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君色カレンダー  作者: 三河安城
三浦霙の恋心
21/30

003:

「あ、けいご君。おひさー」

「けいごじゃなくて清吾です」


 水色を基調とした花柄の浴衣。香奏ちゃんは、自分の可愛さをわかったうえでこれを着ているのかと私は驚いてしまった。

 さすがすぎる。


「清吾君だって甚平着ちゃって。似合ってるよ」


 ここだよなぁ。これを素でやられてしまえば、確かに鉄壁の清吾君でさえ落ちるのはたやすいだろう。


「じゃあ、私は青嵐と回るから。頑張って」

「はい!」


 早々に抜け出し、私は青嵐のもとへと向かう。生徒会は確か焼きそばを作っているはずなんだけれど……。

 捜している間、私は少し懐かしさを感じていた。小さい子のかわいらしい声や、おじさんの野太い声。流れる音楽に、オレンジ色の視界。そこに現実と理想の境はなく、普段の世界がグラデーション的に美しく映る。闇夜の空に心が疼く。


「……そっか、あの時素懐が生まれたのか」


 当時幼稚園児だった私は、両親とともに夏祭りに行くことになっていた。しかし、その前日に母方の祖父が倒れ、帰省しなければならないことを告げられた。何としてでも行きたかった私は、家の外まで響くように喚き散らした。どうしてそこまでして行きたかったのかは全く覚えていないけれど、きっと急遽行けなくなったということがいやだったのだろう。


 そして、見かねた両親がたまたま家族で行こうとしていた東風兄のお母さまに頼んで一緒に行かせてもらえることになった。


「確か、その時率先していろんなところに連れて行ってくれたんだよなぁ」

 今思うと、彼も私が泣き喚いたのを知って、気を遣ってやってくれたんだよな。そう考えると、やっぱりお兄ちゃんという気がする。


 優しいんだ、まったく。


「あ、みーさん」


 そんなことを思い出していると、とうとう生徒会の焼きそば屋まで来ていたようで、青嵐がテントの中から声をかけてきた。


「あ、青嵐じゃん。あれ、もうシフト終わりなんじゃ」

「ああ、実は香奏ちゃんには先に上がってもらったんです」

「……ほへ?」

「いや、せっかくのデートなんですから、少しでも長く遊んでほしいじゃないですか。それに、あと少しで完売しますし。あ、そういうことなんでもう少し待ってもらえますか?」

「……ああ、分かった」


 とはいえ、一人で祭りを満喫できるほど私もポジティブマスターではない。せいぜい人だかりから少し離れたベンチで座って待つことくらいしかできない。


 青嵐から焼きそばを購入し、私はそのベンチに一人座った。

 夏とはいえ夜になると涼しい風が入り込んで気持ちがいい。私は結局浴衣を着なかったけれど、もし来ていたらさらにムードが高まっていたことだろう。


「……東風兄がいればなぁ」


 そういえば、小さいころはこの祭りみたいな人だかりが好きだったのに、今ではすっかり嫌いになってしまった。その理由を考えたことはなかったけれど、もしかするとさっきの日の出来事が関係しているのかもしれない。


 あの日。東風兄の両親が夕飯を買ってくれている間に、私は東風兄に連れられいろいろな出店に顔を出していた。東風兄はどのゲームでも良い成績を残して、それだけで格好良かった。


 その時。私は後ろから肩をとんとんと叩かれ、ふと振り返るとそこには大人がいたのだ。小さいころの記憶であるために、きっちりとした記憶はないけれど、その時の恐怖はこれまでの人生でもなかったし、きっとこれからの人生でもないだろう。


