75. 開会式
風になびく赤の国旗。
空に打ち上げられ、小気味のいい音を鳴らす花火。
開会式を前にしてもなお、押さえられることのない歓声。
いよいよ、大会がはじまる。
「うわぁ、すんごい人の数だねぇ……」
観客席を眺めながら、ロロが感嘆の声を上げる。
聞いたところによると、この闘技場にはのべ5万人を越える人々が見物に集まっているらしい。
パージェスがこの大会にどれだけ力を入れているのかがよく分かる。
「そうですね、この大勢の観客の中にリサやビスタその仲間達が紛れているんでしょう」
「試合に出る人もいっぱいだねぇ」
ロロの言うとおり、俺を含めた1000を越える選手達。俺達は今会場の中央、舞台の上で整列させられている。
周りを見ればそのほとんどが魔族。割合で言えば8割方魔族なんじゃないだろうか。
耳を済ませば、やっと死ねる…… だの、せめて人間一人でもこの手で…… だの、そんな物騒な言葉が小声でちょくちょく聞こえてくる。
生物の本能が知らせているのか、このままでは自分達の死期が近いことを理解しているようだ。
ああもうやめてくれよ、観客達は能天気に騒いでいるというのに、あまりのギャップに吐き気を催す。
ちなみに、今の俺はリサにかけてもらった変身魔法でアッシュ・グリフォルムの姿に化けている。
おかげで魔族達からの視線が辛い。それもやはり胃腸に悪い。
「会場にお越しの皆々様、お待たせしました。定刻となりましたので、これより第1回パージェス人魔平和記念武闘大会開会式をはじめます」
おそらく音響魔法のようなものを使用しているのだろう。無機質な司会進行アナウンスの声が会場全体に響き、それに伴い観客全員が自ずと口をつぐむ。
そして開会式は何事もなく進んでいく。
「それではここで、お越し頂きました来賓の皆様から代表して、ラウディアラ教団主席オリヴィア・ノーツ・ナルシスカ様、ロドリア拳術連盟会長ならびに同パージェス本部総師範を務められておりますギーグバーン・グレイドフォール様より祝辞を賜りたいと思います」
オリヴィア登場、心なしか普段よりもさらに厳つい服装になっている。式典なんかは毎回アレを着ているのだろうか。
「ご紹介預かりました。オリヴィア・ノーツ・ナルシスカです。
この大会には我々ラウディアラ教団も深く関わらせて頂いております。それは何より我々が争いのない美しい世界を望んでいるため。
今日を期に、この世界がさらにより良くなると心から信じております」
最後に彼女が一礼すると、観客席中から聞こえてくる沸き上がる歓声と拍手の数々。
知ってはいたが、やはり彼女はこの国の民衆から絶大な支持を受けているようだ。
そして、次にギーグバーンという筋骨隆々の男が壇上に上がった。今度は本人が話す前から歓声が沸いている。心なしか女性の声が強いような気がしないでもない。
「……あー、ギーグバーン・グレイドフォールだ。あんま堅っ苦しい挨拶は苦手だからしねーけど、今日この大会を無事開けて本当に良かったと思う。
俺が望むのはただ一つ、人だとか魔族だとか、そんなことに囚われない正々堂々とした試合を皆が見せてくれること、ただそれだけだ!!!」
「きゃー! ギーグバーン様ー!」
「私達のヒーロー!!!」
オリヴィアに負けず劣らずの盛り上がり、あの男がもう一人の仲間。
その姿はマチューの記憶に写る者と一致している。そうか、その拳でマチューの家族や仲間を葬ったのか。
「だ、だめだよカルラ、おさえて……!」
「……大丈夫ですよ、貴方は心配しすぎです」
「だってぇ……」
どうやら相当俺の顔が強張っていたらしい。ダメだな、今は大会に集中しないといけないっていうのに。
「また、ギーグバーン様には本大会の最後に優勝者とのエキシビジョンマッチを行って頂く予定です。
それでは、最後に本大会の主催者でもあられます16代パージェス皇帝ガウス・レーレン・アウシュトロム・パージェス陛下に開会宣言を賜ります」
