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73. 英雄の資質①


 リサと再会して一週間が経った。

 

 あれからも俺に変身魔法をかけにちょくちょく来てくれている。こちらとしてはありがたいが、彼女が人間に見つからないか心配だ。

 

 しかし、リサ曰く「下等な人間如きが漆黒の影を捉えられるわけがない」とのことなので俺はその厚意に甘えている。

 

 

 「リサって厳しいけど優しいよね」

 

 

 図書館から借りた本を部屋で読んでいる時、退屈そうにしているロロが突然そんなことを言い出した。

 

 俺は本から目を離すことなく返事する。

 

 

 「優しいですよ、なにもかも全てが」

 

 今言ったとおり、リサはああ見えて優しい。

一見厳しい言葉を投げ掛けているようでも、それは全て本人の為だったりする。

 

 

 だからこそ、俺はなんとしてでも彼女の気持ちに応えなければならない。二度と彼女に涙を流させないよう、努力、あるいは決断しなければならない。

 だというのに、一週間経った今でも俺は前に進めずにいた。

 

 それはつまり、武闘大会に於いて俺がどういうアクションを取るのか。

 

 オリヴィア曰く、当日は大勢の観衆が集まり、かつての勇者一行も会場を訪れるのだという。

 本来なら、ターゲットを一網打尽に出来る絶好のチャンスだ。上手くいけば一気に俺の使命を終わらせることが出来るかもしれない。

 

 でも、自分の都合だけを優先して俺が動けば魔族達はどうなる?

 

 あれからオリヴィアとリサから聞いた話を統合すると、魔族側の出場者はかつての魔王軍幹部や兵士を含めた捕虜から出すらしい。

 

 もしかすれば、俺が先日地下牢で出会ったあの鷹頭や豚頭もその可能性はある。

 

 もちろん、彼らの同意なんてあるわけない。

 

 無理矢理舞台に上がらせ、剣を握らせ、そして命を奪う、あるいは奪わせ合うのだ。

 

 

 そんな彼らがいる中で俺が大会を無視して動けば、会場は混乱して最悪犠牲者が出るだろう。

 そうなれば、俺は二度とビスタ達に顔見せ出来なくなると思う。

 

 

 なら何もしないでただただ大会の進行に従うか? 人間のフリをして、魔族達と戦うのか?

 

 ……きっとそれも正解ではないだろう。

 

 

 いったいどうすることが正解なのか。

 

 一週間悩んでも答えはまだ出ない。

 

 

 ……いや、本当は少しだけ糸口を掴んでいるんだ。ただ、その覚悟がまだ足りない。

 

 俺の求める結果が訪れたとして、その先責任が持てるのか、そのことに俺は躊躇いを覚えていた。

 

 ましてや自分が住んでいるわけでもないこの世界で、俺なんかが出過ぎたマネなんじゃないか。

 

 この一週間、そんなことを考えていたのだ。

 

 

 「てかさ~、その本何週目? もうずっと読んでるよね?」

 

 ロロが指差したその本は、『ライオ記』と題された書物だ。

 

 ライオ、それは凡そ1100年前に活躍したという勇者のこと。その武功を称えた異名として、「無血の英雄」なんて呼ばれていたりするらしい。

 

 そもそも、この世界における勇者と魔王とはどういう存在なのか説明しておかなければならない。

 

 勇者、それは人類に危機が訪れたときに現れるという戦士。この危機とは、おおよその場合魔王率いる魔族達の侵攻を指す。

 また、勇者はその証しとして聖剣なるものを召還することが出来るという。

 

 魔王、それは文字通り魔族の王。生まれながらにして圧倒的な力とカリスマ性を持ち合わせ、魔族の繁栄のため人間達の土地を侵略しようと目論む。

 また、例え倒されようとも、数十年、あるいは数百年の時を経て転生するらしい。

 

 このように、勇者と魔王、人間と魔族は対極の関係にあるというわけだ。

 

 

 さて、それではライオの話に戻るとしよう。ライオは記録が残る限りでは9代目の勇者なのだという。

 

 この本を読む限り、彼は歴代勇者の中でも特別人々から異端扱いを受けている。それはなぜか。

 

 

 「無血の英雄」、それは間違っても、彼自身が一滴の血も流さず魔王を討ち取ったという意味ではない。

 

 魔王城で行われた決戦のとき。ライオは彼の仲間も捕らわれていた人間も、果てには魔王や魔族すらも、誰も命を落とすことなく戦いを終結させた。

 それこそが「無血の英雄」と呼ばれる所以であり、彼が異端扱いされる理由なのだ。

 

