98. 影の従者
リサがラビアンに決闘を申し込まれた数時間後の夜。屋敷の中の一室、父が貸し与えたビスタとリサが寝泊まりしている部屋に俺は訪れていた。
「リサ、まだ起きていますか?」
夜ということもあって俺は静かにノックした。
するとやはり、夜ということで静かに扉を開けて出てくるリサ。
「どうした? こんな遅くに」
「少し話がしたいなと思いまして…… ビスタはまだ?」
「いいや、さっき眠りに入られたよ。ここじゃなんだ、中に入ってくれ」
「いいんですか?」
「私がお嬢様のお側を離れるわけにもいかないからな。 それに私達と君の間だ、お嬢様だって何も言うまい」
それじゃあということで俺は部屋へ招かれた。
そもそもここ俺の家だよとツッコむのは野暮というもの、何も言わないのが紳士だ。
そんなことを思いながら部屋の中へ入ると、ランプの灯りだけが頼りの薄暗い空間の中、確かにビスタはもう寝てしまっていた。
静かに寝息を立て眠る様は、まるで天使がそこにいるかのような錯覚を覚える。
「きれいだろう? この寝顔を見るとどんなに辛いことがあっても忘れてしまうんだ」
子守りをする母のように、そっと髪を撫でながらリサが呟く。
そのときビスタの口元がすこしだけ緩む。年相応の少女のように、少しだけくすぐったそうにして微笑む。
それだけでもう二人の間に切っても切れない絆があることがわかる。決して二人が離れ離れになってはいけないことがわかる。
「リサは幸せ者ですね、こんなふうにずっとビスタの素顔を間近で見てきたのだから」
「……そうだな、君の言うとおり本当に私は幸せ者だ。お嬢様の側にお仕え出来るだけで私は幸せだった。
……でも、それも今日まで、私もそろそろ腹をくくるときが来た」
「まるで自分でも分かっていたかのような口振りですね」
「否定はしないよ。はっきり言って私は護衛役として圧倒的に実力が足りていない。
それは君もよく知っているんじゃないか? 私は自分の力不足でこれまで幾度となくお嬢様を危険な目に遇わせてきた」
「でも、ビスタは今生きていますよ?」
「それは君が身を呈して守ってくれたからだろう。 君がいなければ、お嬢様はとうの昔に死んでいる。
ダンジョンの中はじめて出会ったときだって、もし君が殺すことを躊躇わないような奴だったら私もお嬢様ももうこの世にはいない。全部、君のおかげなんだよ」
「でも……」
「いいんだ、無理に言い繕うとしてくれなくたって。 そりゃちょっと寂しいとは思うけど、私のエゴでお嬢様に万が一があったら私は私を許せない。
それに自分から意思を示さなければお嬢様も諦めてくれなさそうだしな」
ははは、と笑いながらリサが言う。
その姿は俺の目にはやたら痛々しく映った。
こんなふうに愛想笑いをして誤魔化すなんてリサらしくない。
「……そういえば、ビスタのお母さん亡くなられていたんですね」
「……黙っていて悪かったな、君が気になっていたことは私もわかっていたが、気持ちが落ち着くまでは何も言わないでくれとお嬢様に言いつけられていたんだ」
「いえ、彼女の気持ちを想うなら無理も無いことです。むしろ私のせいでもとの世界に戻るのが遅れてしまって、そのせいで間に合わなかったと思うと……」
「やめろ、そんなふうに自分ばかり責めるなと前にも言ったはずだ。あれはもはや事故だ。誰も悪くなんかない」
「わかっています…… ただ、ラビアンの言うように悲しむことすらも許されないというのがどうにも納得出来なくて……」
握る拳が自ずと震える。
「だが兄上の仰ることは最もで、時間がないのもこれまた事実だ。
こうしている間にも向こうの世界では何倍ものスピードで時間が進んでいる。
急がなければ私達には手がつけられないくらいの力を人間達が手に入れていたっておかしくない。
もう、アナスタシア様のときのように予想していなかったでは済まされないんだ。……と、お嬢様に言えたらどれだけ良いだろうな」
またもや自嘲気味に笑うリサ。
「そんなことは、ビスタだってわかっているはずですよ」
俺はその雰囲気に飲まれることのないよう意思を強くして意見する。
気圧されてしまったのか、リサは返そうとしてこない。だから俺は俺の思うことを続けて話した。
「やっぱり私は納得なんて出来ませんよ。 それだけビスタのことを理解していて、それだけ想うことが出来て、互いに信頼し合っている。
ビスタにとって、貴方以上の従者は他にいません。
リサ、貴方はこのままでいいんですか? そんな心積もりじゃあ明日負けることは目に見えてます。
負けて、ビスタの側にいられなくなって、彼女の傷が癒えない内に無理矢理戦わされることになって、彼女が悲しんでいるときに慰めることも出来ない。
それで、貴方はいいんですか!?」
「それが魔族の明日に繋がるなら……」
「貴方が第一に考えるべきは、魔族全体のことではなくビスタについてでしょう!?」
熱くなって、つい声量が上がってしまう。
「……」
リサはまたまた言葉を詰まらせる。
きっと、言われなくてもそんなことは彼女自身わかってはいるんだ。
「貴方が今でもビスタに何も言わないのは彼女のことを信じているからでしょう?
