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「【じゃあ、次の曲はしっとり歌うよ!】」
『ルミルカ』の言葉に引き続き、曲がスローテンポのものに変わると、熱狂と興奮に包まれていた観客達は一息をつく。
皆、一言一言聞き漏らさないように『ルミルカ』の歌を熱心に聞き入っていた。
そんな時、私は何気なく……本当に何気なく後ろを振り返った。全くの偶然で、そこに何の意図もなく無意識の行為だった。
男と目が合った。
さほど広くない会場の後ろの壁に背をつけて、その男はこちらを眺めていた。上から下まで黒系の服に統一されているので、暗い会場では目立たなかったが、私には何故だかはっきりと見えた。
年齢は30代前半ぐらいだろうか。元はイケメンなのだろうが、今は病的なほど痩せ細っているように感じる。
(あれ? 何か変だ……)
違和感を覚えた私はすぐにその理由に気づく。
彼はじっと観客だけを見ていたのだ。誰もがステージの『ルミルカ』に注目しているのに、全く興味が無いように見えた。
(おかしな人……それに何だか、ちょっと怖い)
けれど、そう思ったのは、ほんの一瞬で私はすぐにステージに意識を奪われると、その不可解な男のことなど頭から消え去っていた。
だから、その彼を別のライブ会場で再び発見した時、私は心底驚いたものだった。
(この変な人、前にもいたよね。いったい何を見てるんだろ……)
それから、妙に彼のことが気になりだして注目するようになると、すぐに彼がどのライブでそうしている事実に気付く。もちろん、私が全てのライブに参加できる余裕などはなかったので、絶対とは言えないが、少なくとも私の参加したライブには必ず現れていたので、きっと他のライブも同様なのは間違いなかった。もっとも、財力のあるコアな信者なら全参加もありえなくないが、どう見ても彼が『ルミルカ』の熱心な信者とは思えなかった。
そして、ある日のライブ終わりに――たまたま陽菜が都合で参加できなかった日――私は思い切って、いつもの定位置に陣取っていた彼に話しかけた。
「少し良いですか?」
知らない女の子に声をかけられ、彼は驚いたように覗いていたスマホから顔を上げた。待ち受けに戻した画面には見慣れた紋章が映っていないことで私は確信する。
「いつもライブで顔を合わせますけど……あの、あなた『ルミルカ』信者じゃないですよね。何で参加してるんですか?」
自分が信じているものを彼が信じていないのが不満だったのか、言葉に非難の色が含まれていたのは否めない。
私の突然の詰問に、彼は驚いたように答えた。
「僕は確かに信者じゃない……けど、関係者なんだ」
そうか……ライブのスタッフさんか。
とんだ早とちりだった……ん、でも待てよ。他のスタッフさんはスタッフ用の名札やジャンパーを着ていたはずだけど、この人はそんな格好はしてない……やっぱり怪しい。
私の疑いの目を見た彼は苦笑いし、辺りを気にしながら小さな声で自己紹介した。
「僕はね『三休法師』っていうんだ。知ってるよね?」
「は?」
私は呆気に取られて、変な声を出してしまう。が、すぐに我に返って睨みつける。
「馬鹿にするのもいい加減にしてください。嘘をつくなら、もっとマシな嘘ついたら?」
私の蔑んだ視線に『三休法師』を名乗る男は困ったような顔になる。
「弱ったな、本物って証明するものが何もないや」
まあ、いいかと呟いた彼はくすりと笑って続ける。
「もうすぐ審判の日が近い。自分の内なる声を信じて戦うんだ、負けるな」
「え?」
「誰にも内緒だよ……」
唐突に意味不明な言葉を残すと彼は退場しようとする観客の波に紛れた。
「いったい、何なのよ?」
止める間もなく姿を消した彼に私は口を尖らす。
けど、その疑問はすぐに氷解した。
「【みんな~!今日のライブ来てくれた~?】」
その夜の『ルミルカ』の動画配信だ。
「【今夜はみんなに大事な話があるよ~!】」
『ルミルカ』の言葉にコメントが弾幕のように表示される。大半は大事な話の内容に纏わるものだ。
「【いい?じゃあ言うよ。もうすくね、審判の日が来るんだ。だから、みんな自分の内なる声を信じて戦おう。負けちゃだめだよ!】」
彼は本物だった。
翌日の月曜日、私は興奮を抑えきれず陽菜を待ちわびていた。あの『三休法師』に出会ったことを、直接伝えたくて連絡しないでいたからだ。
けれど、その日の陽菜の顔を見たら、冷や水を浴びさせられたように浮かれた気持ちが萎むのがわかる。
「陽菜、おはよ……どうしたの。何かあった?」
それぐらい陽菜の表情は酷かったのだ。生気がないぐらい真っ青な顔で気だるそうな様子はただ事ではなかった。
「……おはよ、悠衣。大丈夫、何でもないから」
とても何でもないように見えなかったけど、大丈夫だからと繰り返す陽菜にそれ以上は訊けなかった。