03. 常識の違い
王都でも有数の商家の娘だった義母は、人と衝突することなく自分の欲求を相手に飲ませる手管をもっている女性だった。
自分の主張を通すことなく、やんわりと要求を伝え、そして時には妥協しながら、お互いの『落としどころ』を探っていくさまは、さすがさすが商売人の娘といったところだろうか。
そして、人の好い笑みを浮かべながら何の遺恨も残さずに物事を解決する彼女は、しきたりや陰謀にまみれた社交界にあってもその手腕を遺憾なく発揮しているように思えた。
その証拠に最近はお父様の機嫌が良く、これまでは何かと理由をつけて断っていた社交パーティーにも嫌な顔ひとつすることもなく夫婦揃って出席している。
義母の素晴らしいところは、それを無意識のうちにやってのけることだと思う。高飛車なところもなければ、卑屈なところもない。ただ、ありのままに彼女らしく生きているだけで、いつの間にか彼女の願う通りに物事が進んでいるようにすら思えるから不思議なものだ。
彼女たちと一緒に住むようになって1か月ほど経った頃だろうか、彼女たちと日々を過ごすうちに私はあることに気づいた。
それは、自分の意思を口にすることは悪いことではないのかもしれない、ということだった。
それまでの私は、ただ押し黙って自分の気持ちを察してくれることを願うだけだった。そして幸いなことに、私のことを気遣って、常に意識を向けてくれている優しい兄は私の意を汲むことに長けていた。
そんな毎日に慣れきっていた私にとって、「美味しいケーキをもっと食べたい」「街へお散歩に連れてって欲しい」などと臆することもなく口にする義妹は、驚異の存在に思えた。
貴族の令嬢が「ケーキをもっと食べたい」などと口にすることは品のないことだと思うし、そんな言葉を口にすることすら許されないとすら思えた。
しかし義妹のアンナは望み通り追加のケーキをもらい、周りの者も美味しそうに食べるアンナのことを目を細めて見ているのだ。
「街へお散歩に連れて行って欲しい」という願いにしても、平民出身のアンナが街へお散歩に行きたがる気持ちはわかるけれど、街へ行くとなったら自分だけの問題では済まないのが貴族というものだ。
まずは馬車の利用を許してもらわなくてはならないし、御者や護衛たちの手間をかけることにもなる。
屋敷で着ているドレスで行くわけにもいかないから平民服を用意して着付けてもらって…… などと考えだしたら、どれだけ手間暇をかけることになるのか、考えただけでも気が遠くなる。
しかし、さして年の違わない義妹は当然のごとくそれらの願いを叶えてもらっているのだった。
そして、そんな義妹を見ていて気づいてしまったのである。
私は「自分の欲求を臆することなく口にすることは許されない」と思っていたけれど、よくよく考えてみれば、それは誰かに言われたことではなく自分が勝手にそう思っていただけだったということに……
前世で謙虚を美徳とする日本人として生きていた私は、誰かから注意を受けたわけでもないに、自分の欲求を我が儘だと決めつけて押さえ込んでいたのかもしれない。
アンナが口にしていた言葉が、胸をよぎる。
「だって、言わなくちゃ分からないじゃない?
『口は物を食べるだけにあるんじゃないんわよ』ってお母様も言っていたわ」
欲しいものは欲しいと言う。やりたいことを、やりたいと言う。
これはお義母様とアンナにとっては至極当然の常識なのかもしれないが、私にとっては馴染みのない常識だった。きっとこれは良し悪しの問題ではなく、どちらの常識を選択するか自分で決めるべき問題なのだろう。
どちらの常識を是として生きるか…… そう考えたとき、私の心は迷わずに答えを出した。
私は、義母やアンナのように生きてみたいと思った。