きっといつか自分の力で立ち上がると信じているから、何も言わず見守っているんだ。
それは決して悪いことじゃない。悪いのは、そのことと彼女を守れないと自分に自信が持てないことをごちゃ混ぜにしてしまっていることだ」
「……っ!」
図星を突かれたようで動揺しはじめるリサ。俺はその変化を見逃さずさらに追求した。
「もしかしたら貴方は自分のせいで危険な目に遇わせていると思っているのかもしれない。
でも、私から言わせてもらえば貴方がいたからビスタは今も生きていられるんだ」
「いったい、なにを……」
「はじめてダンジョンで出会ったとき、私は貴方の動きを封じましたよね? そして、そのあとビスタとも出会い戦闘になった。
ビスタは強い、決して手加減出来る相手じゃなかった。あのときの私はやむを得ず多少ケガを負わせることを覚悟していましたが結果はそうはならなかった。
それは貴方が金縛りを自力で解いてケガした身体を酷使してまで止めに入ったからだ。貴方が必死になったから彼女は無事でいられたんだ」
「そんなこと……」
「それだけじゃない。リデリアでのときだって、向こうの世界でだって、私とビスタの間を取り持ってくれたのはリサでしょう? 貴方がいてくれたから私はビスタを守ることが出来た。
強いとか、弱いとか、そういうことじゃないでしょう。貴方には貴方にしか出来ないことがあって、それが結果的にビスタを守ることに繋がっているんだ」
「それはもはや屁理屈だろう!?」
俺の言葉に、リサが激しく抗議する。しかし、怒鳴られたからといって意見を変えるつもりはことさら無い。
「屁理屈でもなんでも、貴方はビスタの側を離れるべきではない。そんなことをすればそれこそ彼女は本当にダメになってしまう。
逆に考えましょうよ、あのラビアンにリサが勝って、その姿をビスタに見せるんです。そうすれば、多少なりとも彼女に勇気を与えられるはずです」
「ははっ、そりゃ無理だ。私に勝てるわけがない」
「本気で挑んでも、ですか?」
「……どういう意味だ?」
「私の見立てでは、貴方はまだ力を隠している。違いますか?」
俺がそう言うと、少しだけ沈黙の間が流れる。
「……ああカルラ、君には敵わないな。……そうだよ、私は昔からあえて力をおさえている」
「それはどうして?」
「黒天狐の、影の力を最大限に活用するものだからだよ。
子供の頃、その力を使って私は父や大人達から批難された。サンヴォルルフらしくない、主人を守る従者として相応しくない、とな。
だから、黒天狐の力は影に潜る程度で留めているんだよ」
「影の力が、従者として相応しくない?」
「ああそうだよ、身体を張って主人を守らないといけないのに、影の力のどこが役に立つって言うんだ。こんな、逃げることや隠れることくらいしか出来ない力の……」
黒い毛に覆われた己の手を見やりながらリサが言う。
「それは逆でしょう?」
「えっ?」
「貴方自身が引け目を感じて力を抑えてしまっているからそのくらいのことしか出来ないんです。
全部、貴方が影の力を受け入れれば解決する話じゃないですか。リサ、貴方は固定観念にとらわれ過ぎですよ」
「君に何がわかるっていうんだ」
「わかりませんよ、出会う以前に貴方がどんな想いで自らの力を封じたのか、それは私にはわかりません。
ただ、これだけははっきりと言える。貴方の影の力は貶されるような力ではない。その力には、従者として必要なものが備わっている」
「……必要な、もの?」
「ええそうです。従者とは、主人に付き従う者のこと、片時も側を離れてはならない。
実際それを実行するのは中々出来ることじゃないはずだ。でも、貴方はビスタの影に潜み常に行動を共にすることが出来る。
そんな素晴らしい力を、自分で貶めてしまってどうするんですか?」
「そ、そんなこと……」
「もう一度言いますよリサ、ビスタの従者は貴方以外あり得ない。大丈夫、貴方は強い。実際に戦った私が言うのだから間違いない。
それでもし、ビスタの身に危険が及んだそのときは…… そのときは、二人で守ればいいんです。なんせ私も彼女の眷属なんですから」
相手の手を握り、真剣な眼差しを逸らさず向ける。
するとリサもこちらを見つめ返してきて、こんなことを言ってくる。
「……サンヴォルルフでは、こんなふうに異性の相手を強いと褒めるのは求愛の証なんだよ」
「……へっ? えっ、あっ!?」
驚きのあまり俺は反射的に手を離して距離を取る。
「……冗談だよ!」
そして、リサは椅子から立ち上がり鋭い犬歯を見せながらにかっと笑ってビスタと同じベッドに横になった。
「あ、えっと……?」
「明日に備えて今日はもう寝る! 君は一晩見張りをしておいてくれ!」
ああ、なんて調子がいいんだろうか。
リサはビスタの隣で川の字になって数秒もしない内に寝息を立てはじめた。
さて、どうやって一晩潰そうか……
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