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routine campus  作者: hiramatu
3/3

第三講目 良い先輩と悪い先輩



 



 翌日。講義が終わり次第すぐに部室に向かい部室の扉を開けると、そこにはいつものようにだらしのない姿勢で缶チューハイを飲むいずみ先輩の姿があった。

 扉の開く音に気づいたいずみ先輩は、頬をぺたんとテーブルに着けたままひらひらと右手を振る。

「飯原くんいらっしゃーい。昨日はごめんねー」

 謝ってくれるのはありがたいのだが、それならばまずその左手の酒をどうにかしてほしい。先輩がそんなもの飲まなければ、昨日あんなことにはならなかったのだから。

「また飲んでるんですか? 昨日あんなことあったのに」

「だからほらー、今日は缶チューハイだよ?」

「酒は酒です。て言うかビールとアルコール分変わらないじゃないですか」

 むしろ先輩の飲んでいるチューハイはアルコール分8パーセントなので、普通のビールよりも高い。

「でもやっぱり甘いとあんまり酔えないんだよねー。あれかな? ぷらしーぼこーかってやつー?」

 いずみ先輩は舌っ足らずな声を出し、くすりと微笑みながら首をかしげる。

 知りませんよ、そう呆れながらため息を吐くと、俺はいつもの指定席に腰を下ろした。

 座ったまま昨日の事件現場に視線を落とす。昨日は大変だったな……。ゴミ袋に吐いてくれたのは良いけど、その袋が透明だったから中身丸見えで気持ちが悪いし、部室中酸っぱい臭いで気持ち悪いし。

 もちろん後処理を抜かりなくやったため、未だに部室が酸っぱい、なんてことは無いが、それでもやはりどこか気持ちが悪い。それなのに無神経にも酒を飲んでいるいずみ先輩に、今日は一段と苛立ちが募る。

「それよりも、どうするんですか? あと六日しか無いんですよ」

 苛立ちをぶつけるように、俺は厳しく冷たい口調で言い捨てる。

「そのことなら…………」

 言葉の途中でチューハイをぐいっと飲み干し、ぷはぁ、と息を漏らす。そして勢いよく立ち上がりながら、

「私に任せなさいっ! ちゃーんと考えてあるんだから。あとチューハイおかわり! 次はパイナップル味のでおねがい」

 腕を組み、中々にふくよかな胸を偉そうに反らしながら、いずみ先輩はそう言ってのけた。自信満々ないずみ先輩は当てにならないと言うことが、昨日の応接室での一件でわかっているので、もちろん俺がその言葉を信じることは無い。と言うか、まだ飲むんですか。

 はいはい、と気のない言葉を返しつつ、冷蔵庫の扉を開く。ズラリと並んだ缶ビールの隙間に、今日買い足したと思われる缶チューハイがぽつぽつと混じっている。その中からパイナップル味の缶チューハイを選び、いずみ先輩のもとへと運ぶ。

「ありがと、飯原くんも飲」

「みません」

 言い終わる前に俺に断られ、いずみ先輩はつまらなそうに頬を膨らませる。

「それよりも、これからどうするか、いずみ先輩の案、一応聞かせて下さい」

「えぇーそんなに聞きたいー? それならもうちょっとちゃんと頼んでほしいなー」

 バラのように紅く、ぷくっと厚い唇をにやにやと横に広げながら勝ち誇った表情を浮かべ、その視線を俺の方に向けた。

 正直いずみ先輩の案がどれほど当てになるかは甚だ疑問だが、万が一と言うこともある。そして俺自身良い案が思いついていなかったため、ここは素直に折れ、先輩の案を聞くことにした。

