71. ラウディアラ教
ラウディアラ教団管轄修道院図書館。通称ラウディアラ図書館。パージェスの中央部に建てられたこの施設には、世界各地から様々な書物が集められている。
その蔵書数およそ250万。ドランジスタの中でも突出した蔵書数を誇るこの図書館ではあるが、そのルーツは蔵書数1000冊程の修道院の小さな図書庫に過ぎなかったという。
しかしおよそ100年前のこと、魔族との争いが比較的穏やかだった時代。四代前パージェス皇帝レスト・ハウクス・アウシュトロム・パージェス8世が国内の文化保護に努め、その政策の一環として修道院図書館の支援を行ったという。
まあ、それは表向きの理由で、実際のところは急速に信者数を増やし帝国を脅かしかねない勢いで勢力を拡大していた当時のラウディアラ教を取り囲む為だったとも言われていたりするらしいが。
「カルラ~、ご飯食べに行こうよ~、ここ本ばっかりで私もう飽きたよ~」
「今日は夜までここにいるつもりですよ、この世界の情報を知り得るのにこれほどうってつけの場所はないです」
空中をダラダラさまよいながらぼやくロロを尻目に、俺は一冊の歴史書を読み込んでいた。
そう、俺達は今そのラウディアラ図書館の中にいるのだ。実はここはパージェスを訪れた目的の1つだったりする。
本というのは実に素晴らしい。子供でも知っていそうなこの世界の基本的な情報ですら、異世界人である俺は持ち合わせていない。
そんなことを下手に現地人に聞いてしまうと、途端に怪しまれてしまうことになる。
だが、本は疑うことなく必要な情報だけを差し出してくれる。
これほどまでに俺に都合のいいツールが集結した世界最大の施設。俺が見逃すはずもないというわけだ。
「エミリアはほっといていいの~?」
「……今日動いても何も出来はしませんよ。明日の朝探りに行きます」
「ふーん…… にしてもさ~、よくあのオリヴィアとかいう人顔に唾吐かれたのに許可してくれたよね、この図書館って普通の人は入れないんでしょ?」
「ですね、ここは一定の階級以上のラウディアラ教徒、もしくはそれに許可された者しか入れないって話ですから、あのタイミングで彼女に出会えたのは運がよかったと言うしかないです」
「そだね~、ラッキーだったね~、……って、唾のほうはスルーかい?」
「……別にそういうつもりではないですけど」
少しだけロロが怒っているように見えた。が、その理由が今一つ分からない。敵の本拠地で短絡的な行動を俺が起こしてしまったからだろうか?
「ねえ、なんであんなことしたの?」
「なんでって、そりゃ……」
そりゃ…… なんだ?
俺は今何を言いかけようとしたのだろう。
いや、というかロロの疑問のとおりなんで俺はあの状況で唾なんて吐いてしまったのだろう。
どう考えてもメリットなんてなかったのに、取るべき行動ではなかったはずなのに。
胸の内で自問自答。その間言葉に詰まっていた俺を見かねて、ロロは何故か重たい溜め息をつく。
「……はぁ」
「どうしたんですか?」
「ううん、なーんもない。あともひとつだけ聞いとくけど、なんか調子悪かったりはしない?」
「いえ、別になにもないですけど……」
いったいロロが何の意図をもって質問してくるのか俺には全く分からなかった。
なんだ、なんだろう。
俺の知らないところで何かが進行しているような、決して気持ちがいいものではない感覚を覚える。
「……そんじゃあ私お昼寝するから、終わったら起こしてちょ」
「夜眠れなくなりますよ?」
「それでいいの」
その言葉を最後にロロは本の上で眠ってしまった。結局わけがわからないまま会話を打ち切られたわけだが、仕方がないので妖精用のタオルケットを亜空間から取り出し上から被せて作業に戻る。
ちなみにあんな仕打ちを受けてなぜオリヴィアが俺の申し入れを聞き入れてくれたのか、実際のところは俺も分からない。
ただ、謝罪も兼ねて騎士達にボコられた後に彼女のもとを訪れてみると、不思議なことにオリヴィアはとても上機嫌だった。
ダメ元で入館許可を頼んでみると二つ返事でOK。こちらとしては助かるから問題ないが、彼女のあまりの変わりように少しビビっていた自分がいた。女というのは不思議な生き物だ。
さて、次の本は『ラウディアラ教義史』というタイトルのものだ。
この世界の人間達の8割が信仰しているとされるラウディアラ教。あのオリヴィアが従事しているのもこのラウディアラ教だ。
冒頭の記述によると、ラウディアラというのはこの世界を治める女神の名らしい。
俺はここで1つ疑問に思った。俺達の住む世界フォルガーナ、そしてマチューやビスタ達の住むドランジスタ。
アルルカの話によれば2つの世界はどちらともあいつが管理しているはずだ。それなのになぜアルルカの名前が出てこないのか?
