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70. 《女教皇》


 長いブロンドの髪を揺らしながら、一歩、また一歩、と俺に近づいてくる。

 

 

 「フフフ、そんなに畏まらないでください。危害を加えるつもりはありません」

 

 

 かつて幾千もの魔物を屠り、人の身でありながら強大な魔王を打ち破った勇者とその仲間達。

 女の優しい声音からは、そんな雰囲気は微塵も感じられない。

 

 いや、悟らせないように抑えているのか?

 

 

 彼女は俺の眼をじっと見つめてきて、俺は逸らすことなく見つめ返す。

 

 

 

 

 

 アメジストを想わせる澄んだ輝き。

 

 

 

 美しい眼だ。

 

 

 

 心なしか、ビスタのそれと少し似ているか?

 

 

 

 「はじめまして、私はオリヴィア・ノーツ・ナルシスカ、この国の教会に勤める聖職者です。貴方のお名前をお伺いしても?」

 

 

 いったいどういうつもりなのか。

 

 

 女は自ら名乗り出して、次に俺の名前を訪ねてきた。

 

 こんな風に拘束しておきながらその口調はとても丁寧で、まるで状況と噛み合っていない。

 

 

 「……アッシュ・グリフォルムです」

 

 

 念には念を入れて、俺は本名を明かすことはしなかった。

 

 別に名前がバレてしまっていては問題ないだろうが、まあ、無闇に明かすのもなんだかな。

 

 

 「グリフォルムさん! まあ、とてもよい名前ですね! ところで、そんな風にしておいて何なのですが、どこかお怪我はありませんか? 先程魔族と抗戦されたのでしょう?」

 

 

 偽名だとも気づかずオリヴィアという女は世辞を寄越してきた。

 

 

 なんとも馬鹿な女だ。

 

 

 いや、それとも嘘だと気づいていて敢えて褒めているのか?

 

 

 今一つ腹の底が読めないな。

 

 

 

 しかし、先程の発言や雰囲気からして、俺の返答次第ではこの枷を外してもらえるかもしれない。

 

 

 突然ターゲットが目の前に現れて内心興奮気味ではあるが、ここは落ち着いて動くとしよう。

 

 

 

 「お気遣いありがとうございます。ですがケガの類いは一切ありません。

 ……ところで、魔族とはさっきの連中のことですか? 彼らは顔を隠していました。どうして魔族だと分かるのですか?」

 

 「あらら、どうやらグリフォルムさんはこの街に来てまだ日が浅いようです。

 あの一味はですね、ここら辺では有名な盗賊で、この街に運ばれる物質なんかを狙ったりする野蛮な連中なのです。

 このパージェスにおいてそんな蛮行に及べるのは、魔族以外あり得ませんよ」

 

 

 と、オリヴィアはしたり顔で答えた。

 

 

 なるほど、ということは俺の勘は当たっていたということで、エミリアは今魔族に拉致されていると。

 

 奴らの様子からしてビスタと無関係ということもなさそうだし……

 

 

 ビスタかリサと接触出来ていると良いが……

 

 

 「ところで、私はどうして拘束されているのでしょうか? そこにいる人達のせいであの連中に知り合いが拐われたんです。早く助けにいかないと」

 

 「なんだと貴様!?」

 

 

 黙って横で話を聞いていた甲冑男に鋭い視線を向けながらそう訴えると、男は腰に差していた剣の柄を手にとり食ってかかってきた。

 

 しかし、それをオリヴィアが制止させる。

 

 

 「おやめなさい、このお方は大事な客人です。ここは私一人で十分、貴方は部屋の外で控えていなさい」

 

 「し、しかし……」

 

 「言うことが聞けないのですか?」

 

 男の顎をクイッと持ち上げて、今からキスでもするのかと言わんばかりの距離でオリヴィアが迫る。


 

 「しょ、承知しました……」

 

 男はまるで気圧されたような、惑わされたような、今一つ回らない舌で受け答えしそれに従った。

 


 そうして男は渋々部屋から出ていって、俺と彼女、ついでにロロだけの空間になる。

 

 

 

 俺はその一連の出来事を横で見ていて、ある一つのことを思い出した。

 

 

 

 確か魔王を倒した勇者とその一行は、後に人間の世界でそれぞれ特級の権力と地位を獲得した。

 

 もともと僧侶だったメンバーの一人は、「聖女」や「女救世主」の異名で讃えられ、今や宗教界の頂点、「教皇」の位置に座しているということを。

 

 

 そして、今俺の目の前にいるオリヴィア・ノーツ・ナルシスカこそがその現教皇なのだ。

 

 

 なるほど、そんな奴が相手じゃ、見るからにしたっぱのあの甲冑男が意見なんて出来るわけもないか。

 

 

 って、だとしたらなおのこと分からないことだらけだ。

 

 そんな奴が、どうしてわざわざこんなところまで来ているんだ?

