56. 朝帰り
「んっ……」
気がつけば俺はいつの間にか眠ってしまっていたようだ。
爽やかな朝の空気に出迎えられ、いつも通り身を起こしながらグッと伸びをする。
……したかったが、左腕に何かが絡みついていて身を起こすことすら叶わない。
いったいなにがあったのかと目を向けてみれば、静かな寝息を立てながら、俺の腕に抱きつくエミリアがそこにいた。
「え、えええええっ!?」
これはどういうわけなのか、俺は昨日の事を思い返す。
そう、確かエミリアに引き留められて、あれからもう少しだけお喋りして、流石にお互い眠たくなって俺は部屋に戻ろうとして、そのときエミリアが昔みたいに一緒に寝よとか言い出すから仕方なくベッドに上がって……
エミリアが眠りついたら抜け出そうとしたらそのまま寝ちゃってたのか~……
「はぁ……」
やっちまったと、空いてる片手で額を押さえながら重く溜め息を吐く。
しかしこの状況はどうしたものか、もし今エミリアが目を覚ましてしまったら、間違いなく大騒ぎになる。
何もなかったとは言え、年頃の男女が一つ屋根の下どころか一つベッドの上で共に過ごしたなんて判明したらあらゆる方面から追求されることだろう。
特にリイン、あいつにバレたらただじゃ済まないな……
とにかく、誰にもバレずにここを抜け出す必要がある。
そのためには、なによりも最優先でこの腕をほどかなければならない。そろっと、モアそろっと、慎重に少しづつ腕を抜いていく……
「う~ん、ダメだよカルラぁ……」
と、そのとき、エミリアは寝言とともに俺の腕をさらにむぎゅっと抱き締めてくる。
むぎゅっと、そうむぎゅっとだ。
この腕を全体的に柔らかく包む感覚。間も違いなくその正体は女性の象徴であるアレ、五年という歳月は、エミリアを一人の女性へと成長させるには十分すぎたようだ。
いやいやいやいや、冷静に解説してる場合じゃねえよ。なんという包容力、なんという破壊力。
凶器だ、この魅惑的な柔らかさへ男を殺すための凶器としか思えない。
もちろん女性の胸に触れるなんて、母を除けば俺の人生史上初のことだ。
それがまさかエミリアのだなんて、興奮以上に罪悪感でどうにかなりそうだ。
その柔らかさ反面、エミリアの拘束は固いもので、どうやっても腕を抜き出すことは出来そうにもない。
動けなくなった俺は、仕方なくふとエミリアの寝顔を覗いてみることにした。
昨日は敵地だったり部屋が暗かったりであまりよく確認しなかったが、改めて見ると物凄い美少女に成長している。
あえてビスタと比べるなら、彼女は張りつめるような美しさであるのに対して、エミリアは温和な感じの愛らしさがある。
昔もそこそこ可愛かったと思うが、さらに可愛いくなってやがる……
肌も透き通るように綺麗だし、長く伸びた金髪もどこか大人っぽい。こうやって意識してみると色々なところが魅力的に見えてしまう。
……って、なに考えてるんだ俺は、相手はエミリア、幼馴染みだぞ。リインのアホじゃあるまいし、幼馴染みに欲情してどうするんだ。
俺は急にそれまでの葛藤が馬鹿らしくなって、抱きつかれている腕を揺れ動かして彼女を起こすことにした。
「う、ん……? カルラ?」
エミリアは少しだけ顔をしかめて、寝言交じりの声を上げる。
「お、おはようございます」
挨拶してから気づいたが、ここで俺が寝たフリをしていたら気まずさが多少緩和されたんじゃないだろうか。
だって見てみろ、時間が経って意識がはっきりしていくほどに、エミリアの顔がどんどん赤くなっていってる。
そりゃそうだろう、花も恥じらう乙女が、寝ていたとは言え自分から男の腕に抱きついて胸を押し当てていたんだ。恥ずかしくならないわけがない。
「ご、ごごごごごめん!? えっ、もしかして私達……」
と、大人しく離れてくれればそれで良かったものを、エミリアは俺の予想を越えたよからぬ事を口走ろうとする。