 「勇者」とは、本来魔王を討ち取る使命を帯びて現れる。それは文字通り殺すということであり、民衆もそれを望んでいる。少なくとも、魔王を生かそうとした勇者なんて彼以外存在しない。

 その中でライオは、魔王と勇者だからと言って必ずしも命を奪い合う必要なんてない。誰も傷付かず済むならそれが一番だ。と、当時の魔王と終戦協定を結んで約300年間世界に平和をもたらした。

 

 彼のことを特に批難するのがラウディアラ教団だ。

 

 その教義では、人間は絶えず魔族と争い、その経験を糧にして発展していかなければならず、勇者は必ずや魔王の首を取らなければならない。

 そして、それらは全て神が課せた試練であり、従わないライオは紛れもない異端者であるのだという。

 

 それは何も後世から起きた批難ではない。ライオが生きている時からラウディアラ教団は彼を攻撃していた。

 

 それでも彼は自分の意思を、理想を貫き通した。どれだけ批難され、侮辱され、否定されようとも、彼は進み続けたのだ。

 

 

 

 どうして俺が何度もこの本を読み返しているのか。それは多分、俺の望むビジョンが彼の成し遂げた偉業に似ているからだ。

 

 

 捕虜達も、観衆達も、誰の血も流させず、ビスタを納得させ、捕虜達を救い出して大会を終らせる。

 

 俺は今そんな理想を胸に抱き、そしてきっと、精霊術を使える今の俺ならそれも不可能ではないと踏んでいる。

 

 けれど、未だ決断を鈍らせているのはやはりそれにつきまとう責任について考えざるをえないから。

 

 おそらくそんなことをやってのけてしまえば、俺はこの世界に深く関係する存在になってしまう。

 

 わかりやすく言い換えれば、俺は魔族達にとっての「英雄」になってしまうだろう。

 

 そんなこと、今まで一度も想像しなかった。

 

 さっさと勇者を倒してトンズラしてしまおうと、そんな無責任なことを考えていたからだ。

 

 

 責任のある立場になってしまえば、良かれと思ってやったことでも、人々からは悪く言われるかもしれない。そう、ライオのように。

 

 その覚悟が俺にはあるか? 俺なんかが……

 

 

 ……とまあ、こんな感じでずっと堂々巡りしているわけだ。なんて意気地のない奴だと自分でも思う。

 

 でも、これは簡単に決めていいことではないだろう。場合によっては今後の人生が決まってしまうのだから。だから俺は、良く言えば慎重で、悪く言えば臆病になっていた。

 

 

 「貴方はどう思いますか? 私にそんな資格があると思いますか?」

 

 俺は見るからに暇そうにしているロロに聞いてみた。

 

 「ん~? 資格があるかと言われれば無いと思うよ? カルラこっちの人じゃないし、でしゃばると後々がめんどくさいのは間違いないし、悩んでる内はやめておいた方がいいね」

 

 「ですよね……」

 

 別に求めていたわけではないが、ロロは背中を後押しなんてしてくれはしない。

 それはきっと、俺自身がけじめをつけないといけないと彼女も分かっているからであろう。

 

 

 「カルラ! こういうときこそ気分転換だよ! ごはん食べに行こ!ごはん!」

 

 「……貴方が食べたいだけでしょう。まあいいです、街に出ますか」

 

 読書に夢中で気がつかなかったが、そういえば朝から何も食べていなかった。考えることも大事だが、食事を取らずに体調を崩しては元も子もない。

 

 ロロの提案を素直に聞き入れ、俺達は早めの昼食を取りに外へと出た。

 

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

 

 この街、いやこの世界に対して俺は密かに思う不満がある。

 

 それは絶望的に飯がマズイこと。基本的に庶民的な食事しか取ってはいないが、どこもかしこもフォルガーナの物に比べればクソマズでしかない。

 

 

 「ロロは嫌いじゃないけどなぁ」

 

 「貴方は肉だったらなんでもいいんでしょう」

 

 「失礼な! ……ムシャムシャムシャ」 

 

 

 街ではウマイと評判のレストラン、そこは室内席とテラス席に別れていて、俺は人の少ないテラス席の方を選んだ。

 

 別に外の景色を眺めながら食事をしたいなんてわけでもない。この世界は季節の関係かずっと曇り空で微妙に風も強い。

 好き好んで外で食べる人間はいないだろう。

 

 まあ、食事は極力静かに取りたい俺にとっては好都合というわけだ。

 

 

 にしても、本当にこれからどうすればいいのだろう。せめて、何かきっかけでもあれば覚悟もつくと思うんだが、中々そういうわけにはいかないよな……

 

 

 「はあ……」

 

