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72. 盲目の涙


 「よっ、久し振りだな」

 

 「リサ!?」

 

 俺の影から現れた女、リサ・サンヴォルルフ。

 本来は黒天狐と幻狼のハーフで獣の姿であるはずだが、今は腕と耳、そして尻尾だけにその特徴を残した獣人のような姿を取っている。

 

 

 

  「無事なようで何よりです。……ビスタはどうしていますか」

 

 俺が質問すると、リサが少し驚いたようなリアクションを見せる。何かおかしなこと言ったか?

  

 「おっと、いやすまない。君がいきなりお嬢様のことを聞いてくるとは思ってなかったものでな。

 まあ、何がどうってわけでもないさ、こちらの世界に戻ってから、すぐに仲間と合流して立派に指揮をとられている」

 

 彼女の言い方には何か含みがあるような気がした。あるいは俺が敏感になっているだけかもしれんが。

 

 まあ気にしていても仕方がない、他にも聞きたいことは山程あるんだ。

 

 俺は質問を続ける。

 


 「……影から出てきましたが、いつから私のところにいたんですか? あと、いったい何の用でこんなところまで?」

 

 

 「君が修道院から出てきたところからさ。私は君がこの街にいるという情報を聞きつけ、街の中の匂いを辿って出てくるところを待っていた。用件は…… そうだな、君に伝えたいことがあって来た」

 

 

 「情報……? いったい誰から?」

 

 

 「おいおい、本気で言ってるのか? エミリアだよ、私の仲間達が怪しい奴を捕らえてきたって言ってな。それが人に化けたエミリアと彼女が連れていた絶色蜥蜴で、言葉は分からなかったが必死のジェスチャーで君がこの街にいることを教えてくれた。

 元はと言えば君達から仕掛けてきたんじゃないか」

 

 絶食蜥蜴というのはおそらくジゴロウのことだろう。言われてみればトカゲのように見えなくもない。

 

 しかし、今重要なのはそんなことではないだろう。エミリアはちゃんとリサ達のもとへ辿り着いていたのだ。

 

 「エミリア……! か、彼女は無事なんですか!?」

 

 「ああ、こっちにもいろいろ事情があるから連れてくることは出来なかったがな。私達のアジトでちゃんと保護している」

 

 

 「そうですか、よかった……」

 

 

 その話を聞いて、俺は思わずほっと息をつく。狙ってやったこととはいえ、万が一もあったからな。

 

 


 

 

 「……で、あの、そろそろどいてくれるとうれしいんですけど」

 


 そして俺は、話が一区切りついたのを見計らって上に覆い被さってくるリサに対してそのように願い出た。

 

 そう、月夜の光だけが頼りの暗い部屋の中、どういうわけか彼女は一言喋るごとにこちらへ近づいてきて、最終的に押し倒し身動きとれないように腕を掴み押さえてきたのだ。

 

 「……」

 

 彼女はニヤリと口角を上げるだけで何も答えてくれないしもちろん退いてもくれない。

 ならばと力づくで押し退けようとしたが、残念ながら精霊術も使っていない俺の筋力では彼女に敵うはずもなかった。

 

 なんだこの獣は、こんなところまでわざわざ盛りにきたのか? なんてことを思ってしまうが、それは杞憂であることがすぐにわかる。

 

 

 「安心、しているのか君は? エミリアが無事だと聞いて安心しているのか? フフ、ハハハ……」

 

 

 何を言い出すかと思えば、リサは話題を先程のものに戻してしまった。

 その姿が俺の目には少し奇妙に写った。どうして彼女はそんな儚い表情をするのだろう。

 

 

 「そりゃあ、まあ、安心もするでしょう。それがなにか問題でも?」

 

 

 俺が答えると、瞬間リサが顔をしかめたのがわかる。

 なぜだろうか? 特にマズイことを言った覚えはないのだが。

 

 「笑わせないでくれ。問題? 大アリに決まっているだろ。

 もしエミリアを連れ去った奴らが私の仲間じゃなかったらどうなっていた? もし私がエミリアだと気がついていなかったらどうなっていた?