そして、静まり返った会場の中、鎧兜に身を包んだ一人の男が会場前方、選手達の前に設置された壇上を上がり、数秒の間を置いて閉じた手を高く掲げた。
あれがこの国の長。そして、俺の因縁の相手、そのリーダー格……
俺がそんなことを思っていると、5万を越える大勢を前に決して臆することなく皇帝は開会宣言を述べた。
「……これより! 第1回パージェス人魔平和記念武闘大会を開催する!」
「一同、礼!」
◆ ◆ ◆
開会式が終わり、俺達選手は控え室へ移動するように案内された。詳しくは聞かされていないが会場の準備をするためらしい。
しかしこれは都合がいい。試合がはじまる前にとある人物に手紙を渡してくれとリサから頼み事を受けていたからだ。ひとまずその人物を探し出さねば。
……にしても、ここは居心地が悪い。相も変わらず魔族共は死に急いでいるし、真相を聞かされていないのだろう数少ない人間共は魔族の様子を見て少し動揺している。
仮にも平和の祭典だというのに、笑みをこぼす奴などたった一人もいなかった。
しかし、そんな空間に異彩を放つ二人組。
「ごほっ、ごほっ」
男の一人は甲冑に身を包んでいて、咳き込みながら静かに椅子に腰掛けるだけ。
衛生環境の悪い牢屋にいるとああいうことにもなるだろう。衰弱しているように見えるが、何か底知れぬ予感を思わせる。
そして、取り巻きが一人ぴったり隣を陣取っていた。
まるで他人を寄せ付けない雰囲気だ。
いったい彼らは何者だろうか、ただならぬ様子であることは間違いないのだが。
そんな風に俺が観察していたとき。
「旧魔王軍四天王が一人、騎士団長カイゼル殿とお見受けする」
髷を結った人間の一人がその集団に接触を試みた。
そして、彼が口にしたカイゼルという人名に俺の意識が持っていかれる。
なぜならそれは俺が探していた人物の名だったからだ。
「貴様、何者だ? 何のようでカイゼル様に近づく」
取り巻きの男が立ち塞がって正体を問おうとする。
なるほど、合点がいった。 おそらく彼ら取り巻きは元魔王軍の兵士で騎士団長カイゼルの部下なのだろう。
ヒントは分かりやすくあったということだ。もっと早く気がつけばよかった。
「失礼、拙者はコトブキと申す。魔界一の武勇であるカイゼル殿と剣を交えたく東の国レリクスから馳せ参じた。
これという用件などない。ただ、試合がはじまる前に一つ挨拶をしておこうと思ってな」
そう言うと男はもう踵を返して去っていく。
その後ろ姿からは並々ならぬプレッシャーを放っていた。相当の実力を有していることは間違いないだろう。
いやだな、あんな強いのとは極力戦いたくない。
「カルラカルラ!」
「あっ、と…… そうですね」
考え事をしていた俺にロロが呼び掛けてくる。ぼーっとしている場合ではない、俺も自分の用事を果たさなければ。
「あの、すみません。カイゼル様、なんですよね?」
「……何者だ?」
例に倣って立ちふさがる取り巻き。
「私はビスタ・サードゲートの使いの者です。これをカイゼル様に渡すようにと……」
俺が手紙を差し出すと、取り巻きの一人が乱暴に取り上げて目を通す。
内容は俺も知っている救援隊の段取りとカイゼルの行動を指示するもので、かつての魔王軍になら分かるよう暗号化されているらしい。
「……カイゼル様、これを」
一通り目を通した男はカイゼルに手紙を渡した。カイゼルは何も言わずにそれを受けとる。
「……なるほどな」
そしてはじめて彼の声が聞こえた。老人のようなしがれた声だった。
いや、実際このカイゼルという男はかなりの高齢であるとリサから話を聞いている。剣を杖代わりにしている姿はまさにそれだ。
一見するとこんな奴を試合に出していいものか、と余計な心配をしてしまうが……
「まさかビスタ様がご存命だったとはな…… これも今は亡きバストルド様の御加護か」
