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37. 存在感の無さ影の如し


 「それじゃ、また明日……」

 

 「ええ、また明日」

 

 

 食事を済ませた俺達は宿に向かい、隣り合った互いの部屋の入口で別れた。

 

 きっと彼女もかなり疲れていたのだろう、最後に見えた表情からは猛烈な眠気が満ちているように伺えた。

 

 

 部屋に入ってみると、中はそれほど広くはない。大人一人が寝られるくらいのベッドと、椅子とテーブル。

 それらを置いてしまえば、足場は三歩分程しかない。

 

 所詮は冒険者用の格安宿屋と言ったところか。

 

 俺はとりあえずベッドに腰かけることにした。

 

 「ふ~」

 

 すると、溜め込んでいた疲れがどっと出てくるような錯覚を覚える。流石に昨日を含めたこの二日間、体を酷使しすぎたようだ。

 

 とりあえず今日はもう寝ようそう思って横になったら、何処からともなく物音が聞こえてくる。

 

 かさかさ、と布が擦れるような小さな音だ。

 

 耳を澄ましてみれば、これはこの部屋からではない。そう、ビスタが入った隣の部屋から聞こえてきているのだ。

 

 どうやら、安い宿というだけあって、ここの壁は結構薄いようだ。

 仕方がないな、なんて流そうとしたが、冷静に考えてそんなことを言っている場合ではない。 

 布が擦れる音。おそらくこの部屋の向こうで、彼女は服を脱いでいるに違いない。そりゃあそうだろう、あんなドレスを着たまま寝るわけがない。

 不純なことに、俺は彼女のあられもない姿を想像していた。そんなことをしていたら、いてもたってもいられなくなって、物音を立てないように壁に耳を当てた。

 

 幸いロロの馬鹿は部屋に入るなり速攻で寝てしまっている。この蛮行を咎めるやつは今誰もいないのだ。

 

 だが、俺自身の鼓動音が、上手いこと音を書き消してしまう。数分経って、俺は何をしているだと馬鹿らしくなり再び横になった。

 

 そうして刻々と時間は過ぎていくが、体は疲れているはずなのにどうにも寝つけない。おそらくダンジョンで気を失ってから昼まで寝ていたせいで、感覚が狂ってしまっているのだろう。

 

 

 

 

 「……ダメだ、眠れない」

 

 

 

 このままベッドに悶々としているのもどうかと思い、俺は一度部屋を出ることにした。確か食堂に行けばホットミルクを貰えるはずだ。温かいものを飲めば眠くなるだろう。

 

 そうしてドアを開けて、ビスタの部屋の前を通ろうとしたが、そのとき視界の下の方で獣の耳がチラッと横切る。

 

 気になって視線を落とせば、そこにはビスタの部屋の前でしゃがみこんだナイスバディな黒髪の獣人と目が合ってしまった。

 

 「よう」

 

 獣人の女はぴょこんと耳を跳ねさせて、特に表情を変えることもなく挨拶してくる。

 

 まいったな、不審者か? 流石にこれ以上の面倒事は勘弁して欲しいんだが。

 

 そんな思いから、

 

 「どうも」

 

 とだけ短く返して、俺は一先ず自分の部屋に戻ってドアを閉めた。

 

 

 

 「……」

 

 

 

 「……いやいやいやいや!? なんか素っ気なくないか!?」

 

 

 するとドアの向こうからダンダンダンと扉を叩きながら叫ぶ女の声が聞こえてくる。

 

 

 「えっちょ!? なんですかあなた!?」

 

 「私だよ! リサだよ!? 分からないのか!?」

 

 女は脅威的な力で扉をこじ開けようとする。俺も必死で抵抗するが、わずかばかり開いてしまい、そこから顔だけを出してきた。

 

 「リサ? リサなんて知り合いは……」

 

 

 否定しようとしたが、そのとき一匹の黒い魔物の姿が頭を過る。そう、ダンジョンの中で出会い、ビスタと一緒にやって来たとかいうあの狼のような姿をした魔物だ。

 

