85. 根底と代償
「まさか、即決でOKとは……」
ゲートに入っていく最後の魔族を見送りながら俺は呟く。
「だから言ったじゃん!」
その横で、得意気に鼻を鳴らすエミリア。
ここはドランジスタ、とある洞窟の最奥部。
そこには俺とエミリアがこの世界を訪れたときに使ったゲートがあって、この世界にいた魔族達はこのゲートの向こう側、つまりフォルガーナへと移動した。
そう、つまり俺達の世界へ向かっていった。
俺の隣で調子づくエルフの少女エミリアの思い通りとなって……
「もー、カルラはまだ納得いってないのー? いったい何がそんなに不満?」
「何が不満って、そりゃ異世界の人間をこんな好き勝手に移動させていいのかってことですよ。
躊躇うなと言う方が無茶でしょう」
「まあそれはそうかもしれないけどさー…… 代案も無かったし仕方ないじゃん?
とりあえず私達も行こ? 向こうで皆待ってるよ!」
「……ですね、行きましょうか」
正直、もっと良い案があったんじゃないかと未だに考えたりはするが、もう全員送り込んでしまったんだ、今更考えても仕方ない話ではある。
ともなれば、前向きに、なおかつ責任感をもってこれから先にあたっていくしかない。
幸い二週間前に送った魔族達はこれといったトラブルもなくセントラルクの住民達と共存出来ているらしい、滑り出しは悪くないということだ。
ビスタが真剣に事情を説明した甲斐もあって父も協力的だったし、案外なんとかなるのかもしれない。
そんな、ちょっと能天気なことを思いながら、俺はゲートをくぐろうとした。
違和感を覚えたのはちょうどその時。
まるで、何者かに背中を引っ張られるような感覚。
背中を引っ張られるってどういうことだよとツッコまれるかもしれないが、とにかくそういう感覚があったのだ。
しかし、俺は気にせず歩みを進める。
ゲートに差し掛かり、自分の体が光に包まれる。
そのとき、俺の背後に何者かの気配。
振り返ってみると、人のシルエットをした銀色の物体がそこにはいた。
「……よう」
俺と同じくらいの背丈、俺と同じような髪形。 そして、俺と同じではない銀に塗りつぶされた能面。
「貴方は誰ですか?」
そんな得体の知れないものを前に、俺は咄嗟に正体を訪ねた。自分でも不思議なことに、状況に反して非常に落ち着いていたと思う。
「わからないか? 俺だよ、マチューだよ」
口無しの能面が答える。
「マチュー? マチューは私の中にいますが?」
「いねえよ、おまえの中にある俺は、もう全部吸い出した」
「いったい、何を言って……」
「わっかんねえかな~…… だから、俺もう我慢出来なくなったの。 転生してから、ずっとおまえに不満があったわけ」
「不満?」
「ああ、そうだ。本当はその体は全部俺の物になるはずだった。カルラという人格は、五年前の俺の復活と共に消失するはずだった。
……なのに、おまえの人格は生き残って、挙げ句の果てに俺を取り込んでしまった。
おかげでどっちつかずの不安定な失敗作の出来上がりだ。
勇者を倒したい、でも人や魔物は殺したくない。白黒はっきりしない灰色の失敗作が出来上がった」
「私は勇者を倒しますよ?」
「ハンッ、出たよ、"倒す"。じゃあ聞くがよ、倒す倒すと言うがそれは具体的にどういう意味だ? 殺すのか? 殺せるのか?
いや、無理だね。お前は勇者を殺さない。せいぜい不老不死を解除させるだけだ」
「別にそれでいいじゃないですか。 アルルカは勇者達の不老不死化が世界にとって驚異となると言っていた。なら勇者をただの人間に戻せば使命は終わる」
「は? は? は? おまえそれを本気で言っているのか? よく考えろよ、自分が何のために生まれたのか、俺が何のために転生したのか」
「なんのため……?」
「チッ、さっきからそのとぼけた態度ムカつくな?