感慨深そうにカイゼルが呟く。やはり魔王軍の幹部と言えどビスタのことはほとんど諦めていたらしい。
無理もない、忘れてはならないがビスタは10年間行方をくらませていたことになっているのだから。
「……君の名を聞いてもよいか?」
「アッシュ…… いえ、カルラ・セントラルクです」
「あまり耳にしない響きだな、遠国の出身か?」
「……まあそんなところです。詳しいことは皆さんが無事生き延びることができたら説明しますよ」
「生き延びて…… そうだな……」
俺の発言から、生き延びてというワードだけを拾ってカイゼルが唸る。いったい何を思ってのことか、俺はたまらず質問した。
「どうかしたのですか?」
「うむ…… ときにカルラ君、彼らを見てどう思う?」
「彼らとは魔族の皆のことですか? そう、ですね……
言っていいのかはわかりませんが、皆死に急いでるように見えます。生きることを諦め、早く楽になりたい。そんな思惑を抱いているような……」
聞かれたからには仕方がないと、俺は今まで思っていたことをこの場で打ち明けることにした。それがカイゼルの求めた解答かはわからない。
ただ、俺の目から見て魔族が生を放棄しようとしていることは事実だ。
「……ッ! 何を言うんだおまえは!」
だが、そんなことを言われた当人は決して気持ちの良いものではないだろう。
げんに横にいた男が怒りを露にしてつっかかってきた。
だが、カイゼルが手を上げてそれを制止させる。
「カイゼル様!?」
「よい、この子の言っていることは事実だ。バストルド様やビスタ様、果ては自分の家族や愛すべき人々、希望とも言えるかけがえのない存在を失い、皆生きることに疲れてしまっている。
……カルラ君、君はまだ若いのに物事の本質を捉える力が備わっているようだ。
なぜ儂がこのような質問をしたのか、君ならわかるね?」
「ただ捕虜を人間達から奪い返しただけではなんの問題の解決になっていない。そういうことですか?」
「そうだ。この手紙に目を通したところ、ビスタ様にはまだその事についての考えがないようだ。
それどころか、他の捕虜達を救うことにそれほど執着していない」
「いえ、それには理由が……」
「大丈夫、わかっている。ビスタ様は儂の助力を求めているのだろう? 儂を拾い、体勢を整えた後に他の捕虜も救い出す。そういうお考えに違いない。だが……」
だが、単に奪い返しただけでは解決したことにはならない。
かつて鷹頭の魔族が言っていたように、彼らには帰るべき場所はない。
故郷は人間に焼き払われ、家族とは望まぬ別れを強いられた。
命が助かったとしても、心の傷は癒えぬままだ。
どうやらビスタもその事を把握していたようだが、具体的な解決案は見つからず今日を迎えてしまったようだ。
いや、もしかしたら、だからこそこのカイゼルという男を何としてでも取り戻したいのかもしれない。
一目で分かるタダ者ではないオーラ。
彼がビスタの側に仕えれば、参謀としておおいに貢献することだろう。
さすがは騎士団長、人の上に立つだけの思慮深さはあるということか。
だが、俺の目に狂いがなければこの男こそ……
「選手の皆様、お待たせしました。会場の準備が完了しましたのでお戻りください」
「……どうやら話はここまでのようですね。残念です。出来ることならもう少しだけ貴方の話をお聞きしたかった」
「儂もだよ、カルラ君。願うことなら君と戦わずに済むことを願う。どうか、生き延びてくれ」
カイゼルは突然俺の手を取ってそんなことを言うが、言われなくても俺はこんなところで死ぬ気なんてない。
まあ、まるで二人で話すのがこれで最後かのような言い方をした俺が悪いのだが。
向こうから一切のツッコミがなかったことに、一抹の不安が残ってしまった。
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