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籍谷耕平は客の髪をカットしながら、こっそりと溜息をついた。
長身でイケメンの耕平は働いているサロンでも、そこそこ人気のある美容師だったが、技術の方は売れっ子の先輩と比べてまだまだと言えた。そのことがプライドの高い耕平には我慢ならなかった。学生時代から、人並み以上に何でも出来た耕平にとって、技術ではなく顔で仕事を取っていると陰口を叩かれるのは心外だったのだ。
仲の良い同僚は経験を積めば、すぐに追いつくさと言ってくれたが、その差は一向に埋まらない。逆に忙しさにかまけて腕が落ちたのではないかと疑心暗鬼に陥っていた。営業後の練習や休日のモデハン(モデルハント)も時間を融通して続けていたが、思うような成果が得られていないのが現状だ。無理しているせいもあり、顔には出していないが、かなり疲れが溜まっていた。
(それに、このお客も最悪だ……)
耕平が今、相手をしているのはお直しの客だ。
先週来店したのだが、耕平の施術が気にいらないと直しを要求し来店しているのだ。責任もあるし、店の評判にも関わるので了承しているが、予約のやり繰りが大変なのと毎回当然のように直しを要求されるので内心腹に据えかねていた。
(それにこの人、髪が臭いんだよな)
どうせサロンに来るからと髪を洗ってこないか、普段からドライヤーを使って髪を乾かさないかのどちらかだろう。洗濯物と同じで生乾きは雑菌が繁殖して頭皮が匂うのだ。
人気のある耕平は洗髪をアシスタントに頼むことが多いが、この客は耕平に洗ってもらうことに固執していた。
「あの……すみません、お客様。カットのお直しの方ですが、これでいかがでしょう?」
お気に入りの画像が待ち受け画面のスマホの時間表示でこの後の予約を確認し、いびきをかいて寝ていた客を耕平は申し訳なさそうに起こす。
「……な、何よ、いきなり。驚いたじゃない」
案の定、眠りを妨げられた客は恥ずかしさもあって声を荒げる。
「申し訳ありません。ですが……」
「く、口答えするつもり? まだ、ひよっこだから、あたしが贔屓にしてやってるっていうのに。ホント生意気よね」
耕平が口答えしないのをいいことに、客は罵倒を繰り返す。
「ちょっと顔が良いからって。あんた、いったい何様のつもりなの?」
(お前こそ何様だよ)
心の中で耕平は呟く。
何で、こんなに言われっ放しで我慢しなきゃいけないのだろう、ネチネチと言われ続ける嫌味と小言に疲れ、耕平は握り締めた鋏に視線を落とす。
ふと、心の奥底から何か囁くような声が聞こえた気がした。
甘美な抗い難い囁きだった。
耕平は暗い目で鋏を見つめながら、湧き上がる黒い衝動を抑えつけるのに限界を感じ始めていた。