 君はエミリアなら何とかするだろうと、そう思っていたのか? 調べものなんてしてる場合か、仲間がはぐれたのなら今すぐにでも行動しろよ。君はいったい、何をしているんだ」

 

 「……」

 

 「だいたい、私の顔を見て一番最初の質問がお嬢様のことなんて可笑しいだろう。

 君が私達との接触を目論んでエミリアを送ってきたのなら、「エミリアとは出会えましたか?」 そうでなくても「エミリアが拐われた」と私に言うべきだったんじゃないのか?」

 

 「……」

 

 「わかっていないようだから言ってやるが、君がやったことは最低の行為だ。お嬢様に会いたいがためにエミリアを利用した。君の力になりたいという彼女の想いを、乙女の純心を君は他の女のために利用したんだ」

 

 彼女は俺の腕を握る手に力を込めてそう言った。

 

 

 「それは……」

 

 もっともなことを言われて俺は言い返すことが出来ない。

 

 

 「いいか? こんなやり方を繰り返していたらこの世界じゃあ命がいくつあっても足りはしない。

 今日まで生きれたこと自体奇跡と言ってもいいだろう。

 帰れ、君が大人しくもとの世界に戻るのならすぐにでもエミリアを返してやる」

 

 

 それがリサの目的だったのだろうか。彼女がそんなことを言ってきて、それを自分の中に飲み込むのに数秒を要した。

  

 きっと、それは一番彼女から言われそうな言葉で、今の俺が一番聞きたくはなかった言葉だったからだ。

 

 

 そうだよ、自分の都合でどれだけエミリアを危険な目に逢わせているのかなんて、そんなこと他人に言われなくても自分が一番よく分かっている。

 

 そんな調子じゃ、俺達はこの世界じゃ野垂れ死ぬだけだってことも、自分の世界に帰った方がいいということも。

 

 どれだけ自分が無責任で不甲斐ない男なのかということも。

 

 

 「そんなこと、言われなくても分かっていますよ……」

 

 

 だから俺は、胸の内の感情を繰り返すようにその言葉を紡ぐしか出来なかった。

 

 

 自分が泣き出しそうになっているのがわかる。けれど、未だ俺の腕は彼女に押さえつけられていて、自分の醜くく歪んだ顔を隠すことも出来ない。

 

 そんな俺の様子をじっと見つめて、リサはぼそりと呟く。

 

 

 「……なるほどな」

 

 「……なんなんですかっ、見ないでくださいよ……!」

 

 俺は語気を強めてもそんなことしか言えなくて、それでも彼女は腕を押さえる力が緩まつた。すかさず俺は解放された腕で顔を隠す。

 

 「……」

 

 俺に気を遣ってか、リサは俺から距離を取って背を向けるようにベッドに腰掛けた。そして、

 

 「……ところで、君は聞かないのか? どうして私達が君を置いていったのかを」

 

 「きっと、貴方もビスタの指示に従っただけなのでしょう。だから、直接ビスタから聞こうと思っています。

 ……おおかた、私の実力が足りていなくて不甲斐ないからとかそんな理由だとは予想していますが」

 

 

 俺は投げやり気味に返した。

 

 

 「私も腑には落ちなかったが最初はそう思っていたよ。でもこっちに戻ってきてからお嬢様が教えてくれたんだ。君を置いていった本当の理由を」

 

 「本当の理由……?」

 

 「ああ、そうだ。お嬢様はこう言っていた。私達の世界が君を汚すのが耐えられない、とな」

 

 「どういう、意味ですか」

 

 「……ふむ、言っただけではわからないか? 私は今の君を見て割りと納得してしまったんだがな」

 

 「……?」

 

 「先程は敢えて強い言葉で責めたが、例えば今回のエミリアの件だって必ずしも君だけに責任があるわけではなかったはず、エミリアだって危険も利用されることも承知の上で君についてきた。

 それなのに君は私の言葉を真に受けて、全部自分が悪いんだと己を責め立てて背負い込んで、今にも泣き出しそうになっている。

 君の故郷での戦いでもそうだ。君は何かを堪えるように剣を振るい続けていた。お嬢様は、そんな君を見ていられなくて置いていったんだ」

 

 リサは俺の実力ではなく精神の部分に問題があるのだと言ってきた。

 

 そんなはずはない、俺はあのとき間違いなく決別したんだ。

 甘さなんて必要ない、戦うこと、人の命を奪うことに俺は覚悟をしたはずだ。

 

 それは、なによりも自分の欲を叶えるためで、ビスタ達とこれから先戦っていくためにつけたけじめなのに。

 なのに、そのビスタに俺は否定されてしまったのだという。

 

 

 聞きたくなかった、そんな言葉を。

 

 認めたくはなかった、そんな事実を。

 