 気持ち悪い笑顔を浮かべたその人は、私の腕をつかむや否や、東風兄とは逆方向に向かおうとした。つまり、誘拐されかけたのだ。


「その時、東風兄が足止めしてくれたんだよなぁ」


 彼自身もまだ小さいのに、その年齢的に小さい脳味噌をフル回転させて、私を助けてくれたのだ。のちに聴いた話だけれど、近くにいたお好み焼き屋の人に頼んでヘラを借り、そのまま足首に投げつけたらしい。直前まで鉄板に触れていたため、結構熱い状態で投げつられた犯人は、重量的な痛みとともにその場に倒れこみ、そのお好み焼き屋さんが抑え込んで事なきを得たらしい。


「それ以来、ちょっとトラウマになってるのかもな」


 そして、それ以来彼のことを想い始めているのだろう。


「……兄と思っているのだろうか」

 最近の悩み事はもっぱらここに帰結する。


「他人として好きなのか。家族になりたいのか」


 結婚しちゃえばどっちだって一緒というのは確かにそうなのだけれど、表面的にはそうなのだけれど、果たしてそれでいいのかという気持ちもあるのだ。

 兄として尊敬しているだけであれば、結婚するというのは少し違ってくるわけで、だからといって一緒に過ごしたいという気持ちに変わりはない。

 ブラコンかと思えば、別に血がつながっているわけでもないし。


「血のつながらないブラコンは、ブラコンと言えるのか」

 哲学的に問題提起したところで、根本的な解決にはならない。


「大丈夫ですか、みーさん」

「ああ、いや大丈夫。それより、完売したの?」

「無事終了しました」


 敬礼しながら笑顔を浮かべる青嵐。これは素直に尊敬できる。この可愛さは女子の私も見習わなければならない。

 青嵐とは家族になりたいと思ったことはない。彼とは、他人として——友人として仲良くしていきたいと思っているからだ。


 ラベリングが自分を苦しめているのか。


「なあ、青嵐」

「どうしました?」

「他人のこと考えるときって、どういう風に考える?」

「……何ですかその疑問」

「いやほら、簡単に言えば異性を見るとき、友達として見るとか恋人として見るとか」

「ああ……。気にしたこともないです」

「そうだよな」

 普通、そんなこと気にするわけないよなぁ。

「もしかして、まだ気にしているんですか?」

「え?」

「井口先輩と神崎先輩のことですよね」

「あ、ええと、まあ」

「まあ、自分が納得のいく答えを見つけることが正しいと思いますけど、自分としてはそんなこと気にしてもどうにもならないと思っちゃいます」

「そんな考えをお餅ってことか」

「お餅ではないです。持っていますが餅ではないです」

「もちろん、そんなことは知ってるよ」

「もちでつなげないでください」

「つないでないよ、搗いてるだけ。餅のように」

「こちとら真剣に答えたのに。そんな態度ならもう相談に乗りませんよ?」

「橙は乗せてくれる?」

「鏡餅じゃないですか。季節真逆です」

「確かに。この時期ならおもちゃで掛けるべきだったかな。出店がすぐそこにあるし」

「おもちゃなら年中掛けれるじゃないですか」

「玩具はギャグになりえないってか」

「何も面白くないし、何にもかかってないじゃないですか」

「辛辣すぎない? 辛辣っていうか毒舌というか」

「トングでみーさんの舌を取りたくなってきました」

「何それ超絶痛そう」

「そうすれば、少しは饒舌にならないでしょ?」

「壮絶すぎるけどね。この辺血しぶきまみれになっちゃうよ」


 そんな風に二人でだらだらとだべっていると、人だかりがざわめき始めた。そして、その群衆はある一点の方向へと向かい始めた。


「そろそろですかね」

「花火か」

「ここから見えますし、別にいいですよね?」

「そうだな」


 そういえば、今日はジンクスの日だった。最後の花火を見たら、結ばれる可能性が生まれるのか。いや、でも二人でステージを見たわけではないから、あのジンクスは発動しないか。そんなことも気にならないんだろうな、この人は。