「はいはい。どうか先輩の名案をこの頼りない後輩に教えて下さい、お願いします」

 抑揚もへったくれも無い棒読みで懇願してはみたが、調子に乗りやすい先輩がこれで満足する訳もなく。

「もう、全然ダメ! もっとこう、渇望するような心の叫びって言うのか、なんて言う」

「どうか先輩の素晴らしい名案を、この馬鹿で頼りない後輩に教えて下さい、お願いします」

 先程より少しだけ抑揚をつけ、へりくだった口調で、先輩が言う渇望するような心の叫びとやらを表現してみた。

 しかし俺が先輩をまだ馬鹿にしているのは明らかだ。ちょっと意地悪が過ぎたのか、いずみ先輩の顔が見る見るうちに不機嫌顔へと変化していく。そろそろ折れ時かな。

「すいません、ちょっとふざけすぎました。先輩の案教えてもらって良いですか?」

 今度は普段と変わらぬ普通な、しかし先程の棒読みに比べれば遙かに誠意のこもった口調で先輩の案を請う。

 いずみ先輩は口元に右手を当て、数秒間考え込むように間を開ける。そして、うん、わかった、と笑顔で答えると、その案を話しはじめた。

「まず、私以外の会員もこのサークルに居るってことは、前に話したよね?」

 俺が入会して間もない頃、あまりに人が来ないので、他に会員の先輩とかはいないんですか? と聞いたところ、いるよー、でももう何ヶ月も会ったこと無い、といずみ先輩はいともあっさりと答えて見せた。俺がこのサークルの存在に疑問を持ち始めたのも、その頃である。

 小さな声で返事をし、それを確認すると、いずみ先輩はさらに話を続ける。

「私以外の二人は漫画と小説を書いてる人でね、確か昔に見せてもらったときは、二人とも結構上手だったと思うの。それで、今回はその二人に協力してもらおう、と思うんだけど…………飯原くんはどう思う?」

 途中までは堂々と自信に溢れた様子で話していたが、言葉の末尾に差し掛かった途端、なぜかいずみ先輩は不安げに語尾を弱め俺の意見を伺う。恐らく自分一人で話を進めすぎているのではないか、と危惧したのだろう。

 もし先輩が俺の意見も聞かず、いつもみたいに一人で勝手に話を進め続けるようなら、それは皮肉や嫌みの一つぐらい俺なら言うはずだ。しかし、こんな憂えの籠もった瞳で不安げに見つめられては、何か不満な点があったとしても言えるはずがない。

 先輩自身は凄く心配そうだが、今聞いたいずみ先輩の案は取り立て文句をつけるようなところは一つも無い。いずみ先輩以外の三年生に協力を頼む、なんて案も恐らく俺からは出た無かっただろう。この案については全面的に賛成だ。

「全然良いと思いますよ。それにいずみ先輩以外の先輩に協力頼むっていうのも、俺じゃ考えつかなかったと思いますし」

「そ、そうかなー?」

 そう言いながらいずみ先輩はチューハイをくいっと喉に流し込む。酔っているのか照れているのかはわからないが、頬はほんのり桜色に染まり、落ち着かなそうに笑みを作っている。

「それで、その先輩達にはいつ連絡するんですか?」

「あ、それならもうしてあるよ。五時半に部室集合って」

 壁に掛けられた安いキャラクター物の時計に視線を移す。時刻はもう間もなく午後五時といったところで、その集合時間にはあと三十分ほどある。

 じゃあその間はのんびりしてようか、と言ういずみ先輩の提案を受け入れ、俺と先輩は特別なことは何もせず、思い思いに時間を潰す。いつもと変わらぬのんびりとした時間が部室に流れていく。

 しばらくすると遅れて栗山が部室にやってきた。今日は陸上部の練習は休みだったのだが、部で少しばかり集まりごとがあったらしい。

 俺が栗山に先輩の提案を説明し、それが終わったら、今度は三人思い思いの事をしながら五時半まで静かに過ごした。

 そして集合時間の五時半になる少し前、普段この三人が集まっていれば動くことの無い扉が、ゆっくりと開いた。

「いずみさんお久しぶりですー。突然だから焦りましたよ」

 そう言って部室に入ってきた男性はいずみ先輩に会釈をする。

 短い顎髭を蓄え、がっちりした体型のその男性は、その後すぐに二人並んで座っている俺と栗山の方へ視線を移す。

「おっ、もしかして君たちがいずみさんの言っていた一年生? こんなサークルに二人も一年生入るなんてなー」

 その男性はのしのしと大股で俺たちに近づくと、俺と栗山の顔を交互に見る。

「俺は商学部二年の関本 祐輔、小説担当って事になるかな?」

 気さくな笑みを浮かべながら、顎髭をいじる関本さん。近くで見ると関本さんの体はさらに大きく見え、その見た目は小説書きと言うより、ラガーマンかアメフトの選手と言った方がしっくりくる。

