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「その…子供、は……」
マルツ村の真ん中辺りにある、他よりも大きくて少しだけ立派な家の中。
くたびれた男の前に立つ、古ぼけてはいるが小綺麗ななりをした焦げ茶の髪の男が呆然と目を見開いて小さな子供を見ている。
「へえ。オイラの妹のマリーの息子で、リーンっちゅうんですが。妹が一年前に流行り病でおっちんじまって。そいで父親も近くにはいねえっつうんでうちで面倒見ていたんでさ」
くたびれた男は小綺麗な男にヘコヘコしながら更に続ける。
「けど、去年は天気も悪くて採れるもんも採れんかったし。うちももう、これ以上はどうにも……」
気まずそうに小さい子供、リーンから視線を外すようにしながら告げる。
リーンの面倒が見れなくなったにしろ、遠く離れた村からわざわざここに連れて来る理由も小綺麗な男がリーンの面倒を見る理由も普通なら無い。
だが、珍しい不思議な色をした瞳を小綺麗な男とリーンのどちらも持っており、明らかに血縁があるだろうと思われる。
何よりリーンの顔は村一番の器量と言われた母親にそっくりで、小綺麗な男にはとても、身に覚えがあった。
忘れ去っていた過去の記憶が次々と蘇る。
「そう…か。マリーが……」
こちらを不思議そうに見つめる自分と同じ色の瞳を呆然としたまま見下ろした。
小綺麗な男、この村の管理を継いだばかりのドランという男は確かに六年前、ここから北にある大きな街ギールでマリーという名の美しい娘と恋に落ちた。
だが、ドランは当時の村の長である父親の遣いで街に行っただけですぐに戻らなければならず、ギールで仕事を持っていたマリーに、必ず迎えに来るからと伝え後ろ髪を引かれる思いで村に帰ったのだ。
マリーには伝えていなかったが、実はドランには村に結婚が決まっている相手がいた。幼い頃に親によって決められた相手だ。
ドランの方には相手に対する恋愛感情は無かったが、好かれているのは知っていた。幼い頃からの仲で気心も知れていたし気立ての良い娘だったので、マリーに出会うまでは結婚とはこんなものだろうと受け入れていたのだ。
当時は兄とそれを慕う妹のような関係で、ドラン本人以外はそのまま結婚して家庭を築く事に疑問を感じる者など誰も居なかった。
村に帰るまでは必ず両親と許嫁の娘にマリーの事を話し説得して、早くマリーを迎えに行かなければと思っていた。
だがいざ帰って家族や許嫁と顔を合わせるとどうにも言い出し難い。特に、無事に帰った事を目に涙を浮かべて喜んでくれた娘にはとても言えなかった。
周囲もそんな二人を微笑ましく見つめ、お熱い事だと冷やかしては笑う。自分の言葉でこの温かな空気が途端に霧散するのかと思えば身も竦んだ。
そうしてウダウダとしているうちに一月経ち、二月経ち、時間と共に恋の情熱が思い出へと変わっていく。
遂には、そんな事もあったなと時折思い出して懐かしむ程度のものになった。
よくある話だ。よくある話ではあるが、無責任な男によって振り回された女側はたまったものではない。
男への恨み言を呟き呪いながら生きるか、悲劇の主人公のように涙を堪えて男を待ち世の無情を知るか。いずれにしろ幸福とは言い難い。
その点、リーンの母親であるマリーは逞しかった。
彼女が自立した女性であった事もあるが、そもそも迎えに来るというドランの言葉を話半分に聞いていた。
ドランを愛していなかった訳ではない。ただ人には様々な柵がある事を、そして彼はそれらをなぎ倒して自分の想いを貫くような性格では無い事を知っていただけだ。
良く言えば周囲を思いやる、悪く言えば優柔不断な、ちょっと情けないドランという男を愛していた。
迎えに来てくれるのならとても幸せな事だとは思っていたが半分諦めてもいたマリーは、身篭ったことを知って覚悟を決めた。
出産までにドランが迎えに来るのなら良し。だが出産までに来なかったらスッパリ諦めて我が子のために生きるのだと決めた。
賭けの結果は言わずもがな。
彼女は街でお針子の仕事をしていたが出産を機に辞めざるをえず、乳飲み子を抱えて生まれ育った村へと帰った。
村ではそれなりに奇異の目も向けられたが、子供の頃から村の人気者だったマリーとマリーに瓜二つの愛くるしいリーンはあれこれと世話を焼かれ、ささやかではあるが穏やかで幸せな日々を送っていた。
村に流行病がやってきてマリーを含む大勢が亡くなり、更にその後に天候不良による不作が起こり、どうしようもない状態に陥るまでは。