 

 だから俺は、ただただ声を荒げて言葉未満の訴えかけしかすることが出来ない。

 

 

 「……そんな、そんなの!」

 

 「勝手、横暴だと思うか? そうだな、君がそう思うのは至極当然だ。

 だが私達は命を懸けて戦っている。君のように、一々立ち止まってはいられない、立ち止まっている奴に構ってはいられないんだ」

 

 リサの言葉はその一つ一つが鋭くて、まるでわざとそんな言い方をしているようだ。

 

 「私達は、仲間じゃなかったんですか……!どうして、どうしてそんなに冷たい言葉を投げ掛けられるんですか……!」

 

 「……全て君のためを想ってのことだ。お嬢様が君のことをただの駒としか見ていなかったのなら適当に使い捨てていただろうさ。でもお嬢様は本気で君のことを想っていたから、だからあそこで君を切り捨てたんだ」

 

 

 「カルラ……」

 

 

 ずっと横で話を聞いていたロロがそっと俺の名を呼んだ。おそらく俺のことを案じてくれているのだろう。

 

 ただ、今の俺はそれに応えることが出来ない。

 

 

 「君の、そういう純粋で他人思いな性格を悪いとは言わない。むしろ人として素晴らしいことだと私は思う。

 ただ、戦うことに向いていない。それだけのことなんだよ」

 

 

 

 ───戦うことに向いていない。

 

 

 

 その言葉で一瞬時間が止まったような錯覚を覚える。

 

 

 ああ、そうか、そうだよな。周りの人達はもう、とっくに見抜いていたんだよな。

 

 

 俺は臆病なんだ。ひどくひどく臆病なんだ。

 

 周りの人達は守りたくて、でも、例え魔物であっても他人の命を奪いたくもなくて。

 

 

 どっちつかずのまま、半端だった覚悟を誤魔化したままここまで来てしまった。

 

 

  勇者を倒すのは自分の使命、言い訳を並べてその使命から逃げてしまえば弱い自分のまま生きていかなくちゃならない。それだけは絶対に嫌だ。

 

 そう自分に言い聞かせて、いや、ビスタに出会うまでは本気でそう思って歩み続けてきた。

 

 

 彼女に出会って、彼女の境遇を知って、俺は心のどこかで自分と同じだと思っていた。

 

 押しつけられた運命を前に、それでも逃げず強く美しく生きようとしている彼女にシンパシーを感じて。

 

 はじめは、こんな思いをするのは自分だけでいいと彼女を置いて行こうとしていた。

 でも、そこでロロが言ってくれた。一緒に戦えば良いんだと、おまえが守ればいいんだと。

 

 それから、共に旅を続ける程に、この人が側にいてくれたら俺は本当に勇者も倒せるんじゃないか、本当に俺は、強い自分に変われるんじゃないか、だんだんそんなことを思うようになったんだ。

 

 戦う理由に、少しだけビスタという少女が加わったんだ。

 

 だからあのとき、故郷を襲う賊と戦ったときも俺は強くあろうとしていた。それは彼女の隣に居続けるために、「眷属と主人」という関係を終わらせないために。

 

 でも、誤魔化せていると思っていたのは自分だけだったんだ。

 いや、そもそも彼女の前で嘘を貫き通すなんてことがどだい無理な話だったのか。

 

 

 

 「私は、ただ……!」

 

 「分かっている。お嬢様の力になりたかった、それだけなんだろう?」

 

 「でも…… もう私には資格がないですよね?彼女を守る資格は…… 残念です、願うことなら貴方達と共に戦いたかった……」

 

 

 俺はか細い声で問いかける。

 

 

 「……いいのかそれで?」

 

 

 だが、リサが返してきた言葉は予想外のもの。

 

 「えっ?」

 

 「君はもうそれで諦めてしまうのか? お嬢様を守るという覚悟はそんなものだったのか? それが君の、……カルラ・セントラルクの本心だったのか?」

 

 顔は見えないがその言葉を境に彼女の様子が変わったのがわかる。少しだけ嗚咽を漏らす声も聞こえてきたからだ。

 

 いや、もしかすればこちらに背中を向けだしたときからこうだったのかもしれない。俺は今の今まで顔を隠していたから、そんなことすら見えていなかった。


 

 「リサ……?」

 

 

 「私だって、辛いんだ……! 君も、お嬢様も、二人の気持ちが痛いほど分かる。お嬢様だって、今も君のことを思い返すほどには本当は君と一緒にいたいと思っている。私だって君に戻ってきて欲しいと思っている。

