002:神崎巫葉
「あの、送ります」
「え、いやいいですよ」
「話したいこともあるので」
そう言われてしまうと、断ることなどできるわけもない。
玄関を出ると、外はもう真っ暗で、だからこそ星がきれいだった。
「うわぁ、この辺って星が見えるんですね」
「私も初めて見ました」
少しの間が空いて、それがあまりにも気まずくて、私から切り出してしまった。
「で、話って何ですか?」
「ちょっと、公園入ろうか」
ベンチは冷たく、いくら4月であっても夜は冷えるということが身に染みた。
「私ね、東風君に告白されたんだけどね」
知ってるよ、そんなことは。
「君がいたことも、知ってたんだ」
……へ?
「君さ、昇降口にいたよね。隠れるようにして、ちょうど柱で見えない位置に」
「……どうして、分かったんですか?」
「角度的に、見えたの。あとね、家庭教師のこともあるけど、前から君のことは知ってたんだよ」
マジかよ。
「そりゃあもう。井口東風には年下彼女がいる、とか、妹がいるとか。あれは従妹だとか」
「そんなことになっていたんですか」
「それでね、聞いておきたいんだけど」
「なんですか?」
「東風君のこと、好き?」
ドストレートな言葉が、私の心を突き刺す。しかし、私だってそんなことで負けるほど純粋無垢じゃない。子供じゃないんだ。
「好きですよ、大好きです」
「そう。なら、断って正解だったのね」
「え?」
「私もね、本当は彼のことが好きなのよ。でも、その好きは君のそれよりはるかに弱い」
「……」
「だから、私は言ったの。『3月まで待ってほしい』って」
「……まさか、卒業式で告白するとか、そういう魂胆ですか?」
「バレちゃいましたか。さすが、2年生主席さん」
「恐ろしいです、3年生主席さん」
「さあ、勝負です。3月までの間に君が東風君を振り向かせることができるのか、それとも私が東風君にぞっこんになるか」
胸に指を突き付けて、彼女は言った。
正気なのか、この人は。
でも、面白い。
嬉しそうな笑顔を浮かべるのが少々わかりませんが、そんなことはどうでもいい。
「絶対に、負けませんから」
今までは日記調に描かれた世界を想像していたけれど、そんなんじゃない。
これは戦記だ。
彼女——神崎巫葉に勝つまでの、物語だ。
翌日のことである。
「かっこつけて自我を保とうとしてもあんまり意味ないですよ?」
「おい青嵐。言い方に気をつけろ」
「だって、先輩が——井口先輩が神崎先輩とダンスを踊るという事実は変わりませんし」
晴れた空は、校庭にたたずむ私たちを明るく照らしていた。そして、彼らもまた、照らされる人間たちだった。
体育祭。私たちの学校は、5月のゴールデンウィーク明けに開催されるため、4月も中旬まで来ると、体育祭に向けた準備をしなければならない。
競技は多岐にわたるが、もともと運動向きではない私たちは、学級委員長から条件付きで、出場する競技を一つにしてもらった。
その条件というのが。
「二人三脚って、足並みちゃんと揃えないとできないんですからね?」
「知ってるよ、青嵐。私を誰だと思っている」
「冷徹の孤独姫」
「あまりにもまっすぐな悪口で何も言えないよ」
確かに友達は少ないけれど、そこまで言われなくてもいいじゃないか。学級委員長も青嵐も二年連続で同じクラスだったから、まだなんとか話せるけれども。
「みんな、単純に怖がっているんですよ」
「でも、私ってそんなに怖い?」
私の予想は、三ツ森青嵐を独り占めしていることによる嫉妬だが、その線もあるのか。
「ほら、いつもにらんでいるみたいじゃないですか」
「目つきが悪いのは許してくれ。これでも直しているほうなんだ」
「……マジですか」
こんな風に、今日は放課後に彼と二人三脚の練習をするべく、校庭で準備体操とともに雑談を繰り広げていたのだが、どうしてもやはり目の前にある景色は崩せるものではなかった。
「……巫葉さんといるとき、あんな顔するんだ。東風兄」
「いるときの顔は初めて見ましたけど、いいことあった時の井口先輩ってだいたいあんな感じでしたね。わかりやすいですよね」
「……」
分かっている。これは、単に学校の行事というだけであって、これから先につながる何かではない。……はず。だから、こんなところで嫉妬したところで、何かが変わるわけじゃない。
「……でもさ、」
「どうしたんですか……って、うそでしょ?」
「……へ?」
「なんで泣いてるんですか?」
青嵐の言葉でようやく自分が涙を流していることに気が付いた。どうして泣いているのか、わかりきったことではあったけれど、言葉にするのはあまりにも難しく、私は「わかんない」と苦笑いしながら、ごまかすように涙をぬぐった。
「たかが体育祭なのにな。……あんな笑顔、見せてくれたことないんだもんなぁ。あーあ、あんなふうに、優しくリードできるお姉さんになれたら、違ったのかなぁ」
「……」
しまった。青嵐を困らせてしまった。彼にはなんだかんだ感謝しているのだ。そんな彼を嫌な思いさせてしまったのは申し訳ない。
「個人的な意見ですけど」
彼は、そんな風に前置きした。
「井口先輩が巫葉さんに抱いている好意は、確かにお姉さん気質を買ったものだと思います。でも、」
力強い視線は、まっすぐに私の瞳を貫いた。
そんな瞳をした青嵐を、私は見たことがない。
「みーさんは、妹ポジションで向かっていけばいいと思います。わざわざ同じ道を進まなくても、いいと思います」
「……でも、それじゃ」
負けを認めることになる。同じ路線じゃ勝てないから、違う支線から狙うしかないと公言しているようなものだ。
「あくまでも、落とすまではってことです。そのあと、何かしらの倦怠期がどこのカップルにも訪れます。そしたら、そこでお姉さん感を出していけばいいんじゃないですか?」
後光がさした。彼の背中に、光が、見えた。
「青嵐」
真剣なまなざしに、彼は笑顔で対応する。
「どうしました?」
「ありがとうな、励ましてくれて」
「いえいえ」
彼は私から視線をそらした。空を見るでも、グラウンドを見るでもない。
ほんの少しだけ、私の目からそらして、そして。
「好きな人が悲しむ姿なんて、見たくないですから」
そう言った。そう、言ったのだ。
「って、ああ、違いますよ。親友として、ってことです」
「……ありがとう、ほんとに」
もう涙は出てこない。これからは、まっすぐに進むだけ。
自分の道を。
「よき友に出会えて本当に良かった」
私の言葉に応答するように、彼は笑顔を見せてくれた。
屈託のない、笑顔だった。