にそこから北に王都があり、東に軍港を兼ねた大きな港町があるため、商業の中継地として大層栄えている。
この国は北の端に大山脈があり東側が海に面している。マルツ村も東に行けば港町があるが、その間を隔てるように山脈が南北に続いているため山脈を迂回するとギールよりも遠い。あの村を含めて周辺の村の人々は隣国と山脈に挟まれほぼ南北にしか移動出来ないのだ。
ちなみにマルツ村の南には村をいくつかと街を一つ挟んで大きな辺境の街と砦がある。その先は大森林と呼ばれる樹海。南に行くにつれ魔物が強くなるので、あまりそちら側に行く事は無い。
気になったこの国の地理を簡単にドランとイワンに教わり、ふんふんと聞いているとあっという間に目的地に着いた。王都も辺境砦もいつか行ってみたい。うみ?はちょっと想像がつかないが、それも見てみたい。
冒険の候補地をワイワイ話し合う三人と、白い建物が並び家々に色鮮やかな花が飾られているというリュクスの街にすてきすてきと大騒ぎなキャシー。ドランは遠い目をしながら老婆にお礼を告げ子供達を促して馬車を降りた。
オズは大きくなってもお父さんと一緒に暮らすと言ってくれる。きっと。