俺は咄嗟に彼女の口を手で押さえた。
「エ、エミリア、一旦落ち着きましょう? そして昨日の事を思い出して。私達普通に寝ましたよね?」
半ば脅迫気味に、俺は引きつる口角を無理矢理上げながらそう言って、彼女はそれに頷いた。
それを確認して、俺はゆっくり塞いでいた手をおろした。
「ご、ごめん、びっくりしちゃってつい……」
「大丈夫です、気にしてないですから……」
ああ、なんと気まずいことだろう。こんなことなら、やっぱりバレないように脱出するべきだった。
そんなことを考えていたら、不意にエミリアが笑みを溢す。
「どうしました?」
「ん? いやぁ、夢じゃなかったんだな~っと思って」
「なんだ、またそんなこと……」
「そんなことじゃないもん! 大事なことだよ!」
寝起きだというのにエミリアは偉くムキになっている。
そんなこんなで、俺は一先ず部屋を出てエミリアと別れ、ビスタ達がいるであろう部屋へと向かった。
そうしたら、まだ試練が俺を待っているということに気がつく。
俗に言う朝帰りというこの状況、ロロやビスタにいらぬ誤解を受けているかもしれない。
そんな不安を覚えながら、部屋の扉を開けるも、ビスタはそれほど気にしてはいなかった。
まあ、そもそも俺の帰りが朝になったからと言って、ビスタが気にすると勝手に考えていたのが俺の思い上がりだったのか。
勝手なことを言えば、それはそれで少し寂しいような気がするが、気まずくならないならそれに越したことはない。
ただ、意外なことに俺が朝帰りしたことにロロがやたら怒っていた。
どこに行っていたんだ、心配したんだぞ。と、鬼気迫る勢いだった。
どちらかというと門限を守らなかった子供を叱る親のような感じで、俺は思わず平謝りしてその場をやり過ごした。
それで今日はどうするのかと言うと、もちろん巻物に記されていた隠しダンジョンに向かう。
エミリアは少し残念そうにしていたが、ダンジョンから帰ってきたらまた一度立ち寄ると伝えて村を出た。
そうして一時間ほどの時間をかけてダンジョンの入り口を見つけた。巨木の洞から入るなんて、これまたカモフラージュだけはこだわっている言うべきか。
まあ、直接異世界に関わるわけではないのでこの間のダンジョンに比べればまだ安易なものではあるが。
ダンジョンはまるで森の中のようなつくりになっていて、壁はうねる木の根や草木の茂み、出現するモンスターも植物系に統一されている。
だが、ビスタという頼もしい仲間がいる今、植物系特有の毒攻撃が少々厄介なものの、それらのモンスターは大した驚異ではなかった。俺達は順調にダンジョンの中を進んでいく。
異変が起きたのは最後のフロアに移る階段を降りたときのこと。
まず俺達を出迎えたのが、何かが燃えているような焦げ臭い匂い、そして頬を撫でるような乾いた熱風だった。
「この感じって、まさか……」
ロロが汗を拭いながら、何かを思い出す。
いや、何かなんて考える必要もない。ロロと同様、俺もこの感覚には覚えがある。
最後のフロアの様相を見てみれば、そこは森のダンジョンが赤い炎に包まれてしまっている。
そして、パチパチと焚き火をするときに聞こえるような音、それに混じった何者かの足音が近づいてくる。
いや、その正体も分かりきっているはずだ。
奴との戦闘の予感がして、俺は全員に風と炎の精霊術を掛けた。
「よおカルラ、数日ぶりだなァ」
そう、ダンジョンフロアを炎の空間に作り替えるなんてこと、そんなことが出来るやつは一人しかいない。
「リイン、やはり貴方でしたか」
俺は木刀を構えて相対する。
有言実行。奴は宣言通り、再び俺の前に立ちはだかった。
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