 俺と栗山が会釈しつつ自己紹介を終えると、関本さんは壁際のパイプ椅子を持ってきて、俺たちの近くに腰を下ろした。

「それにしても、関本くんに来てもらえてよかったわー。これで小説に関しては問題なしねー」

 そう言うと先輩はだらしなく顔をテーブルに横たえた。薄紅色に染まった頬がテーブルに押しつけられ、柔らかそうに僅かにつぶれる。そして長く艶やかな黒髪を右手でいじりながら、飯原くんおかわりー、と間の抜けた声を上げ、再び先輩の顔はぐでーっとだらしなく緩んでいく。

 俺は冷蔵庫の扉を開き、先輩に渡すチューハイを選ぶ。特に味のリクエストはないし、オーソドックスに梅でいいか。缶チューハイを右手に持ったまま冷蔵庫の扉を閉め、先輩の元へと歩み寄る。

「関本さんってそんなに小説書くの上手なんですか?」

 チューハイをテーブルに置くと、先輩は俺に礼を言うのも忘れて、缶のプルタブを引く。

「上手だよー。何てったって去年EL小説大賞の第三選考まで残ったんだから」

 顔をテーブルに乗せたままの、行儀もへったくれも無い姿勢のままチューハイを飲む先輩。こんな姿勢で飲んでいるため唇の端からは、口に入らなかったチューハイは滴り落ち、ぽたぽたとテーブルに透明な斑点を作る。俺は几帳面にも、その水滴を台拭きで一々拭いていく。

 今先輩が言ったEL小説大賞と言うのは、エレクトリック(ELECTRIC)文庫と言うライトノベルレーベルが主催する、ライトノベルの新人賞の名前だ。俺自身はそんなにライトノベルを読む機会がないので、どの位凄いことなのかは良く解らないが、三次選考まで残るのは、まぁ凄いことなのだろう。実際の凄さが解る人が聞いたら、烈火のごとく怒られそうな言い方な気もするが。

 それにしても、そんな凄い人がこのサークルに居てくれて良かった。安堵感の籠もった目で関本さんの方を見ると、当の関本さんは照れているのかどこか落ち着かない表情を浮かべる。

 そして大きく息を吐くと、意を決したように口を開く。

「じ、実はですね、去年から小説全く書いて無いんですよ…………ス、スランプ、と言うのか、なんと言うか……」

 絞り出すような弱々しい声でそう話す関本さん。そのがっちりと大きな体が、言葉を絞り出すたびにどこか縮んでいくように思えてくる。

「でも、その気になれば一週間でちゃちゃっと」

「書けません……」

「多少作品の質を落とせば」

「書けません……」

「そんなに多くなくて良いなら」

「書けません……」

「一文字も……?」

「一文字もです……」

 その瞬間、いずみ先輩の右手からチューハイの缶が滑り落ちた。落ちた缶の口からは泡を含んだチューハイがあふれ出し、テーブルの上を濡らしていく。俺は慌てて台拭きを手に取りそれを拭きにかかる。

 目を点にしたままいずみ先輩は関本さんの方へ顔を向け、そのまま無言で固まってしまった。がっかりするのは解るが、先輩のリアクションは少々失礼すぎる。関本さんも先輩のそのリアクションを見て罪悪感にかられたのか、申し訳なさそうに目を伏せる。

「で、でもそれ以外のことで協力してもらえば、それでも助かりますよ。ねぇ先輩?」

 と、先輩の顔を見るが、先輩は口を金魚みたいにぱくぱくさせて、部屋の上隅の方を眺めるだけ。あー、ダメだこの人、放っておこう。

「悪いね、本当に……」

「いえ、気にしないで下さい。それに、まだ漫画の上手い先輩がいるんですよね?」

 俺がそう言った途端、関本さんは目線をふらふらと泳がせ、明らかに慌てた様子を見せる。何かまずい事を言ったかな? そう思うものの、今の俺の言動に不備があったとは思わない。