「なあ、青嵐。私でいいのか?」

「え? 何がですか?」

「いやほら、花火とか、好きな人と見たいだろ?」

「……本当に気づいていないわけではないんですよね? わざと言ってるんですよね?」

「……」

「まあいいですけど。みーさんこそいいんですか?」

「……でも、彼らは模試があるから」

「そうですか? だとしたら、目の前にいる二人は誰なんでしょうかね」

「え?」


 そう言われて初めて気が付く。私たちの目の前にいたのは、私服姿の東風兄と巫葉さんだった。


「どうして、ここに?」

「僕的には、『模試が終わって時間があったので帰りに立ち寄った』という感じでしょうかね」

「……」


 その光景を見たとき、私は悔しいという感情がにじみ出ると思っていた。異性として東風兄のことが好きなのであれば、巫葉さんに嫉妬するのは不思議なことではなく、むしろ当たり前の感情だといってもいい。

 しかし、私にはその感情が芽生えなかった。


 血の気が引いていくのは感じたけれど、それよりもなにより諦念が生まれた。

 ……やっぱり、お似合いなんだな。

 つっかえていた何かが崩れて融けていく感覚。静かに爽快になっていく感触。


 私は、彼に何かを求めていたのだろうか。だとすればそれは、「この人を好きだと言っておけば、ほかの人間関係を考えなくてもよい」という私の傲慢な考えを受け入れてもらうことなのかもしれない。