 けど、今のままじゃダメなんだ……! 私では、何もしてやれないんだ……!」

 

 その震える声が彼女の背中越しに聞こえてきて、俺はまたもや自分の不甲斐なさに心がズキリと傷む感覚がした。

 

 どうして、どうして気づいてやれなかったんだ。

 

 リサがわざわざこんなところにやって来て全てを話してくれたのは、なによりも俺に期待していたからだというのに。

 

 悲しんでいたのは俺だけじゃない。リサも、そしてきっと俺を切り捨てると決めたビスタも、あの一件で皆が心を痛めたのだ。

 

 

 クソが、もうこれで何度目だ。

 

 

 どうして俺は、そう何度も自分だけ被害者でいられるんだ。

 

 

 「……」

 

 

 そして、自分のそういうところがこの事態を招いているのだと気づかされる。けど、やはり俺はどこまでも愚かだった。

 

 

 「……何もしてやれないなんて言わないで下さい。貴方は危険を冒して私のもとを訪れ話してくれた。それだけで、十分です」

 

 「でも、それだけでは……」

 

 

 それだけでは何も解決なんてしない。おそらくリサはそう言いかけたのだろう。

 

 そりゃそうだろう。解決なんてするはずがない。なぜなら、結局は俺次第なのだから。

 

 

 俺は変わりたい。人として強くなりたい。

 

 自分に正直でいたくて、ビスタ達と一緒にいたい。

 

 そして皆を守りたいし、出来ることなら誰にも傷ついて欲しくない。

 

 

 これら全てを叶えることは無理なのか?どれかを諦めないといけないのか?

 

 

 そんなことはないと信じたい。どれだけの苦難が待っていようとも、自分の気持ちだけには嘘をつきたくない。

 

 

 「……二週間後に教皇オリヴィア・ノーツ・ナルシスカが関係する武闘大会なるものが開かれるそうです」

 

 「……知っている。先に言っておくが、君は来ない方がいい。奴ら人間がこのタイミングで動くということは、お嬢様を誘い出す罠だ。

 おそらく、魔族も人間も血が流れることは必至。そして君は、今みたいにまた酷く顔を歪ませて己を責める」

 

 オリヴィアは平和の祭典だと言っていたが、きっとリサが言っていることが真実なのだろう。

 正直、そんなことだと薄々勘づいてはいた。

 

 「いえ、私は出場者として赴きます。そして、そこで私なりの答えを出すつもりです。……だから、そこで判断してくれませんか? 私が貴方達の側にいる資格があるかどうか」

 

 俺はリサの前に移動して、彼女の目を真っ直ぐ見てそう言った。

 彼女も俺の意に応えるように濡れた目元を腕で拭って俺の目を見てくれた。

 

 「……わかった、お嬢様に伝えておく。ただ私達も見ているだけと言うわけにはいかない。捕らわれた同胞を救い出すために当日に向けて今も準備を進めている。何かしらのアクシデントが起きることは覚悟しておいてくれ」

 

 「はい」

 

 「それじゃあ私はもう行く。エミリアはどうする? こちらで預かっておいてもいいが」

 

 「お願い出来ますか? 彼女には申し訳ありませんが、武闘大会までの時間は自分一人で考えたいんです。彼女が側にいるときっとどこかで甘えてしまうから……」

 

 「わかった。……本来一度君を裏切った私なんかが言えた言葉ではないが、 信じているからな」

 

 話はそこまでだった。おそらく自分達の拠点に戻るのだろう。リサは窓から出ていこうとして、俺も見送ろうとする。

 

 しかし、そこで俺がとあることを思い出す。

 

 「……あっ」

 

 「ん? どうした?」

 

 「いや、その、変身魔法かけていってくれると嬉しいなぁ、なんて……」

 

 アハハ…… と頬を掻いて申し訳なくするも、今さっき啖呵を切ったばかりでこれでは余りにも締まりが悪い。

 

 リサは意表を突かれて窓に掛ける足を外して盛大にこけてしまった。

 

 なにもそんなコテコテのリアクションをとらなくてもいいのに。

 

 

 「まったく、仕方のない奴だな」

 

 

 呆れたような笑っているような、複雑な表情でリサが言った。

 

 

 彼女の言うとおり。

 

 本当に、俺は仕方のない奴だ。

 

 

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