 

 

 コイツは今俺のことを客人と言った。いったい俺に何の用があるというのか。

 

 俺の正体がバレているなんてことは流石にないと思うが……

 

 

 「ごめんなさい。わたくしの部下が失礼いたしました。

 ……それで、あなたにかけられているその枷ですが、私のお願いを聞いていただけたら外すことを約束します」

 

 

 「お願い?」

 

 

 「ええそうです。グリフォルムさん、いえ、グリフォルム様、私達に力をお貸しください。

 貴方様には、今度この都で開かれる武闘大会に出場してほしいのです」

 

 

 オリヴィアは両の手の指を組ながら懇願するようにずいっと俺に迫った。

 

 とても顔が近い。離れたいが、椅子に座らされたままではそれも叶わない。

 

 彼女はこの距離に違和感がないのか、俺の目を真っ直ぐ見たまま俺の返答を待っている。

 

 本来ならここで俺は目を逸らすべきなのだろう。

 

 だが、何故かその眼の美しさに惹かれてしまっている自分がそこにはいて、目を逸らすなんて勿体無いとすら思えてしまう。

 

 結果、俺は無言のまま彼女の熱烈な視線に応えるように見つめ返していた。

 先程の男とのやり取り同様、端から見れば何かの間違いが起きても可笑しくない雰囲気に違いない。

 

 

 「武闘大会……? ええと、なんですかそれは?」

 

 「ああ、申し訳ありません。わたくしったら勝手に話を飛躍させてしまって……

 武闘大会というのはですね、平たく言ってしまえば人間と魔族の交流を深めることを目的とした祭典なのです。

 わたくしもその行事に携わっていて出場者を探しているのですが、中々この祭典に相応しい強者が見つからず……」

 

 「……私は強くなんてないですよ? さっきも貴方の部下に取り押さえられましたし」

 

 「いいえ、貴方様は間違いなくわたくしの求めるお方に違いありません。

 今日、優秀な戦士がこの王都に現れると水詠の占にて出ています」

 

 「占い、ですか……」

 

 

 「ええ、それにグリフォルム様のこの体つき…… 一見華奢なように見えますが、しなやかで、それでいて逞しくて……

 わたくしには分かります、貴方様はまだ実力を隠している」

 

 「ハハッ、買い被りですよ」

 

 

 まるで俺を試すかのような視線と物言い。流石にその言葉に乗る気はなかった。

 

 忘れてはならない、このオリヴィアという女は俺が倒すべき敵ということを。

 

 敵の前で、己の実力を晒すバカはいない。

 

 

 「ふふ、謙遜されるのですね。いいんです、その実力は本番で発揮して頂ければ」

 

 「待って下さい。誰も協力するとは……」

 


 俺はたまらず意見した。

 

 

 「失礼ながら、この状況で拒否権があるとでも?」

 

 

 すると、オリヴィアの声音が突然低くなる。その言葉に伴う、強者特有の迫力。

 

 その迫力を前に、俺は内心怯んでしまった。

 

 

 

 そこで俺は改めて認識させられる。己が今捕らわれた身であるということ。

 

 これは交渉でも、ましてやお願いなんてものでもなく、一方的な命令や脅しの類いであるということを。

 

 

 

 「……わかりました」

 

 

 「ありがとうございます。それならもう貴方様はわたくし達の仲間、すぐにその枷を外させますね」

 

 

 これほどまでに屈辱的な目に遭うのは久しぶりな気がする。

 

 なるほど、要するにコイツは今俺のことを舐めているということか。

 

 いいだろう、今はおまえ達に従ってやるよ。

 

 

 だが覚えておけ、最後に泣きを見るのはおまえ達だということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……なんて、このまま俺が引き下がるとでも思ったか?

 

 

 

 

 

 

 ぺっ! ぺっ!

 

 

 

 

 

 

 

 ───べちゃ

 

 

 

 

 

 

 「……キャ、キャァァァァァ!?!??」

 

 

 

 「ハハハハハハハハハ! 滑稽だなブス女! よく似合ってるぞ!」

 

 

 

 

 ああなんということだろう、完全に勝った気でいたこの女の顔は、今俺が吐いた唾でベトベトに汚され悲鳴を上げている。

 

 

 

 

 最高だ、絶頂だ、これほどの幸福が他にあるか。

 

 

 

 「な、なんて無礼な! わ、わたくしの美しい顔を、こんな、こんな……!自分が何をしているのかわかっているのですか!?」

 

 

 「無礼だと? 舐めた態度で要求をふっかけてくる貴様のほうが余程無礼だろう? ほらどうした、人にモノを頼むならそれなりの態度があるんじゃないか?」

 

 「お、お黙りなさい! こんなことをしてタダで済むと思わないことです!」

 

 「ほう? 興味深いな、具体的におまえは俺に何が出来るというんだ?」

 

 

 「そ、それは……」

 

 

 「何だ? 何も出来ないのか? ガッカリだな、おまえにとって俺は本当に大切な客人ということか」

 

 

 女はあわてふためきながら顔を拭くばかりで反論はない。どうやら俺の勝ちのようだ。

 

 

 まあ、俺に喧嘩を売った時点でおまえは終わっているんだよ。今すぐ殺されないだけマシと思うことだな。

 

 

 

 

 

 

 ……なんて考え無しに動いたものはいいものの、本当にタダで済むわけもなく。この後騒ぎに駆けつけた男達にめちゃくちゃボコられた。

 

 

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