 

 思考の七割を悩み事に使いながら、クソマズい飯を特に味わうこともなく掻き込む。

 

 それを水で流し込み、特に頼んでもいない食後のコーヒーがサービスで届けられる。

 

 

 一口すする。

 

 うん、まずい。まるで下水のようだ。

 

 

 是非とも残したいところだが、出されたものは残すなというのが師匠の教えだ。

 かといって、勢いで飲みきるとそれはそれで気分が悪くなりそうで、この下水コーヒーに一工夫することが今求められている。

 

 

 とりあえず砂糖とミルクをあるだけぶちこんでみる。しかしまだ独特の風味が消せていない。

 

 仕方がない、こういうときはアレに頼るか……

 

 

 

 俺は亜空間から1つの小袋を取り出し、その中に入っている粉状のものをサラサラとコーヒーに注いだ。

 

 うーむ、なんとも香ばしく芳醇な香りだ。一気に食欲が沸いてきた。

 

 

 「うわ、またきな粉入れてる!」

 

 

 鬼気迫る顔でロロがカップを覗き込む。黄色に濁った水面がコイツの顔を写すことはない。

 しかしマガンタの料理を食べておきながら豆の良さが分からないなんて、なんとも愚かなやつだ。

 

 

 えっ? そういう問題ではない?こまけぇこたぁいいんだよ。

 

 

 「仕方ないでしょう、こうでもしないと飲めないんですから」

 

 バカはほっといて俺はさっさと飲もうとした。

 

 しかし途中で手を止めざるを得なかった。

 

 なぜなら前方から鋭い視線を感じたから。気になって注視すれば、向かいの席に座っていた一人の男が不機嫌そうな細い目でこちらを見ていた。

 

 まるで汚物を見るかのような軽蔑した目つきだ。あまり気分が良いものではないので彼が視界に入らないよう体の向きを変えて飲むことにする。

 

 「それじゃあ行きますか」

 

 数分後、なんとかコーヒーを飲み切った俺は席を立つことにした。

 

 ああ、俺のこの悩みもきな粉をかければ気持ち良く飲み込めるのだろうか。そんなことを冗談半分で考えてしまう。

 

 まずいな、早いとこ解決しないと拗らせてしまいそうだ。

 

 

 ちなみに先程の男はもういなかった。結局彼はなんだったのだろうか、出来れば二度と会いたくないものだ。

 

 

 ……そんな希望を胸に抱いていたのに、しかしその男は再び俺の前に現れた。

 

 

 それは俺が街の北西にある若草茂る丘へ赴いたときのこと、そこは少し勾配になっていて、上の方は街を一望することが出来る。

 

 まあ、相変わらずの曇天と生ぬるい風で風情も何もないのだが。

 

 ただ、あまり部屋のなかで悶々とするのもどうかと思ったのでここに来た。

 街中は人が行き交って騒がしいしな。

 

 総合的に見てここが一番考えが纏まりそうな気がすると俺は思いここに来たのだ。

 

 

 そして今、俺は腰を掛けるのにちょうどいい岩を見つけてそこに座りながら『ライオ記』を読んでいる。

 

 彼はどうやって決断することが出来たのか。

 


 それが知りたくて、見逃すことないよう精読を進める。

 

 

 例の男が現れたのはそのときだった。

 

 奴は後ろから近づいてきて、突然「そこは俺の特等席だ。失せろ」と俺に因縁をつけてきたのだ。

 

 「なんですかいきなり……」

 

 俺は振り返って断ろうとした。こんな品性も常識もない口の悪い奴に従う道理なんてどこにもない。

 

 しかし、男は俺の予想以上に常識に欠けた奴だった。振り返ろうとした俺の首根っこを掴み、あろうことかそのまま投げ飛ばして来たのだ。

 

 

 「……なにするんですか!」

 

 

 俺は直ぐ様立ち上がり抗議する。しかし男は既に俺が座っていた場所を占領してしまっていた。

 

 そして、どれだけ詰め寄っても男は一度もこちらに視線を向けることなく、背負っていた鞄から何かの道具を取り出して準備を進めてしまう。

 

 俺も仕返しに無理矢理押し出してもいいが、あまりこの街で騒ぎを起こしたくはない。

 

 それに、それをしてしまえば自分もこのクソ野郎と同じステージまで格を下げてしまうようで躊躇してしまう。

 

 結局、立ち尽くすばかりで俺は何も出来なかった。

 

 

 ただ俺の怒りがおさまるわけではない。

 

 

 なんなんだこの男は、店で出会ったときから不愉快ではあったが、やはり俺の勘は間違っていなかった。

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