 理由を聞き出そうといくつか訪ねてみるが、関本さんから返ってくるのは煮え切らない言葉ばかりで、その理由には全くたどり着かない。最終的には、まぁ後になればわかるよ、と思わせぶりな言葉を残して、関本さんは口を閉ざしてしまった。

 ここまで含みのある物言いをされて気にならない訳がない。しかしそのことについて関本さんが話したく無いのなら、やはりそうしておいた方が良いのだろう。

 それからは未だ抜け殻みたくなっている先輩は放置し、俺、栗山、関本さんの三人で取り留めのない会話を続けた。

 


 三人で話しはじめて十数分。時計の針が縦に真っ直ぐ突き立ち、卯の刻――つまり六時になったことを告げる。

 先輩が関本さんともう一人の先輩を呼びつけた時間は五時半。それを三十分以上過ぎているにも関わらず、そのもう一人の先輩は現れないどころか、連絡すらよこさない。

 いつもならもう帰っている時間だし、今日はもう来ないんじゃないだろうか。そう思い、数分前にようやく復活したいずみ先輩に、今日はもう解散しないか、と持ちかける。

「うーん、でも本多くん時間にルーズだからさ、もうちょっとだけ待ってみよう」

 胸の前で腕を組み考え込むようなポーズを取りつつ、俺の提案をやんわりと却下。そして待っている先輩の名前は本多さんと言うらしい。

 いずみ先輩がそう言うのなら、俺がとやかく言う権利は無い。了解した旨を伝え、立ち上がりかけた膝を再び深く折り椅子に腰を下ろす。

 しかし俺としてはどこか納得がいかない部分があった。自分が所属しているサークルがあと一週間で廃部になると言うのに、三十分も遅れているにも関わらず連絡もしない。これはルーズ云々以前に人としてどうなんだろうか、そんな説教臭いことを考えてしまう。

 いや、仮にも相手は先輩だ。それにもしかしたら何か抜き差しならない理由があって遅れているのかもしれない。これぐらいで怒るのは流石に心が狭すぎる。うん、よし、ここは大人になって俺が折れておこう。


 そのまましばらくの間待つが、やはりその本多さんと言う人は現れない。気づけば時計の長針が数字の15を指していた。

「先輩、さすがに遅すぎるんじゃないですか?」

「そうだねぇ……どうしたんだろ本多くん。もうちょっとだけ待とうか」

 いずみ先輩はテーブルの上で組んだ腕にあごを乗せ、悩ましげな表情を浮かべながら上目遣いでこちらを見る。酔いは覚めているようで、部室ではいつも桜色に染まっている頬が、今だけは雪のような透き通る白に変わっている。 

 なんとも暢気ないずみ先輩に、俺は思わず溜息を吐く。こういう人誰に対しても寛大で、人を嫌うことを知らないのが先輩の良いところではある。でもこればっかりはさすがに人が良すぎるのではないだろうか。

 先程はこちらが折れたが、今回は先輩の意見を素直に受け入れること無く反論する。

「ちょっと無責任じゃないですかね、その本多さんって人」

「うーん、でも何か用事があるのかもしれないし……」

 あくまでその本多さんの肩を持つ先輩に、俺は少しばかりの苛立ちを感じる。この大事なときに、こんな無責任なことを出来る人が、そんなに大事なのか、と。

「用事があるんなら、電話の一本でも入れるのが筋じゃないですか?」

 声を発した自分が意外に思うほど、俺の言葉は氷のように冷たかった。栗山と関本さんが俺をなだめるように声をかけるが、俺はいずみ先輩を真正面に向けたまま二人への反応を示さない。

