000:前日談
「三浦先生、頼みごとがあるんですけど」
滴る汗を拭くタオルすら濡れて、使い物にならないほどに暑い日々が続く7月の暮れ。高校も中学校も夏休みに突入し、当の私——三浦霙は、夏期講習と題して清吾君の元へ通っていた。
そんな言い方すると、変な誤解が生まれそうだけれど。
「頼みごとって?」
普段積極的にコミュニケーションを取ろうとしてこない清吾君の方からお願いが来るとは、思ってもみなかったので少し驚いた。
「いや、その」
歯切れの悪い彼は、視線を右往左往させながら、二進も三進もといった思考回路をぐるぐると駆け回った結果、ようやくその頼みごととやらを私に言うのだった。
「夏祭り、一緒に行きませんか?」
「……え? 誘ってるの?」
清吾君が? 清廉潔白で純粋無垢なあの清吾君が?
「あ、ええと。そうじゃなくって、いや、そうなんですけど、ええと」
「いや落ち着いて落ち着いて。ゆっくり」
「……香奏さん、と一緒に祭りに行きたくて。でも、連絡先が分からないので、三浦先生に訊くしかなく、ただ三浦先生を利用しているだけな気もして、それは三浦先生に失礼ですし……。なら、一緒にどうかなって」
めんどくさい回路を回ってきたなぁ。
「……そもそも申し訳ないんだけどさ、香奏ちゃんの連絡先、知らない」
「……え、そうだったんですか?」
残念ながら、私は友達が少ない。これは『話せる相手が少ない』ということではなく、単純に『学校以外でかかわる相手が少ない』ということで、こないだようやく巫葉さんと連絡先を交換したが、彼女や家族含めて6人である。
「だから、君の頼みは聞けない。ごめんね」
「……そう、ですか」
「でも、夏祭りなら行こっか」
「え? いやでも、三浦先生はいいんですか?」
「気分転換ってことで」
地元の夏祭りは来週の日曜日に行われる。大都市というわけではないので、人がものすごくいるわけではないけれど、この街中の人が集まるんじゃないかというくらいには盛況する。確か、学校でも生徒会が出店をするとか言っていたような。
しかし、3年生はその日模試があるのだ。『日曜日なのにマジでだりい』と私なら思ってしまうけれど、本気モードの東風兄と暇さえあればなんでも勉強しようとする巫葉さんはウキウキしていた。ほんと怖い。
話はそれたが、つまり先輩たちは遊べず、青嵐が夏祭りで仕事をするということで、私はその日暇なのだ。一人で祭りに行くのもなんだか気が引けるし。
「ありがとうございます」
とは言っても、やはり二人では厳しいものがある。会話が弾まないということはもちろんのこと、互いに好きな人がいる以上、デートにも見えるこの状況は、あまりよしとはできないだろう。
それは彼も思っているようで、「やっぱり、誰か呼べたらいいですよね」とぽつり呟いた。友達少なくてすまんな、ほんとに。
「……青嵐に訊けばわかるのでは?」
清吾君に問題集をやらせる間、私はこっそり青嵐に連絡を取った。彼からの返答は以下のとおりである。
『ああ、香奏ちゃんですか。当日暇しているらしいので、そもそも僕が手伝いに誘ってたんですよね。なので、僕と同じシフトにしてもらって、空いてるところで回りましょうか。そのほうがいいですよね、きっと。では』
……。これあれだな、青嵐も一緒に来るな。
「どうでしたか?」
「え、ああ。大丈夫みたいだけど、時間は少し遅れるみたい」
「なるほど……。どうしますか、時間合わせますか?」
「そうだね。一緒にいても特にすることないしね」
それに、万が一東風兄や巫葉さんにバレてしまったら、会わせる顔がない。
「ありがとうございました。日曜日の19時ですね。よろしくお願いします」
「はい。じゃあ、これ終わらせちゃおうか」
「はい」
デート……ではない。彼の目的は私ではなく香奏ちゃんだ。それに、先輩二人組がいないのだからしょうがない。
「……でも、先輩たちと花火見たかったなぁ」
少しの心残りが融けきれぬまま、私は外を眺める。
まぶしく光る太陽は、私の心を焼き焦がすようだった。