 巫葉さんにだけ見せる、かわいい笑顔。

 東風兄だけに見せる、楽しそうな表情。


 やはり私は、東風兄に『家族』を求めていたのかもしれない。

 兄が私を見なくなるという心配。兄が私の知らない女性と仲良くするという嫉妬。

 兄が私に何もしなくなる恐怖。兄が私で満足しないと知る悲寂。


 それはきっとずっとそばにいたからこそ生まれる感情で、家族と言っていいほどの時を重ねた私だからこそ産むことができる感情。


「幸せなら、それが一番」


 私は恋をしていなかった。愛していたけれど、恋をしていたわけではなかった。

 そういうことに、しておこう。

 そのほうがずっと。


「……?」

 刹那。私の唇は誰かによって強引に閉じられてしまった。困惑する私から見える景色は、黒一色に染まった。


 だんだんと広がる灯。その手前にいたのは。


「……我慢、できなくて」

「……青嵐?」

「やっぱり、僕と付き合いませんか? 僕だったらそんな顔はさせません。絶対に幸せにします」

「……いや、でも」

「僕だって、男なんです。みーさんが素敵な人だってことくらい分かりますから」

「……今からは」

「井口先輩は確かに偉大でした。彼があなたの隣なら、あなたは幸せになれたことでしょう。しかし、井口先輩は僕よりも劣っていることがあります」

「……」

「それは、愛の大きさです」

「……へ?」

「初めて会った時から、大好きです」


 彼の目に揺らぎはなかった。動かぬ視線に、胸が疼く。少し前から勘づいていた。確かに、彼の目線は感じていた。

 でも。いいのだろうか。それで。

 こんな形で、こんな感じで。


「あれ、お嬢ちゃんたちどうしたの? もしかして、寂しかったり?」


 現れたのは、チャラついた男二人だった。あの時はわからなかったけれど、少しは大人になった今では、状況をきちんと飲み込めるようになった。


「な、なんですか」

 しかし、怖いことに変わりない。トラウマからか、手足が震える。

「そんな怖い顔しないでよ、寂しそうにしてたからお話聞こうかなと思っただけで」

 触れてきた。気持ち悪く、ちらちらと、ぬめりと。触り始めた。

 怖い。怖い。怖い。

「彼女に手を出さないでください」

 青嵐の対応に、「お友達も、一緒にどうかな」と動じない男二人組。

「まあまあ、近くに休憩できるところがあるからさ」

「ここで十分なので」

「……融通が利かねえな。いや、気が利かねえの間違いか」

「ナンパするなら相手の気持ちを考えてください」

「お前、女のくせに生意気言ってんじゃねえぞ。いいから、こっちこいや」

 瞬間。青嵐の中の何かがはじける音がした。1年も一緒にいれば、それくらい分かる。声も出ない私は、そっと彼に願うしかなかった。


「……女の子だって、強えんだぞ」

 彼が繰り出した正拳は一人の顎へとまっすぐ入り、その男の頭が、もう一人の男の顎に入った。そして、二人は気を失った。


「……やば、やりすぎた」

「……あ、あ」

「みーさん、待って泣かないで。僕が泣かせたみたいになるから」

「あ……ありっが、ありが、とう」

「もう……ごめんなさい。びっくりさせちゃって」


 その後。

 警察に通報すると、すぐさま駆けつけてくれた。どうやら目をつけていたらしいのだが、目を離したすきに見失ってしまったということらしい。


 ちゃんとしてよ、まったく。


「それにしても、君強いね」

 婦警さんは青嵐に向かってそう言った。

「え、ええまあ。一応空手やってたので」

「女の子でもそういう習い事したほうがいいものね。素晴らしいご両親だね」

「……あ、いえその。僕、男です」

「……あ、あらごめんなさいね」


 やはり婦警さんでもわからないものなのか。ともすると、ほんとに女性なんじゃないかなと思ってしまう。


「じゃあ、もしかしてデートだったり?」

「そんなんじゃないですよ、同級生ってだけで」

「……ふーん」

 ゴシップ好きそうな婦警さんだこと。

「じゃあ、気を付けてね。もう暗いから」

「わかりました。ありがとうございます」

「こちらこそ、助かったわ。さあ、行くわよ変態野郎」

「す、すみませんでした」

 無事解決したということだろうか。なら、それでいいんだけれど。

「さて、僕たちも帰りますか」

「あのさ、青嵐」

「どうしました?」

「付き合う……というか、今の関係からもう一歩発展させるのもいいのかなって思って」

「……いいんですか? 井口先輩のこと、愛してるって」

「そう、なんだけど。それもあるんだけど」

「ちゃんと答えが出てからでいいですよ。すぐに切り替えられるわけがないでしょうし」


「いや、ちゃんと区切りつけるよ」

「え?」


「井口東風先輩と、恋人になろうとはしない。お兄さんとして、友達として応援していきたいと思う。こんな私でよければ、お付き合いしてくれないかな」

「願ったり叶ったりです」


 彼の笑顔に、これでいいんだとけりをつける。

 東風兄は好きだ。兄として。

 青嵐も好きだ。他人として。


 この答えは、人によっては最低な人間だと思われてしまうだろう。自分でもそう思う。自ら言っておいて、結局こういった形で、その辺の男を捕まえるようにしているわけだから。人の気持ちをなんだと思っているんだと言われてもしょうがない。


「また井口先輩のことが好きになったら、いつでも言ってくださいね。その時は、援護射撃頑張りますから」


 それでいいのか。それでいいんだ。

 真夏の夜は、箍が外れやすい。


「……やっぱり、尻が軽い気がしてならない」

「考えすぎだって言えれば簡単なんでしょうけど、手のひら返しのようで嫌だという気持ちも理解はできます。自分が幸せになるか、みんなを幸せにするかということかなという気もします」

「……自分か、みんなか」

「多少強引に正当化してますけどね」


 私があの戦線から離れれば、東風兄は晴れて巫葉さんとお付き合いすることができる。青嵐は好きだと言ってくれた私と付き合うことができる。


 自分は、東風兄が幸せなら幸せだし、巫葉さんが幸せなら私も幸せになる。

 友達が幸せなら、私も幸せだ。

 合理的に、パズル的に。


「それなら、私も幸せになれるってことかな」

「安心してください。すぐに僕が幸せにしますから」

「……なら、安心かな」


 花火は弾けて落ちていく。人々は、自分の家へと戻っていく。


 荒れた事態が収まるように。

 振りかざした刀を鞘へ納めるように。

 治まるところへ、収まっていく。


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