忘れているようだから思い出させてやるよ、俺は復讐を果たすために転生したんだ。おまえは勇者を殺すために生まれてきたんだ」
「そんな、そんなこと……」
「言っておくが、俺は勇者に安らかな死なんて与えてやるつもりはない。
アイツを倒さなければ親父や皆の魂は解放されないんだ。アイツが寿命で死ぬのをチンタラ待ってなんかいられない」
「でも……」
「でもでもだって、お前はそればっかりだな? いったいそれで何が出来た? 女を守れた? 故郷を守れた? 魔族達を守れた?
そんなこと誰が望んだんだよ。 全部勇者討伐とは関係のないことばかりじゃねえか」
「私は、私の心に従って……」
「はいはいそうだね、自分に正直なんですよね。
そりゃ大変結構なことだが、おまえのやりたいことと俺のやりたいことは全く別で真逆だということを理解しておけ」
「……だから離れるんですか? もう私には任せられないから、自分の手で殺すしかないから」
「ああそうだ。 おまえの周りにいるクソジジイや女共がことごとく邪魔をしてきて体を乗っ取るのは難しそうだからな。
だから俺は一人で動く。もうおまえと顔を合わせることもない。
だからこれは別れの挨拶だ。よかったな、おまえは晴れて運命から解放される。
ただのエルフ、カルラ・セントラルクに戻ることが出来るんだ」
「……」
「なんだよその辛気臭い面は? これでも気を遣ってやってるんだぜ?
もっと笑えよ、もっと喜べよ、おまえは解放されたくて今まで頑張っていたんだろ?」
「……違う。 私は自分の運命を受け入れた上で前を進んでいたんだ。 それすらも人生の一部なのだと、全てを受け入れて」
「でも、勇者は殺せない。……もういいよ、これ以上話していてもなんの意味もない。
じゃあなカルラ、二度と俺の前に現れるな」
その言葉を最後に、銀色のシルエットが光に包まれながら奥の方へと消えていく。
「……! 待って! 待ってください!」
俺はその後を追おうとするが、走れど走れど前へ進むことはなく、銀のシルエットは完全に姿を消してしまった。
そして、なにか脳がボヤけるような感覚。
眠気に似た、不思議な感覚が俺の意識を襲って……
「……」
気がつけば、俺はゲートをくぐってフォルガーナへ到着していた。
おもむろに手のひらを開閉してみる。
どうということはない。いつも通りの俺の意思に応えて体が動いている。
俺の心臓が動いていて、俺の肺が呼吸をしていて、俺の目が光を伝えていて、俺の足が体を支えている。
「どーしたの?」
ゲートを抜けるなりそんなことをしだしたから、エミリアとロロが不思議に思ってそれぞれ訊ねてきた。
「いや、えと…… なんて言ったらいいか……」
自分でも、何がどうなっているのか理解なんて出来るわけがなかった。
マチューが俺の中かから消えたなんて、信じられない。
「……」
でも、この喪失感はいったいなんだ? 俺は確かにここにいるのに、何かが足りない、ぽっかり穴が空いてしまったようなこの感覚は。
本当に、本当にマチューはもういないのか?
「そうだ、ステータスプレート……」
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カルラ・セントラルク
レベル:37
種族:エルフ
職業:精霊使い
HP:540/540
MP:860/860
筋力:411
耐久:322
魔力:595
敏捷:466
固有スキル:〈精霊術〉〈亜空間収納〉〈眷属〉
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ステータスプレートに記載される情報は絶対だ。
それは単純なステータス数値だけではなく、個人の抱える特殊な事情が反映されている場合もある。
俺の場合だと、セントラルクの姓の横に(マチュー)と書かれていたはずだ。
だが、今はその名前がない。
それどころか、5年前に修得したボーナススキルやデメリットスキルなんかもすっかり無くなってしまっている。
あの歪なステータスが跡形もなく消えてしまっている。
俺の中にあった、マチューと言える要素が全て無くなってしまっている。
俺はその事実を目の当たりにしながらただ呆然とすることしか出来なかった。
喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、そんなことは分からなかった。
ご覧頂きありがとうございました。