 

 「あ」

 

 

 この「あ」は、まさに失言だった。そのたったの一文字で、今の今まで忘れていたことを証明してしまったからだ。

 

 再び女の顔を見てみると、あのリサとは似ても似つかわない美人な獣人が今にも泣きそうな顔で目を潤ませていた。

 

 

 「やっぱり忘れてたんだな~!?!?」

 

 

 自称リサ女は静まった廊下と部屋の間でわんわん叫んだ。散々放置されていたことがそんなにショックだったのだろうか。いや、間違いなくショックだったんだろう。

 

 俺は少し罪悪感を覚えるが、だとしても、俺は一つ確認しなければならない。

 

 「いやいやいや! 忘れてませんよ!ちゃんと覚えてました! というか、私の知ってるリサはこんな姿じゃなかったはずですが!?」

 

 

 そうだ、俺の知っているリサは凛々しい面持ちの狼みたいな姿だ。断じてこんなナイスバディのお姉さんではない。

 

 

 「今はヒトの姿に化けてるんだ! こんなとこで魔物の姿になったら問題になるだろう!?」

 

 

 顔を真っ赤にして叫ぶ姿は、なんというか少しかわいいらしい。だが、それがなおのことあのリサのイメージから離れてしまう。

 

 しかし言っていることは最もだ。ここはペット同伴もOKだが、ヒトの姿になれるならそれに越したことはない。何より、魔物の姿じゃ喋れそうにもなさそうだしな。

 

 「納得してくれたか……?」

 

 「えっ、まあ、はい……?」

 

 

 

 正直俺は気まずかった。初対面というわけではないのに、言葉に詰まるこの感覚。いったい何を喋ればいいのか。

 

 そんな風に悩んでいたら。

 

 

 

 

 ────ぐぎゅるるるるるる

 

 

 

 

 彼女の腹部からすごく大きな音がして廊下中に響いた。

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 気まずさはさらに加速し、彼女の顔をみるみるうちに赤くなっていく。俺は一度聞かなかったふりをしようとしたが、もはやそれも無駄な抵抗。どうすることも出来なかった。

 

 

 「……そういえば、何も食べてなかったりします?」

 

 「……ああ」

 

 俺はもう何も言わずに亜空間を開いて中から食料を取り出した。偶然出てきたのはマガンタお手製極上サラミ。

 

 いつもなら惜しいと思ってしまうところだが、今の俺にはそんなちっさい感情は欠片もなかった。

 

 「よかったら、これどうぞ……」

 

 「……なんだこれは」

 

 きっとリサにとってはじめて見る食べ物なのだろう。受け取りはしたものの、鼻をスンスンと鳴らすだけで食べようとはしない。

 

 「サラミです。肉です」

 

 「肉? そうか、ではありがたく頂こう」

 

 そう言って彼女は近くにあった影へ潜った。中からガツガツと乱暴な咀嚼音が聞こえ、どんな風に食べているのか容易に想像がつく。

 

 「……おかわりいります?」

 

 「……できれば」

 

 影の中から出てくる様子がないので、俺は試しに影にサラミを放り投げた。

 

 するとサラミはまるで水の中に落ちるように、波紋を広げて影の中へと消えていった。

 

 そしてまた、ガツガツガツガツと咀嚼音が聞こえてくる。

 

 

 

 

 「ありがとう、おいしかった」

 

 食事が済んで、やっとリサは影の中から出てきた。いったいあの行動になんの意味があるのかと不思議に思っていたら、別に聞いてもないのに彼女のほうから説明してきた。

 

 「……黒天狐は食事中の隙を無くすために影の中で食べる習性があるんだ」

 

 「あ、そうですか……」

 

 彼女の顔はまだ少し赤かった、さっき腹が鳴ったのがよほど恥ずかしかったのか。目を合わせようともしないし、気まずさは増すばかりだ。

 

 

 

 「……」

 

 

 「……」

 

 

 

 

 え、なにこの空気?

ご覧い頂きありがとうございました。

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