「それはそう……だけどさぁ……」

 もの悲しげな表情を浮かべた先輩はそのまま黙り込む。それを見て俺は思わずはっとし、自分のしたことの愚かしさに気づく。

 先輩は良心から遅刻している人をかばっただけで、俺なんかに刺々しい言葉をぶつけられるいわれは一つも無い。そんなこと、考えなくてもすぐにわかることだ。

 いっそ、そんなこと私に言われたって知らないよ! ぐらいの事を言ってくれれば良かったのだが……。これではただの先輩いじめだ。

 いたたまれない気持ちから、俺は渋々ながら先輩に謝る。

「すいません……ちょっと言葉が過ぎました」

「ううん、私はいいの。それに本多くんが遅いのは事実だし……本当にどうしたんだろ」

 心配そうな声色でそう呟き頬杖をつき、首をかしげる。目尻の下がった心配げな瞳は本多さんの到着を待ち望む様にじっと部室の扉を見つめている。

 先輩の憂いのあるその表情はどこか彼氏を待ちこがれる彼女の様に思え、なんだか不快な物を胸に突きつけられた様に感じた。別に先輩が誰と仲良くしようが、その本多さんと付き合っていようが俺には関係は無い…………けど。なんて言ったらいいのだろうか、上手く説明ができない。

 言いたいことがあるような、でもそれが何なのかわからず、俺は心にしこりを残したまま黙り込む。

 俺が変に空気を悪くしてしまったせいで栗山と関本さんは気まずそうに黙ったまま。先輩は先程の切ない横顔もどこへやら、今は自分の髪の毛で鼻先をファサファサとくすぐり、なんとも間抜けな表情を浮かべている。

 部室のなんとも言い難い思い空気に耐えきれず、俺は飲み物でも買ってこようと思い席を立つ。

 ドアノブに手を掛け扉を奥へ押すと、普段は立て付けの悪さからかなり重いはずの扉がまったく手応えがないほどあっさりと開く。

 予想外な扉の軽さに、俺はドアノブを握ったまま前につんのめり、何か柔らかい物に額を軽くぶつける。感触から言ってそれは人間であった。どうやらこの人がドアノブを引く瞬間と、俺がドアノブを押す瞬間が偶然合ってしまったらしい。

「あっ、すいま……」

 そう謝りながら顔を上げる――――――そこには俺を鋭く睨みつける男性が仁王立ちしていた。

 鋭く釣り上がった切れ長の瞳は殺気の籠もった……と言うより、殺気の固まりのようで、その瞳に視線を向けられるだけで俺は震えながら立ち竦むことしか出来ない。

 と、とにかく早く謝らないと。そう思った瞬間、その男性は俺の胸ぐらを鷲掴みにし、小さく舌打ちをしながら口を開く。

「ってぇな……誰だテメェ?」

 低い声で呟き、先程よりさらに近い距離で、その狂気じみた恐ろしさを持つその瞳を俺に向ける。

 謝らなきゃ。俺はどうなるんだろう。殺される。苦しい。痛い。色々な事が頭の中を巡るが、俺はただただ歯をガタガタと震わせる。

 何か言わなきゃ、そう思うが声が出ない。これほどに人間を恐ろしいと思ったことが、今までの人生であっただろうか?

「ちょっと本多くん! 飯原くんから手離しなさいっ!!」

 いずみ先輩の怒りを込めた叫びが響き、その瞬間俺を掴んでいた手からするりと力が抜け、俺はその場に腰を抜かしたみたいに座り込む。

 ほん……だ…………くん…………? このひとが……?

 頭が回らない。状況が全く飲み込めない。いずみ先輩はまだ大きな声で本多さんに喚いているが、耳から入った言葉は脳のフィルターに何も残らず、ただそのまま外へ流れていく。

 とにかく、この人が先輩の言う本多さんなのだ。漫画の上手い本多さんだ…………漫画?


 この人が――――――漫画?

 

 見上げたそこにいるのは、依然としてナイフの様な鋭さを秘めた瞳でいずみ先輩を睨む本多さん。こんなその筋の人か悪魔の化身みたいな人が漫画?

 あり得ないあり得ないあり得ないあり得ない……。この五文字だけが、ずっと俺の頭の中をぐるぐると回り続けていた。

 

 

 

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