思えばマチューの記憶を引き継いだとき、そしてこの世界を訪れてからも気にはなっていた。俺の世界ならばアルルカの名前なんてそれこそ子供でも知っている。
それなのにこちらの世界ではまるで存在そのものが認知されていないような感じだった。アルルカなんてワードは前世も含めて一回も聞いたことがない。
こちらの世界ではラウディアラと呼ばれているということなのだろうか? それともアルルカはこの世界の神ではないのか?
……いや、マチューを転生させるようなことが出来るんだ、多少は神的立場であることは間違いないはずなのだが。
「本人に聞ければはっきりするんですけどね……」
これに限らずアルルカに聞きたいことは山程ある。
例えばあのアベルとかいう男について、フォルガーナの住人でありながらなぜビスタのことを知っていたのか、奴はいったい何者なのか。
それに、人間の不老不死化が神にとって問題だというのなら、生命を蘇らせることが出来るあの男も対処すべき存在だろう。
なのに何故それをしない?無能だからか?
文献を読み進めながらそんなことを考えていると、数ページ分の内容が頭に入っていなかったことに気がつく。
……いかん、いったい俺は何をしているんだ。
気を取り直して飛ばし気味に読み進め、本を閉じたのは一時間後のこと。
この本のおかげで大体の宗教事情を知ることが出来た。
どうやら現在のラウディアラ教義はここ数年で初期の頃とは大きく変容しているようだ。
もとはその名のとおりこの世界を作り出したラウディアラという神を信仰の中心に据えていたそう。
だが、現教皇オリヴィア・ノーツ・ナルシスカが就任したのを期に彼女が率いる改革派の手によって信仰対象が変化。
存在するかも不確かな女神よりも、実際に世界に現れて人類を救える勇者を信仰しようということになったらしい。
もちろんそれに反対する保守派もいたらしい。しかし改革派の背後にはパージェスそのものがついており、この二者を前に保守派は成す術なく敗れ去ってしまったという。
まあ、そもそも国の協力なんて無くても実際に魔王を倒して英雄になったオリヴィアが言い出したことを誰かが止められるとは思えないが。
気になるのは何故彼女がそんなことをしたのかと言うことだ。魔王を倒し、人類の驚異が取り払われたこの世界でいったい何を企んでいるというのか。
「というか、この世界の政治と宗教ズブズブにも程があるのでは?」
先程から普通に喋っているが、図書館内は私語厳禁だ。だが、こればかりは声に出してツッコまずにはいられなかった。
まあ、平日で利用者が少ないせいか周りに誰もいないのでこのくらいは問題ないだろう。
にしてもこのパージェスという国は思っている以上にヤバいところなのかもしれない。
というか、間違いなくヤバいところなのだ。これもここにある文献から知り得たことだが、なんせこの国の長、つまり皇帝はかつての勇者で、他にも生徒数が100万人を越えるというパージェス最大の道場、その師範もかつての勇者一行の一員だったらしい。
要するに、この国はほぼ完全と言っていいほどに勇者とその仲間達に支配されているらしいのだ。
逆を言えば、この国の中枢は奴ら勇者一行に支えられているとも言い換えられるが。
しかしまあ、こんな独裁政治、内部で反乱とか起きないのだろうか。次はそこら辺を調べる必要がありそうだな。
そんなこんなで数時間、俺は図書館の中に引きこもった。
◆ ◆ ◆
そしてその日の夜のこと、俺はオリヴィアが手配した部屋のベッドで布団にくるまり震えていた。
「どどどどどうするのカルラ!」
動揺を抑えきれないロロが問いかけてくる。
「ど、どどどどどどうしましょう」
俺も予想外の緊急事態に平静を保ってはいられなかった。
いや、予想外というのは違うかもしれない。冷静に考えればこれは容易に予想出来たことだ。
まさに今俺を悩ます緊急事態、それはエミリアがいなくなったことで新しく変身魔法をかけることが出来なくなっているということ。
図書館からの帰りに魔法が解けて、なんとか誰にも出会さずこの部屋にまでたどり着くことが出来たが……
「明日からどうすんのさ!」
ロロが言うとおり明日からの行動に支障が起きてしまう。エミリアを探しに行こうと考えていたのに、人間の国でこの尖った耳を隠し通せる自信がない。
「別れるのは失敗でしたか……」
今更後悔したところで遅すぎるが、俺の魔法が解けたということはエミリアも元の姿に戻っているということだ。危険な目に遭ってなければいいのだが……
いや、今は他人の心配をしている場合ではない。どうにかして、この窮地を脱出しなければ。
「なんだ? お困りのようだな?」
と、そのときどこからともなく女性の声が聞こえた。とても聞き覚えのある声だ。
「この声、まさか!?」
「おっと大声はやめてくれ、人が来ると困る」
ふと足下の影に目をやる。すると影が蠢き中からズズズと面識のある人物が現れた。
「リサ!」
大きな声はやめろと言われたばかりだが、突然のサプライズに俺とロロは二人して驚かざるを得なかった。
「よっ、久し振りだな」
獣のような鋭い琥珀色の眼、グレーのメッシュが入った黒い髪。そしてなんといっても男を惑わす抜群のスタイル。
かつて俺を置き去りにした。ビスタの従者であるリサ・サンヴォルルフが今俺の眼前に現れた。
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