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夏休みも終わり、学校は10月に行われる文化祭に向けて、本格的な準備が始まりました。とはいっても、生徒会のやることは予算検討と出し物くらいで、むしろ文化祭後すぐに行われる生徒会選挙の方が重要だったりします。
「なあ、青嵐」
「会長、どうしました?」
そんな9月半ばのとある日のこと。僕——三ツ森青嵐は、会長である井口東風の元へ訪れていました。理由はその予算検討で、最終的なハンコは会長が直々に押さなくてはなりません。めんどくさい、この制度。
「出し物なんだけどさ、バンドで歌を歌うってことでいいんだよな?」
受験勉強の傍ら、井口先輩は文化祭に出ると僕に宣言しました。しかし、それは今度の模試でB判定以上出せればという条件付きなんだそうで、みーさんが言うには『絶対にありえない』とのことです。
「まあ、下手にダンスとかやって大ゴケするよりは、僕も会長もギター得意ですもんね?」
ともあれ、僕は大学よりも学園生活を楽しむほうが大切だと思う人間なので、井口先輩の提案を無下にすることはありません。
「いやまあ、それはそれでいいんだけど」
「曲決めとかですか?」
「いや、そうじゃなくて」
「煮え切りませんね、何が問題なんです?」
「なんか、華がないというか。ボーカルほしくね?」
生徒会の出し物は強制参加ではなく、むしろ違う仕事があればそちらが優先になります。それにしたって、二人ってそんなことがあるんですか?
「会長、いくらなんでもそれは。だって、生徒会メンバーは8人もいるんですよ?」
「じゃあ、一人ずつ挙げてみて」
「じゃあ、まず亜久里先輩」
「文芸部は文化祭が引退の場だからな」
「そうですか、なら木菟先輩は?」
「軽音部も同様だ」
「……じゃあ、上総先輩は」
「上総は文化祭前日から先行入学」
「先行入学?」
「うちの学校の推薦を勝ち取った奴は、10月から、つまり半年前から並行して通うことができるんだよ」
「……そんな制度が」
「だから、あいつは午前も午後も空いてない」
「じゃ、じゃあ加々美さんは?」
「人前に出るのはNGなんだそうだ」
「……なら、衛君は? 人前に出るの好きですよね?」
「あいつは夏休み中に骨折して全治3か月」
「何やってるんですか」
「自転車で塀を通行していたらしい」
「本当に何やってるんですかあの人」
「限界に挑戦したかったんだろう」
「……まあいいです。じゃあ、最後の細波さんは?」
「彼女は夏休み明けてから一度も会ってないし、連絡も取れない」
それ大丈夫なんですか? 大事件とかじゃないんですか?
しかし、会長は「いやでも、俺からの連絡を返してこないだけで、SNSはゴリゴリに動いているからその辺は大丈夫」と弁明しました。それはそれでという気もしないですが。
「ならもう二人でよくないですか? インストゥルメンタルってことで」
「いや、でもそういうわけにも」
「……なら、みーさん、霙さんとかはどうなんですか?」
「……あいつ、結構音痴なんだよ」
「え、そうなんですか?」
「しかも、無自覚音痴」
「……なるほどぉ。あ、じゃあ神崎先輩は?」
「……条件渡されているのにさすがに誘えない」
「そうでしたね。あ」
「お、誰かいるのか?」
「……いや、でも彼女吹奏楽部で」
「もっと大変じゃないか。ちなみに、誰なんだ?」
「同じ中学で一つ下の粟生香奏です」
「……なるほどなぁ。ん? 粟に生きるで粟生?」
「あれ、知り合いですか?」
「いや、そうじゃなくて」
そして、会長は衝撃的な一言を発するのでした。
「吹奏楽部大量独立事件の首謀者が、確か粟生とか言う人だったなぁって」
「……吹奏楽部大量独立事件?」
「ああ、夏休み明けすぐのことなんだけどね。
「昔から、吹奏楽部は絶対的な縦社会で、何でも3年生が優先なんだって。それに加えて、下の世代は基礎練習しかさせてもらえず、それも結構スパルタなんだとか。どれだけ3年生がど下手でも、大会には3年生が出場するし、どれだけう上手くても下の世代は出られない。悪しき風習だとは思うけど、それで何年も連続して地方大会まで出てるんだよ。だから、余計に何も言えなくなる。
「まあ、メカニズムは簡単だよね。基礎練習を長い人は2年もやってるんだもん。演奏できると思ったら、うれしくなって練習する。そしたら、あっという間に急成長は遂げられる。
「今までは、そんな風にしてやってきたわけだけれど、今年はそういうわけにはいかなかったようで。
「吹奏楽部の創設以来ずっと取ってきた金賞を、今年は取れなかったらしい。
「イライラが溜まっていた1年生は、それに対して怒りをあらわにしたってわけ。それもそのはず、この1年生たちは将来有望の人ばかりだったそう。僕も演奏を聴かせてもらったことがあったけど、正直言って1年生だけの方が綺麗に感じた。
「素人からしてもそうなんだから、きっとプロが聞けば一目瞭然なんじゃないかな。
「そのあと名簿を見たんだけど、1年生のうちの半分が中学吹奏楽の強豪校で、2割が音大あるいは音楽科志望だったんだ。
「天才集団と言っても過言ではない彼女らは、先輩に虐げられても『それでも先輩たちは上へ連れて行ってくれる』と信じていた。そして、その間に先生に認められて、参加できるはずだと、そう思っていたんだそう。
「先輩たちの本気とも言えない姿に怒るのも無理はない。
「それで、一年生はトランペットの粟生さんを中心にごっそり抜けて、今同好会創設の申請が出てるところなんだ」
「……なんで僕それ知らないんですか?」
「生徒会担任が、俺だけにって」
「じゃあ言っちゃいけないのでは?」
「あ」
とにかく、そんなことがあったとは。
「ちょっと、本人に確認取ってきます」
「あ、ああ。それなら、『もし全面対決するのなら、俺に一報入れてくれ』と伝えておいて」
「わかりました」
まさかこんなことになっていようとは。あのお祭りの日は、全然そんなこと言ってなかったのに、突然なんだろうな、きっと。
駆ける僕の靴音だけが、廊下中に響きました。